生きた意味、その証 1 | ナノ


生きた意味、その証 1

 ひとりじゃなくてよかった。
 背負っていた重い荷物を下におろした時のように、束縛されていた何かから解放された時のように、深い深いため息と一緒にシンクがそう言ったから、笑いあっていた僕たちはふと顔を見合わせた。
 ひとりじゃなくてよかったと言うってことは、シンクはひとりだと思っていたのだ。いつから? どうして? 浮かびかけた疑問は、口からすべり出る前に胸のあたりで丸まって転がる。その答えは、僕にはもうわかっていたから。
 僕も同じだった。ひとりじゃなくてよかった、みんなと一緒でよかった。ひとりだったらきっと、耐えられなかった。帰ってきた僕たちには、喜びも安らぎも、待っていてはくれなかった。迎えてくれる誰かの気配は皆無で、かわりに僕たちを追いかけてくる足音だけを背後に感じていた。冷たくて暗くて鋭い闇のような、死というものの足音を。
 見まわしたみんなも、きっと同じなんだ。だって、そんな当たり前のことを、とか、今さらそんなこと言うなんて、とか笑い飛ばして、シンクが思っていたことを否定する人は誰もいなかったから。誰もが一度は孤独を感じて恐れ、苦しみ、そしていつの間にかそれを打ち消していた。シンクは素直にそれを口にしたけれど、僕たちは飲み込んだままだった。ただ、それだけの違いだ。
 ひとりじゃなくてよかった。みんながいてくれてよかった。シンクが言葉にしてくれた思いを噛みしめるように、僕たちはしばらく黙って下を向いていた。
「まるで、私たちだけみたいだな」
 どれくらいそうしていただろうか。ふと囁くように、セブンが言った。その声に、僕は顔を上げた。
「私たち以外、世界中から誰もいなくなったみたいに静かだ」
 言ったそばから、声はその静けさに埋もれるように薄く溶けていく。本当だ、と僕は気がつく。ここに帰ってきた時と同じ、張りつめるような静寂があたりに立ち込めている。ただ、あの時とは明らかに何かが違っているような気もした。撥ねつけるような鋭さが消えた、みたいな。刃を向けて僕たちを苛むような冷たさの代わりにひっそりと佇んで、ともすれば両腕を広げて包み込む穏やかさを孕んでいるような。
「きっと、世界はこういうふうにして滅んでいくのでしょうね」
 冗談のように声を弾ませて、トレイが言った。
「世界の終わり――フィニスは、激しい炎でも天から轟く雷鳴でも、大地を割るほどの地揺れでもなく、こうして静かに緩やかに訪れるのでしょう」
 まったくの予想外でしたが、とつけ加えて、トレイは肩をすくめる。他人事のように分析するトレイは、トレイらしいといえばトレイらしい。詩か何かを朗読しているような言い回しも。その言い方に呆れたのか、はっと短く笑ったのは、サイスだ。
「世界が終わる、か。それもいいんじゃねぇの? 今さらじたばたしたって何も変わりゃあしないんだ」
 突き放すような声だったけれど、自暴自棄になって憤っているわけではなかった。サイスは、ただ受け入れようとしているだけだ。結果としての今と、そこから続く未来を。
 静寂が冷静を導いているとするなら、トレイの分析もあながち間違ってはいないのだと思う。人間が、世界が滅ぶかも知れないという現実に混乱することを押し止めるために、世界は穏やかな静寂を連れてくる。思ったより、世界は僕たちに優しいのかも知れない。
「だとしたら……わたくしたちがいた意味とは、何だったのでしょう」
 膝を抱えて座り込んでいたクイーンが、乾いた声で呟いた。思いを巡らせた結果、自分でも意識しないうちに言葉になってしまったのだろうか、思いがけなく僕らの視線を集めることになったことに気がついたクイーンは、取り繕うように弱い笑みを浮かべた。
「ふと、考えてしまったんです。わたくしたちは、脅威にさらされた世界をどうにかしようとして、戦うことを決めましたよね。それが正解なのか、判断のつかないまま」
 僕たちの顔をひとりひとり見返しながら、クイーンは言葉を選ぶように言う。
「でも結果的に、こうして魔導院が破壊されて、誰の気配も感じられなくて、セブンやトレイの言う通り本当に世界が終わりそうで……。どう考えても、めでたしめでたし、というわけにはいかないような、そんな気がして仕方がないんです」
