生きた意味、その証 2 | ナノ


生きた意味、その証 2

 時間の流れは、なぜか今まで僕たちが感じていたものとは少し違っているようで、ここにたどり着いてからほんの少ししか過ぎていないような気もしたし、実はもう一昼夜が過ぎているといわれても僕たちはきっと驚かなかったと思う。
 やっと訪れた静かで穏やかな時は、僕たちの身体の傷も心の痛みもすべて拭い去ってくれたかのようだ。といえば聞こえはいいけれど、実際は感覚がもう僕たちのものではなくなってきているのかも知れなかった。ぼやけて輪郭が薄れていく感覚でも、確かに感じられるのは満ち足りた柔らかい沈黙。恐れ、目を背ける必要のない、甘いまどろみのような静けさだ。
「……それにしたってよ、なんだか割に合わねぇよなぁ」
 張りつめていた糸が一気に緩んだみたいにぽろぽろと涙を落としたクイーンと、それにつられて目を真っ赤にしたデュースと、そんな二人を慰めるみたいにして取り囲んだセブンとサイスとシンクとケイト。なんとなく女子は女子で固まって、僕たち男子はそれを少し離れた場所から眺めている、そんな構図になっていた教室に、ナインのいかにも面白くなさそうな声が響いた。
「なにがさ?」
 訊ねたジャックに、ナインはだってそうだろうが、と唸って見せる。
 あーあ、と空を仰いだかと思えば、ナインはそのままぐらりと床に大の字にひっくり返った。
「なれたかもしれないんだぜ。俺ら、この世を救った英雄に」
 英雄。なんだか、ナインには似つかわしくない言葉のようで、でも言い方そのものは小さな子供の駄々みたいでナインにはぴったりだった。僕たちは、顔を見合わせて吹き出した。
「お前、なりたかったのか、英雄に?」
 からかう口調でキングが訊ねると、ナインは仏頂面で舌打ちする。
「んだよ、悪ぃかよ。でもあくまで、ケッカロンってやつだ。このままいったら、そうなるかも知れねぇってお前らだって思っただろうが」
 腕で枕を作ったナインは、うまく言えねぇんだけど、と前置きして続けた。
「俺が言いたかったのは、なれたかも知れねぇって程度の英雄どうこうじゃなく……なんていうか、けじめ、っていうか、落とし前っていうか……このままいなくなっちまう俺らに、思い残すことはなかったのか、ってことで……」
 努力して言葉を組み立てようとして、それでも失敗してしまったことに腹を立てて、ナインは頭をがしがしかきむしっている。そして思い切りよく起き上がって叫んだ。
「世界はこれからも続いてくんだろ? 戦うこともなくなって、傷つくこともない、平和な世界ってやつだ。だけどよ、そうなるかも知れない世界にしたのは、俺らだ。なのに、その世界から俺らはもうすぐ消えちまう」
 ナインはそこまで言って、ぐっと歯を食いしばり俯いた。笑いをおさめた僕たちをぐるりと見回して、ナインは唸る。
「お前ら、それが悔しくねぇのかよ。このまま、何事もなかったように俺らがいなくなるってことが」
 思い残すこと、悔しさ。ナインの言ったことが、頭の中をぐるぐる回って目の前を通り過ぎて行った。何の違和感も反論も出てこなかったところを見ると、僕自身も同じことを考えていたんだ、と気がついた。ほとんど無意識に近い、心の奥底のほうで。
「そうやって俺らが終わっていくんだとしたら……なんだか負けたような気がするんだよな、俺」
 何に負けたかってのは、わかんねぇけど。そうぽつりとつけたして、ナインは黙り込んだ。その何かは、きっと世界の法則だと僕は思う。僕たちは見てきた。死んでしまった人たちが、残された人の記憶からいなくなってしまうのを。事実や記録は残るのに、その人に対する感情だけが切り抜かれたように消えてしまうのを。クリスタルの意志だと、誰かが言っていた。その法則からは、誰も逃れることはできない。もちろん、僕たちも同じだ。
