そうだな、ってキングさんが答えた。
ああ、終わったんだな、と教えられて、突然思い出した。
わたしが、思い描いていた“もしも”。
もしも、わたしたちの世界に、戦争なんて起こっていなかったら。
争いなんて影も形も存在していなくて、わたしたちがごく普通のわたしたちであったならば。
あり得ないことだとはわかっていても、想像するのは楽しかった。誰も武器をとる必要のない、銃弾や襲撃や、血の匂いや傷つくことから遠ざけられた、安全で平和な世界。そんな世界だったならば、わたしたちはどんなわたしたちになっていただろう。
ケイトさんの言うように、旅をするのもいいかも知れない。マザーも誘って、みんなで。チョコボに乗ってもいいし、のんびり歩いていくのもいい。時々、街に立ち寄ったりして。
それが終わったら、と声をあげたシンクさんに、エイトさんが戦い以外の知識を学ぶのは、と提案した。戦い以外のことを、わたしたちは何も知らない。わたしたちの生きる世界のこと、生きているということそのものの意味すら。戦いが終わったなら、わたしたちは生きることを考えなければならない。それはきっと、今までよりもっとずっと楽しくて美しくて、胸が躍るに違いなかった。
それも終わってしまったら、例えば、十年後は――。
十年後。遠い未来のこと。わたしは、その場面を思い描こうとした。あり得ないことと割り切りながら想像した時のように。今みんなで話し合った勢いのまま、そのはち切れそうな期待と希望を糧にして。
だけど、どうしてだろう。どんなに考えても、どんなにその未来をたぐり寄せようとしても、それは決して頭の中で形にならなかった。
もう、想像なんかじゃない。誰にも言えなかった秘密の夢物語じゃない、だって、戦いは終わったのだから。なのに、どうして――。
わたしは、視界がぼんやりと熱く霞むのを必死で堪えた。きっと世界は、わたしたちを置き去りに、その姿を変えていくのだろうということに気づいたから。やがて来る本当の世界に、わたしたちは存在しないのだということに。
みんなも、きっとそれに気づいている。気づいていながら、それには触れずに未来を思い描こうとしている。来るはずのない未来、この目で見ることのできない、新しい世界。そこに生きる、私たちの姿を。
だから、わたしも言う。今は、苦しみを笑顔の裏にそっと隠して。十年後なんて想像もつかないと、笑うキングさんに。同じように笑って、未来のことを考えているみんなに。
「でも、みんな一緒なら、十年経っても楽しそうです」
不思議だった。なぜ、そんなことができたのか。でも、同じくらいはっきりわかっていたことがある。過去も今も、未来でも。たとえ世界がその姿を変えてしまっても。わたしたちが一緒に、同じ時を生きたという事実は絶対に変わらないということ。
今までも、これからも、ずっと一緒。何があっても、怖くない。
そう思えた幸せも、きっと永遠に変わらない。