届けられた想い | ナノ


届けられた想い

 今回も、駄目だったわね。
 そう呟き、アレシアは自らが創り上げた世界が死にゆくさまを眺めていた。赤く染まった空、黒く濁った荒ぶる海、金属質な静寂。望む結果をもたらすことのない、無意味で空虚な世界だ。
 そこへ至る過程は毎回少しずつ異なってはいるものの、結末はいつもと同じだった。となれば、自分たちを創った神々の思惑に沿うため、これからしなければならないこともいつもと同じだった。
 爛熟した人間の歴史に終止符を打ち、再び六億を超える繰り返しの螺旋に世界を戻して、始めからやり直さなければならない。そしてまた、紡がれる二千年の歴史の中、神々の望みを叶える魂を持つ人間が現れるのを待つのだ。あるいは、自分と対を為す存在の目論むとおり、破壊と殺戮の果てに扉が開かれることを期待して。
 何の徒労も苦痛も感じない。もちろん、憤りや哀しみさえも。なぜなら、それが自らに課せられた使命であるから。その意志のおもむくまま、アレシアはいつものように世界を無に帰すために、その手を掲げた。その時。
 微かな音が、アレシアの耳に届いた。繰り返されるべき螺旋の環、それを動かしていた歯車の軋む音が。まわり続けることをさだめたはずの運命の環が、抗いの声をあげるように澱む音が。
 アレシアは、訝しげに眉根を寄せた。世界の理が、自分の意思に沿わぬ動きをするのは初めてのことだったから。何がそうさせているのか、何かが起ころうとしているのか。異変の源を探るために意識を凝らそうとしたアレシアは、またも自分の耳を打つ思いがけない声を聞く。
「……マザー!!」
 この声は。ずいぶんと懐かしい声だ、とアレシアはふと表情を柔らかくする。呼ばれたほうへ、意識を向ける。魔導院の地下、アルトクリスタリウムに、その声の主はいる。一人、いや二人。愛すべき、私の子供たち。
「……珍しいわね」
 時空を超えて降り立ったアルトクリスタリウム。そこで自分を待っていたらしい二人の子供たち――ティスとジョーカーに、アレシアは微笑みかけた。
「私の前に立つのは、いつ以来かしら?」
 ティスがその問いに答えるように、アレシアの前に立ち恭しく頭を垂れた。
「よく覚えてませんが、ここ三、四回はお会いしていません」
「……そう」
 そうだったわね、とアレシアは頷く。それで、と促すようにアレシアはティスを見た。わずかに言い淀むようにこくりと喉を鳴らした後、ティスは意を決したように口を開く。
「また、世界を螺旋の中に戻すつもりですか?」
「……そうね。これで、六億十万四千九百七十二回目」
 それを確かめて、どうするつもりなの。張りつめた光をフードに隠れた瞳に宿すティスに、アレシアはまたも予定調和の均衡が崩れる要素を見る。世界の理を知り尽くしているはずのティスが、今さらわかりきったことを自分に確かめるとは。
「マザー!」
 ジョーカーが、噛みつくように叫んでアレシアに詰め寄る。ああ、この子は。アレシアは、困ったように小さく首を振って微苦笑する。
「ジョーカー……あなたは、いつもティスと一緒なのね」
 いつの世も、どの繰り返しの時も。特にそうなるように仕向けたわけでもないというのに、ジョーカーは常にティスを守るように側にいる。今だってそう。まるで、おとぎ話の中に登場する、姫と騎士のように。
 何かを訴えようとしているらしい彼を事もなげにあしらったアレシアに、ジョーカーはもどかしげに嘆息しつつも、アレシアの背後を指さしながら訴える。
「……あれを、見てくれ」
 そこで初めて、アレシアはアルトクリスタリウムのいつもとは違う光景に気がついた。空間を満たす、夥しい数の魂。そこに溢れる色。ひとつひとつから迸る煌めきは、魂が叫ぶ声。その中で、一際激しく瞬く群れがあった。ジョーカーは、それを示している。
「……?」
 群れの中の光は、十二あった。朱く燃えるそれもまた、アレシアの子供たちだった。彼らの為し得た世界の結末を、それらは映し出していた。
「知ってたかい? 彼らは、審判者を倒した。そして……」
「死んでいった。死の恐怖に直面しながら」
 ジョーカーとティスの呟きに応じるように、映し出されていた景色がすり替わる。崩れ落ちた魔導院の教室だろうか。風に翻る旗の下、身を寄せ合い横たわる子供たち。
「彼らだけじゃない。この世界では、多くの魂が死を自ら選び、生を全うした」
 穏やかな口調ながらも決然と言い放つティスを、アレシアは目を細めて眺めた。いつもと同じだと思っていた世界の結末に、ティスは何を感じ何を見出したのか。
 無言のうちに発せられたアレシアの問いかけに答えるように、ティスはとある書物を差し出した。それは、アカシャの書。世界の誕生からフィニスの訪れまで、この世界の姿を記し予言するもの。これも、アレシアが創り出したものだ。ただし、最後の頁は空白だった。書き記されるべき未来は、人が自ら探し求めなければならない。それこそが、アレシアの思い描く最善の結末だったから。
 それが、為されたというのだろうか。差し出されたアカシャの書を見下ろして、アレシアはその予感が現実に起ころうとしているのを感じていた。廻り続けるさだめにあったはずの螺旋が止まろうとしていること、今この時に自分を呼びだした二人、そして見せられた子供たちの末期。すべてのベクトルが指し示す結果は、その事実に繋がっている。
「……クリスタルの想いと共に、その全てをお届けします」
 これこそが自分に課せられた本当の使命だったのだと、ティスのまなざしはアレシアに訴えかける。それも間違いではないと認めるように、アレシアは目を伏せた。
「あなたも、選ぶことができたのね」
 その強さを、選択を、労い愛しむように、アレシアは微笑んだ。はにかむように、満足げに唇を綻ばせたティスの面影は、しかし溢れ出す数多の想いに飲み込まれていく。
 アレシアは、自分のまわりを浮遊する輝く想いたちに、そっと手を差し伸べた。

 聞かせてちょうだい。
 たとえそれが、私の待ち望んだ結果ではなかったとしても。
 積み重ねてきた螺旋の塔が、崩れ落ちて水泡に帰したとしても。
 あなたたちが自ら選んだ結末だとするなら。
 あなたたちが自ら望んだ未来だとするならば。
 その価値は、神々の思惑をも超えた、稀有でかけがえのない尊いものになる。
 だから、聞かせてちょうだい、私の大切な子供たち。
 あなたたちの、想いを。



 言葉は意志となり、規則正しく時を刻む歯車の動きを逆さに廻し始めた。
 遡る時の彼方に母が見聞きするものは、世界の理を打ち砕かせることができるのだろうか。
 現れた時と同じ、かき消すようにいなくなったアレシアを、ティスとジョーカーは静かに見守るだけだった。





[ back ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -