始まりの終わり | ナノ


始まりの終わり

 ――どうして、世界の滅びを繰り返すのですか。

 目覚めてから幾度めかの世界の終わりを見守りながら、ティスはそう訊ねたことがある。いつの時も、謎めいた微笑みを絶やさない母は、その時もふわりと唇に笑みを浮かべて、扉を開くためよ、と答えた。

 ――神々が、望んでいるの。不可視世界の扉を開いて、そこへ至る道を創るため。人は、そのために神々に産みだされたのよ。

 正確には、魂が必要だと母は続けた。クリスタルを造り出し、未熟な人間に文明と争いを与え、その中で強く成長した魂。それがあれば、神の元へと続く道は開かれる。そう考えている、と。

――……それなら、世界を滅ぼす必要はないのではありませんか? 一度失敗しても、再び挑むこともできるのに。

 母は、アギトと呼んでいた。扉を開く者、アギト。母の言葉を借りれば、強く成長した魂を持つ者。それを望むのであれば、もう少し猶予を与えてみてもいいのではないか。ティスは、そう思った。

――そうね、そうかも知れない。けれど……。

 じっと見つめていたティスから目を逸らし、母は虚空に視線を留めた。

――長い長い時を経ても、魂がその高みへと引き上げられなかったという結果を考えれば、それ以上歴史を紡いでいくのは無駄なことなのよ。

 失敗してしまった原因は、むしろそこへ至るまでの人々の成長の過程にある。そうだとしたら、もう一度初めからやり直さなければならない。と、深いため息を漏らしながら母は続けた。

――それに、世界を滅ぼすことによってでも、扉は開かれるかも知れない。死んでいくたくさんの人の魂……そうやって扉を開こうと考えている存在もいる。そういうことよ。

 その存在を、ティスは知っていた。世界の終わりに、必ず現れる仮面の人物。ルルサスと呼ばれる軍団を率い、終末の訪れ『フィニスの刻』を世界にもたらしている。
 世界を操っているのが、母だけではないということは薄々気づいていた。それぞれ別の神の下、同じ目的を果たすために世界を創り、人々を導き、そしてそれらを滅ぼすことを繰り返している存在。

――どちらも、避けられない道筋、ということですか。

 神の意に沿わなければ、神の元へと至る扉を開くことができなければ、世界は滅び新しいまっさらな世界へと生まれ変わる。けれども、そこに生きていた人たちは。生まれ、考え、泣き、笑い、怒り、悲しんだ人たちの想いは、どこに行ってしまうのだろう。自らの生と死、それすらも誰かの手によって決められていることを知らないまま。

――……人は、生まれる自由を持たない。しかし、どう生きどう死ぬかは、自分で決められる。

 ティス自身気づいていない、声に滲んだ一抹の反駁に、母は宥めるような声色でそう呟いた。自分たちの意志が働かなくとも、人にはもともと生まれる場所を選べない、と諭すように。

――私が望むのは、そんな魂を持つ人間なの。神の思惑でさえも跳ね除けるほどの、強靭な魂。残念ながら、今回もそれを見ることは叶わなかったけれど……。

 歌うように言葉を重ねる母に、憂いの影はひとしずくも映ってはいない。それ以上何も言えず黙り込んだままだったティスに、母は再び視線を投げた。

――あなたも、同じよ。

 慈愛にあふれるまなざしに込められた真意は、どこにある何という名の思いなのだろう。そっと首を傾げるティスの求めに答えて、母は言う。

――……あなたが何を感じ、そのために何をしようとするか。それを決めるのは、あなた自身。だから……。

 滅びに向かう世界が絶叫する声は、そのまま新しい世界の産声となった。その轟音から浮かび上がるように、静かに母の声は響く。

――……だから、選びなさい。必ず訪れる、『その時』が来たら。



 世界が始まりと終わりを繰り返すたび、記憶を持ったまま存在することを定められた自分が、こんなやりとりをしたのはいつの回のことだっただろうか。気の遠くなるほど、昔のこと。それでも、ティスははっきりと憶えていた。
 憶えていてよかった、とティスは思う。自分が何を感じ、そのために何をしようとするのか。選択と決断の『その時』は、今なのだ。
 追憶から抜け出したティスは、アルトクリスタリウムに渦巻く魂のかけらを数えるように目で追う。朱に、白、蒼、それに黒。感じた通り、ここに集められた魂は、どれかひとつに偏ることなく彩り豊かに煌めいていた。
 ざわめきにも似た言葉が、さざ波のように溢れ出してあたりに満ちている。そのひとつに、ティスは意識を傾けた。たちまち、その魂の記憶が自分に向かって流れ込んでくる。
 これは、万魔殿。ティスにとっては、世界の終わりを告げる使者にも等しいもの。その入口に佇む人影。母と対をなす、あの仮面の人物の下で動かされていた白の駒だ。腰に帯びていた軍刀を握りしめ、彼はおぼつかない足取りで歩いていく。
『……これ以上……貴様らの好きには、させぬ……』
 軍刀の鞘を投げ捨て、視線を上げて彼は叫ぶ。視線の先に在るのは、やはりあの仮面の人物だ。
『人は、神々の……傀儡ではない……っ』
 唸り声を上げながら、彼は自らの首に軍刀をあて一思いに斬り下ろした。迸る血飛沫、倒れ込む身体。それを見下ろすあの仮面の人物は、何を思ったのだろう。
「……彼も、自分で選んだのね。生き方を選べなかったぶん、最期の瞬間だけは……」
 恐らく、彼は全てを知っていたのだろう。世界の存在そのものが、誰かに創られたものであることに。自分の意志ではない何かが、自分を動かしていることにも。人は、神々の傀儡ではない。その言葉が、その証だ。
 胸の奥底のほうから、こみあげてくるこの想いはなんだろう。その源を探るようにティスは自分の胸に手を置き、目を伏せた。吹きすさぶ風の、細く高いその音のように、寂しくて哀しいこの想いは。
 そっと、自分の肩に置かれた手の感触に、ティスは顔を上げた。フードに隠れて見ることはできなかったが、リーンが自分を心配しているのはわかる。だいじょうぶ、と微笑んだティスの目の前を、ひとひらの朱が通り過ぎた。
「……これって」
 目で追いながら、リーンが呟いた。うん、とティスも頷く。集められた朱の魂の中でもひときわ深い輝きを放つそれは、数えれば十二ある。かつては同じ場所にいて、同じ時間を過ごしてきた、言うなれば兄弟のような存在。
「……頑張ったね。とても、強かったね」
 まわりを取り囲んで、口々にその時を語りかけてくるそれらに手を伸ばし、ティスは呟いた。ぬくもりを帯びたそれは、指に触れると輝きを増す。やり遂げたことを認められた喜びを、ティスに伝えるように。
「……あいつら、倒したんだな。あの審判者を」
 彼らの魂から流れ込んでくる映像を、リーンも見ているのだろう。すげぇな、と吐息交じりに囁いた彼に、ティスは応えて言う。
「誰に言われたわけでも、ルシとなって神に縛られるわけでもなく、彼らはそれを自分たちで決めたの。自分たちが何のために生きて、どう死んでいくかを……」
 だから、なのだろうか。自らの運命を自分たちで決めた、その強さがあったから。この『世界の終わり』は、今までの繰り返しの中で一度も訪れることのなかった結末へ辿り着こうとしている。
「ティス、あれ」
 傍らのリーンが、驚いたように声を上げた。視線で追う指差された先に、どの色にも染まらない、それでも他のものよりも目立って煌めく光があった。
「あれは……私たちと同じ……?」
「ああ。同じだけど、違う。だけど、もう一人の俺とティス、だ」
 自分たちと同じく、母によって螺旋から切り離された存在でありながら、自分たちよりも兄弟たちの側にいて一緒に生きてきた二人。
「……あなたたちも、選んだ。自らの手で、その行く先を」
 その決断は、お互いがお互いを思うあまりに下された悲しい過ちだったかもしれない。けれども最後の瞬間、彼らは兄弟たちを救ったのだ。ルシになることで捨てたはずの人としての意志をもって。
 彼らだけじゃない、とティスは振り返ってあたりに浮遊するたくさんの魂に目をあてた。ここに集められた魂は、どれをとってもきっと、神の思惑に染まらなかったものたちばかりなのだ。そうでしょう、と問いかけると、ざわめきはさらにその響きを大きくする。
「彼らが集めた、多くの魂。彼らに関わった、多くの想い。そして、それが連なる無限の世界……」
 彼らが望んだ、新しい世界。人が自らの足で立ち、歩み、その手で生きる道筋を選び取る世界だ。これは、結末なんかじゃない。数多の声を聞きながら、ティスはそう思った。終わりの始まりは、始まりの終わりへと繋がっているのだ、と。
「……うん、そうだね。聞こえてるよ、あなたたちの声も」
 自分の考えが正しいのだと教えてくれるかのように、魂たちは声をあげる。たとえ、人としての言葉を失ったとしても。声にならない声だったとしても。その想いは、止まることを知らずにティスに向かって流れ込んでくる。
「大きな瞳で見続けていた蒼も、全てを渇望していた黒も。心髄で選ばれた朱も、大いなる慈悲で全てを与えていた白も……」
 蒼龍とともにあった民草、玄武に生きたつわものたち、朱雀に己が身を捧げた人々、白虎の下に集った彼ら。兄弟たちだけではない。この世界に生き、死んでいった名もない者たちの魂にさえ、それぞれに揺るがし難い価値がある。切り捨てられ、忘れられ、ただ消え去るだけの魂など存在するはずがない。
 そう思える世界を、これまでと同じ繰り返しの中に葬り去ることなどできない。ティスは、心を決めた。伝えなきゃ。それができるのは、もう私たちだけになってしまったのだから。
「……届けるよ。あなたたちの想い」
 ティスの言葉に応えるように、煌めきがティスとリーンのまわりに集まり始めた。何も知らされず、螺旋の内側で生と死を繰り返し続けていた十二の朱い光。
「だから、ひとつだけ、希望を聞いて……」
 叶うならば、許して欲しい。そう希い、ティスは目を閉じた。
 あなたたちの想いを、私が届けるということを。
 私が、そう決めたということを。
 あなたたちが繋ごうとした未来――これから始まる新しい世界が、光で満ち溢れたものであれと祈ることを。
 見守り続けるほかに何もできなかった私の、せめてもの償いとして。



 答える声は、聞こえなかった。けれども煌めきは絶えることなく、むしろティスの背中を押すように強くなる。
「……ありがとう」
 輝く全ての魂に、ティスは呟いた。
「私も、見つけられたの。自分のやるべきことを、自分の手で」
 あなたたちと同じように。その喜びを胸一杯に呼吸して、ティスは微笑んだ。それができたのは、彼らの想いに触れることができたから。その力を、もらい受けることができたから。
 一緒に行こう、とティスは手を差し伸べた。時は、満ちた。今こそ、魂の輪廻を断ち切る時。悲しみの螺旋を閉じる時。人が自らの意志で決断し、望んだ新しい世界の始まり。
 力は祈りに、祈りはより強い力を生むだろう。そこに築かれる礎は、未来へと繋がる階のひとつめ。彼らとともに歩む、第一歩だ。
 傍らに佇むリーンが、ティスの手をつかんだ。そのぬくもりも、力となる。みんな、一緒。だから、怖くない。何が起ころうとも、この気持ちさえ最後には消えてなくなるものだったとしても。
 ティスが頷き返すと、リーンもまなざしだけでそれを返した。その口で、母の名を呼ぶ。現れる母は、世界をどう見るのだろう。彼らの、ティスの想いを、どう受け止めるだろう。



 終焉を迎えようとしている世界、そこに浮かぶ束の間の静寂。
 彼らの魂のさざめきだけが、色褪せることなく瞬き続けている。





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