「……そうだな。言い方はどうあれ、癪に障るっていうのなら、俺にもわかる気がする」
 ナインの隣にいたキングが、ひっそりと呟いた。その声には苦笑が滲んでいる。唇の片端だけ釣り上げた、大人びたいつもの笑い方だった。
「ここまできて勝ち負けにこだわるって、どれだけなんだよ」
 キングと同じく、呆れたように笑ったのはエイトだ。萎れたように落ちたままのナインの肩を拳で小突いたエイトは、それでも瞳に真摯な色をのぼらせて言う。
「でも、ナインの言う通りだと思う。どうして世界が平和になったのかとか、誰がそうしたのかってこと、そういうことはなんとなくわかってもらえるかも知れない。だけど……」
 腕組みをして、エイトは考える時の癖で顎の先に指をやって続けた。
「オレたちがここにいたんだってこと、それ自体を忘れられるのは……かなり悔しいことだよな」
 消え去ることは受け入れる、だけど忘れられるのは嫌だ。大きな矛盾を抱えているけれど、それは僕たちの偽らざる気持ちだった。どうにもならないってことは、もう十分わかっている。それでも、少なくとも僕たち男子がそれを納得できないと思っているということは、明らかな事実だ。ナインやキングやエイトはもちろんだけど、静かに目を閉じてわずかに眉間に皺を寄せているトレイも、困ったように笑いながらみんなを見比べているジャックもきっと。
 僕だって、そうだった。僕たちがしてきたこと、ここにいたということが、僕たちと一緒に消えてしまうことは、とても悔しいと思う。ナインが言ったとおり、名声や栄光を残したいんじゃない、ただ僕たちがここにいたということを残したかった。
「なんだ、僕ら、思い残すこと、おおありじゃん?」
 唐突に、ジャックが呟いた。なんだか、とてもうれしそうに。いいことだと思うよ、と、ジャックは瞳を輝かせている。今まで考えようともしなかった死、それが僕たちにもたらすもののこと。今さら慌てて忘れられることに抗おうとしている僕たちは、諦め悪く潔さのかけらもなかった。だけどそんなみっともない僕たちを見て、ジャックはひどく安心したように深く息を吐いた。
「やりたいことあるのに、それをやらないで死んじゃうことのほうが、僕は悔しいと思うんだよね」
 ほんと、僕らってしょうがないよね、とジャックは笑った。
「こういうの、往生際が悪いっていうのかなぁ?」
「……かもな」
 キングが珍しく声を出して笑う。全くその通りだったから、僕たちも笑った。この期に及んで、どうにもならないことを悔やんでいる僕たちは、酷く滑稽だった。でも、惨めだとは思わなかった。自分たちを哀れんで正当化しているわけでもなかった。僕たちはただ、身の丈に合った素直な感情を口にしているだけなんだ。戦うことのなくなった世界に生きるかも知れない、僕たちと同じ年頃の人間と同じように。
「……考えてみようか。僕たちがここにいたんだってこと、残せる方法を」
 背負うものがなくなった軽い心は、僕たちにできないことはないんだと教えてくれているようだった。僕の口から簡単に転がり出てきた提案に、ますますみんなの目が輝き始めた。まるで、子供の頃に戻ったようだった。秘密基地を作ろうと計画した時、誰かにいたずらをしかけようと相談した時のように。
「そうですね、考えましょう。私たちにできることを」
 トレイが頷く。と、頭の上から突然声がした。
「……お前ら、さっきからなにこそこそ話してやがる?」
 サイスが、怪訝な顔で輪になった僕たちを上から覗きこんでいる。後ろには、女子が全員そろっていた。
「なんだか、ずいぶん楽しそうだけど〜。もしかして、イケナイこと話し合ってたり?」
 サイスの腕にぶら下がって、シンクがずるいなぁ、と口を尖らせている。
「楽しいこと話してるんだったら、わたしたちも仲間に入れてください」
