生と死の境い目にて 1 | ナノ


生と死の境い目にて 1

 いつの間にか閉じていた目をやっとのことで開いて、僕はあたりを見回した。といっても、重い瞼はほんの少ししか上がってはくれず、うっすらと開けた視界はぼやけていて、物の形だってあやふやだった。
 さっきまでみんな元気に、話したり笑ったり、小突きあってふざけていたのに。今は、デュースやケイトやシンクの楽しげな話し声も、キングやサイスやセブンの大人びた笑い声も、ほとんど喧嘩みたいなナインとジャックのふざける声も、それをたしなめるエイトやクイーンやトレイの声も、何も聞こえない。
 誰からともなく、出来上がった旗の下に集まり始めた。みんな、掲げた旗に満足げに笑っていた。そして、いつしかそのまわりに座り込んでいた。
 言葉には出せなかった。けれど、みんなきっとわかっていた。自分たちに残されていたもともとわずかだった時間に、終わりが近づいているんだということを。もちろん、僕自身も。
 僕たちを包み込んでいる静寂は、もうきっと完全に消え去ることはないのかも知れなかった。だってそれは、僕たちから広がってそこにあるものだったから。外の世界が喧騒に溢れていたとしても、僕たちにはもう届かない。耳を澄ませても、どれだけ僕たちが聞きたいと願っても、きっと。
 それでも、僕は必死で聞こうとした。ほとんど願うように。使い物にならなくなってしまった目の代わりに、みんながまだここにいるんだという証拠を探して。
 だから、冬のすきま風みたいに薄く溶かされた吐息が、いくつか重なって聞こえてきた時、僕はひどく安心した。深く寝入っている時のような静かで長い呼吸の音を、この時ほどうれしく大切だと思った時はなかった。みんな、疲れて眠っているだけなんだ。さっきまでの、僕と同じように。
 その眠りが、二度と醒めない永遠の眠りになってしまったら。その突然の訪れの可能性は、ざわざわと僕を脅かしたけれど、僕も気怠い疲れに抗うことは難しかった。何かに抱き込まれるように、誰かに呼ばれているように、意識は白く煙る闇の中へ沈みこもうとする。
 眠りと覚醒の間を何度となく行き来するうち、迷い込んだのはたぶん現実にはあり得ない場所なんだろう。例えば、夢の中のような。光に塗りつぶされた白い世界は、ちょうど僕がここに戻ってきた時に見ていたあの夢の中の世界とよく似ていた。
「……聞かせてちょうだい」
 よく知っている声が、すぐ近くで聞こえた。何度となくその声に名前を呼ばれ、慰められ、叱られた。もうずいぶん長い間、その声を聞いていないような気がする。
「……マザー?」
 突然マザーの声が聞こえたこと、それまで僕の記憶からマザーのことがすっぱりと抜け落ちていたことに、僕は驚いていた。どうして、忘れていたんだろう。うろたえる僕の耳に、またマザーの声が聞こえた。
「聞かせてちょうだい。あなたたちの、想いを」
 子供の頃から変わらない、慈しみに溢れた優しい微笑みを浮かべたマザーが、すぐ目の前にいるようだった。僕たちの、想い。何を、どれを? 戸惑う僕の気持ちを余所に、僕の頭の中に迸るように何かがあふれ出す。
 それは、記憶だった。僕が過ごしてきた時間が、目の前で繰り返される。初めてマザーのところに連れてこられた時のこと、みんなと過ごした子供の頃のこと、大切な思い出。
 僕の時間は目まぐるしく通り過ぎ、いつしか場面は魔導院に移り変わる。僕たちの初陣、動き始めた戦争という名の歯車、そのうちの一つになって戦った僕たち。たくさんの人とすれ違った。いろんな場所に赴いた。僕たちは、そこで何を得ることができたんだろう。
 そして、最後の戦い。僕たちが選んで、戦うことを決めたあの戦いだ。僕たちの道は、あそこで終わったんだと今ならわかる。
「僕たちは、選んだ。でも……」
 みんなで確かめた、この想い。誰かに言われたわけでも、予め決められていたわけでもきっとない、あの選択。
「正しかったのかは、わからなかったな」