 震えるため息を長く吐き出して、クイーンは目を伏せた。そんなことはない、とは誰も言えないだろう。クイーンの考えていたことは、少なからず僕たちも考えていたことだから。でも、肯定することもできそうになかった。世界にとって何が最善だったのか、僕たちの選択が正しかったのか、今となっては僕たちに知る由はない。何よりも僕たちは、僕たちのしたことがすべて後悔に変わってしまうことを恐れていたのかも知れなかった。
 肩を落としたまま、クイーンは続けた。
「そう思ったら、悲しくなってしまって。わたくしたちがしたことは、何だったのだろうって。わたくしたちがここにいて、生きて……死んでいく意味なんて、どこにもありはしないのではないか、と」
 ずっと秘密にしてきたことをこっそり告白する時のように声を潜めて、クイーンは小さく笑った。今この時でも、そんなことを考えてしまった自分を――すべてを受け入れることをまだどこかで拒んでいる自分を、恥じるように。
「……深刻に考えるの、ちょっとだけやめてみない?」
 沈みかけていたあたりの空気を払いのけるように朗らかな声を出したのは、ジャックだった。誰よりも早くジャックを見たのは、クイーンだ。何か言おうと口を開きかけたクイーンを遮るように、ジャックは微笑んで首を横に振った。
「クイーンはさ、やっぱり僕らより真面目だから、そんな風に考えちゃうだけなんだよ。僕、言ったよね? 前向きになれば、前向きな未来が描けるんだよって」
 ねぇ、と僕たちを見まわして、ジャックは言う。そういえば、そんなことも言ってたっけ、と僕は思い出していた。ジャックらしくない、珍しく筋の通ったその一言が、僕たちの迷いを洗い流してくれたということも。
「そもそもさぁ、世界が終わるなんてこと、トレイの勝手な想像なんだしさ。まあ確かに、これだけ静かで誰もいそうにないってなると、そう考えちゃうのもわかるけど、世界は広いんだよ? きっと無事に生き残ってる人たちだって、たくさんいるはずだよ」
「そうですよ、クイーンさん」
 明るく跳ねさせた声で、デュースも頷く。クイーンだけではない、ジャックにも、僕たちにも、そして自分自身に言い聞かせるように、デュースは続けた。
「ちゃんとあるんです、わたしたちがいた意味も。だって少なくとも、もう誰も戦う必要なんてどこにもなくなったじゃないですか」
 毅然と背筋を伸ばして、まなざしに力を込めて、デュースははっきりとそう言い放つ。どこか叱りつけるような厳しさと、聞き分けのない子どもを諭すような優しさがないまぜになった表情で。
「わたしたちが決めて、わたしたちがやり遂げたんです。戦わなければならなかった世界を、戦いのない世界にすることを。もう、誰も傷つくことのない、新しい世界に……」
 だから、胸を張ろう。自分たちが創り上げた世界を祝福しよう。僕には、デュースが全身でそう叫んでいるように思えた。一滴の憂いもない微笑みはまるで、クイーンを――僕たちを引きずり込もうとしていた重く暗い泥濘を吹き飛ばす一陣の風のようだった。
 不思議だった。今度こそ、僕たちをがんじがらめにしていた見えない鎖が、ひとつ残らず粉々に砕け散って跡形もなく消えてしまったみたいだった。弱まってあとは消えるだけだと思っていた生きる力、みたいなものが、再び息を吹き返して身体の奥から声を上げている。そしてまた、僕は思い知らされる。行き着いた答えは、ひとりでは決して見つけることはできなかったのだ、と。



 この世に生まれた理由、生きてきた意味、決断したことが正しかったのかどうか。そういうものは全部、僕たちが――その流れに身を置いていた本人が知り得ることではないのかも知れない。
 今この時が、例えば歴史の通過点の一つとなっていたとしても、そうとわかるのはずっと後のこと。続いていくだろう時間と、その先に生きる人たちが決めることなんだと、僕は思う。

 誰に認めてもらわなくても、歴史の中に埋もれてしまったとしても。
 何の根拠がなくても、もしかしたら都合の良い空想にすぎないとしても。
 そして、僕たちが、いなくなってしまったとしても。
 誰も戦うこともなく、傷つくこともない世界は続いていくんだと。
 他の誰でもなく、僕たちがみんなでそうすると決めてやり遂げたんだと。

 そう信じることができるだけで、僕たちの心はこんなにも軽く、そしてあたたかで穏やかな光に満たされている。
 ひとりきりでは絶対に訪れることのなかったこの安らぎに似た喜びを、その奇跡を、僕はひそかに身体中に焼きつけた。
 決して忘れないように、強く、しっかりと。





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