 僕の隣にしゃがみ込んだのは、デュースだった。僕は、シンクに違うよと首を振り、僕たちを見下ろしている女子たちを見上げた。
「考えてみようか、って言ってたんだ。僕たちがここにいたんだって証拠を残す手立てがないかどうか」
「証拠?」
「手立て?」
 クイーンとケイトの声が重なった。クイーンは不思議そうに、ケイトは怪訝そうに眉を寄せて。まあ座れよ、とナインが手招きする。
「説明してやるよ。俺らの悪あがきってやつのな」
 それから、ナインは僕たちがどうしてそんなことを考えることになったのか、その経緯を女子に話した。時々ジャックの茶々が入ったり、トレイのくどくどしい注釈が入ったりしたけれど、輪になっていた僕たち男子の間を縫うように座っていた女子みんなも、話が進むにつれて目に見えてわくわくし始めた。
「……ってなわけだ。どうだ?」
 そんな言葉で結んだナインに、セブンがいいな、それ、と頷く。
「お前にしては、筋が通ってる」
「確かに。わたくしもそう思います」
 クイーンとセブンが大げさに感心して見せるのに、得意げに胸を反らせていたナインは、一転苦虫を噛み潰したような顔になった。
「つーかよ、目ぇつけるところ、間違ってるだろ。わざとか?!」
「アタシ、賛成! アタシだって思ってたんだ。このまま、何もしないで終わっちゃうなんて、悔しいってさ」
 放っておいたらケンカでも始めそうなナインの唸り声を遮って、はいはいとケイトが手を挙げた。
「でもさ、そういうこと話し合うんだったら、当然アタシたちも一緒だってどうして気づかないかなぁ?」
 これだから男どもは、とため息をついて、ケイトは腕を組んだ。
「あんたたちだけで考えたって、いい方法なんて思いつくわけないじゃん。絶対」
 ふんと鼻先で笑って僕たちをねめつけたケイトに、サイスもその通りと頷いている。僕たち男子は、それぞれ思うところがあるらしく、仏頂面だったり、やれやれと肩をすくめたり、どうやって言い返してやろうかと反撃の隙を狙ってたり、いろんな表情で顔を見合わせていたけれど。
 僕は特に反駁するわけでもなく、ああそうだったな、と苦笑していた。第一、僕たちだけで何かを決めようとしても、うまく話がまとまったためしがない。結局はナインがバカなことを言い始め、面白がってジャックがそれを煽り、トレイはつき合いきれませんね、とか言いながら独自の理論を展開して、収拾がつかなくなったところを僕とエイトとキングが虚しい疲労を感じながら眺めている、それが常だったから。
「それでそれで? どうやって残すの? わたしたちが、いた証拠」
 シンクが、うずうずしながら僕たちを見渡した。
「何がいいかなぁ。誰が見ても、一発でわかるようなものがいいよね」
「そうだねぇ。幻の0組、ここにあり! みたいな?」
 はしゃいだシンクの声を引き継いで、ジャックが芝居がかったふうに言った。それを聞いたセブンが、ふっと笑う。
「幻の、クラスゼロ、か。そういえば、私たちはそう呼ばれていたんだったな」
 朱雀の魔導院、その中でも存在が稀だったらしい0組。僕たちは、そんなに意識していなかったように思う。その名前のせいで味方からも距離を置かれていたような気もするけど、僕たちはそんなに気にしていなかった。外側からどんな評価をされたとしても、僕たちは僕たちだったから。その二つ名は、ただの記号みたいなものだった。
「だとしたらやはり、朱雀に属する者として、ふさわしいもののほうがいいでしょうね」
 眼鏡を押し上げながら、クイーンが提案する。
「わたくしたちがどうとらえようと、わたくしたちは朱雀という国の中に身を置いていたのですから。あの、魔導院解放作戦の時から」
「……解放作戦、か。ずいぶん昔のことのように思えるな」
 クイーンの口から放たれたその言葉に、キングがわずかに目を細めて呟いた。皇国軍の、朱雀への侵攻。占領されかけた、魔導院。あれが、僕たちの初陣だった。