 僕の言葉を引き継ぐように呟く、セブンの声がした。気がつけば、みんながまわりに集まっていた。マザーの声に導かれたのか、夢の中まで僕たちは一緒にいる。驚きも、不可解さもなかった。だってそれは、ごく当たり前のことだったから。
 そう、きっと最後までわからない。セブンの言ったとおり、僕たちの選んだ道が正しかったのかどうかなんて。正しいことだったと、信じることしかできないんだ。その行く先を、僕たちが確かめることはもうできないから。
「それはともかくとしてさぁ。少なくとも、僕らは後悔はしてないんだよね」
 ジャックが、のんびりと声をあげた。それも、正しい。この結末を、僕たちは悔いてはいなかった。僕たちの顔を確かめるように見回して、頷き返すのを見たジャックが満足げに笑った。
「だから、はっきり胸を張って言えるんだ。クラスゼロ、ここに散りけりぃ、ってね」
「……綺麗に散れたのなら、それでいい」
 腕組みしたキングが、静かにそう呟いた。その唇にも、淡い笑みが浮かんでいた。僕たちの想いがきちんと芽吹き、花を咲かせたことを確信しているように。僕たちが咲かせた花が散ったとしても、そこに生った実からまた芽は出る。そうしてきっと、僕たちの想いは続いていく。キングが信じている未来を、僕たちは同じように信じている。
「オレたち、駆け抜けたよな?」
 やり遂げたその価値を確かめるように、握りしめた両手に目を落としたエイトが言う。その隣にいたケイトが、からかうように笑い声をあげてエイトを覗き込む。
「意外と全力疾走だった?」
「……かもな」
 さらりと認めて、エイトが肩をすくめた。僕たちは、持てる力を振り絞ってここまで来たんだ。僕たち自身、どこにこれほどまでの力が隠されていたのか驚くほどに。もしかしたら、その力は僕たちだけのものではなかったのかも知れないけれど。
「本当は、もうちっと走れたけどな」
 減らず口を叩いたのは、やっぱりというかなんというか、ナインだった。でも、その気持ちはわかる。そうしたかったんだという、願望という意味で。
「強がってぇ。最後、ヘロヘロだったじゃん?」
「んなことねぇよ。超よゆーだったって」
 ナインの腕をつつきながら、シンクが悪戯っぽく言った。眉をそびやかせて、ナインは憮然と言い返す。でもそれは、ナインの強がり。事実、いくらそうしたいと願っても、僕たちの身体はもう思うように動いてはくれなかった。あのルルサスたちの攻撃は、僕たちの魂まで及んでいたから。
「……私たちの先に、道はできたのでしょうか?」
 ひっそりと囁いたデュースの肩にそっと手を置きながら、トレイが頷く。
「彼らに繋いでもらった道です。だから、道はきっと続いていきますよ」
 彼ら。僕たちが出会った、たくさんの人たちの――今はもう、死んでしまったであろう名も憶えていない人たちの想い、願い。それを、僕たちは知らず知らずのうちに、自分たちの力に変えて戦ってきたんだと、僕は思った。憶えてはいないけれど、確かに感じることのできる近しい魂たち。
「あたしらも、ちゃんと繋いだと思うよ」
 凪いだ声で、サイスが呟いた。思いを馳せるその視線の先に見えている人影は、僕にも――きっとみんなにも見えているんだと思う。あの最後の戦いの時、確かに身近に感じた彼らの気配。僕たちの側にいて、力を貸してくれたあの二人。他のどんな魂よりも、僕たちに近い彼と彼女の姿が。
「……そうですね。わたくしたちが、繋いだ道です。これからも、ずっと繋がっていくと思います」
 クイーンが、きっぱりと言い放った。彼と彼女の力を借りた僕たちが、選んで繋いだ未来への道。だからこそそうなるべきなんだと、強く信じて。その言葉は、僕たち全員の言葉そのものだ。
 世界の理とか、摂理とか、そんな仕組みは正直よくわからない。だけど、もし叶うのなら。いるのかどうかも分からない、この世界を動かしている存在に願うことができるのなら。僕たちは、彼らに未来を託したい。

――僕たちに未来を託していった、たくさんの人たちがそう願ったように。





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