 あの作戦の時から始まってから今までの間、何か大切なものをたくさん失ってきたような気がする。大切なその何かがなんだったのか、今ではもう思い出すことはできないけれど、僕にははっきりと憶えていることがあった。
 降り注ぐ銃弾、燃えさかる炎、蹂躙された街。その中で見つけた、地に落ち踏みにじられた朱雀の旗。僕はその旗を拾い上げ、再び地に打ちつけた。熱い風に煽られ、翻る深紅の旗。
 何かを考えて、そうしたわけではなかった。でも、今ならなんとなくわかる気がした。あれが、始まりだったんだ。今に続く、僕たちの歩んできた道のりの。あの瞬間から、すべてが動き始めたんだとさえ思えた。もしかしたら、僕たちの意志とは無関係に、まるであらかじめ決められていたことだったとしても。
「……旗がいいな」
 僕は、言った。僕たちの戦いの日々の始まりを告げたのが、あの旗だったとするならば。終わりを迎える今この時にも、あの旗が必要なはずだった。
「旗、ですか?」
 不思議そうに、デュースが首を傾げた。サイスが、鼻で笑って肩をすくめる。
「旗っていっても、どうやって? どこかから見つけてくんのか?」
 そりゃ無理があるだろ、とため息をつくサイスに、僕は首を振った。
「僕たちの、マントを繋ぐんだ。朱いマントは、0組の証、だろ?」
 背中のマントを指さして言うと、エイトがなるほど、と頷く。
「確かに、オレたちだと証明できるのは、今はもうマントだけだな」
「そうだぜ。他のクラスの奴らには、絶対つけられねぇ色だ」
 拳を握りしめ、ナインも叫んだ。トレイも賛成してくれる。
「私たちのマントで作った旗なら、誰が見ても一目瞭然ですしね。間違えようがありません」
 気が早いナインは、もう留め具からマントを外してばさりと広げている。それを横目で見ながら、シンクが自分のマントを身体の前に引っ張ってきてくすりと笑う。
「それにしても、汚れてたり、破けてたり、ぼろぼろ……。まるで、わたしたちみたいだね」
 そんなシンクに、僕は言った。
「だからいいんだ。他のどんなものよりも、今の僕たちを忠実に表してるって、そう思わないか?」
 傷つき、血を流しても、僕たちはここに帰ってきたんだと。残していく世界に、僕たちはここにいたと叫び声を上げていたんだと。僕たちの身に着けていたマントが、僕たちの代弁者になってくれる。それが何よりの、僕たちがいた証なんだ。
「……決まったな。俺たちが残すもの」
 広げた自分のマントに指を滑らせながら、キングが言った。クイーンも、マントを握りしめて頷く。
「繋ぎましょう。わたくしたちの、想いを」
 号令のようなその声に応えるように、次々と目の前に朱が散った。ひらりと踊るように広がるそれは、迸る僕たちの最後のきらめきそのもののようだった。



 そうして、僕たちは旗を作った。
 朱雀の紋章が織り込まれたあの時の旗のように、立派でも豪奢でもない、ただ布を結びあわせただけの旗だったけど、それでも僕たちはできあがった旗に満足した。僕たちのありのままを残すのだとしたら、それで十分だった。
 この旗がはためく時、僕たちはきっと、ここにはいない。残された時間は、もうあとわずかだ。
 だけど、苦しみも悲しみも、怖れも不安も、僕たちは感じなかった。
 すべてをやり遂げたからっぽの僕たちでも、はっきりと思い描くことができたから。

 僕たちは、ここにいた。
 そんな、僕たちが託した声にならない叫びを一身に帯びて、この旗が新しい風に翻るその瞬間を。
 誰かが、僕たちの想いを受け止めてくれるだろうということを。
 そして、そこから続く、未来を。





[ back ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -