ふと遠くを見ると、山がぼうっと霞んで見えた。春霞だ。もう、あれから一年経ってしまったのか。

「N… お前、どこにいるんだよ…?」

Nがいなくなったのは、世界が奪われそうだというのに、とても暖かい麗らかな春の日のことだった。サヨナラと言った、Nの少しだけ悲しそうな、それでいて笑っているあの顔は、今でも鮮烈に僕の目に焼き付いている。
あれから、ハンサムさんと一緒に七賢人を見つけたけれど、Nを探しには行けなかった。ハンサムさんは元から違う地方の人だから、別の地方に行く力を持っている。僕はと言えば、レシラムに乗って行けば、どこにでも行けるんだろう。Nはゼクロムに乗って遠くへ行った。レシラムに乗って、追いかけたかった。
けれど、母さんは悲しむだろうし、ベルも泣くだろうし、色んな人に迷惑を掛けてしまうだろう。
一時期、それでも行こうと思っていたけれど、チェレンに叱られ、トウコになじられ、僕は考え直した。
そのとき気付いたことは、トウコもチェレンもベルも、Nが好きだったということだ。あの、可哀相な青年のことが。
悲しい出来事が起きたのどかな春の日。またそんな季節になって、異変に最も早く気付いたのは、幼馴染みのチェレンだった。

「なぁトウヤ」

僕が草むらに寝っ転がって空を眺めていると、チェレンが覗き込んできた。

「何?」

「なんか、ポケモンたちが騒いでないか?」

「…そうかなぁ」

「気のせいじゃないと思うんだ」

それだけ行って、チェレンは一番道路の方へ走り去っていった。
チェレンははっきりした性格の持ち主。とても頑固だ。そして、鋭い観察眼と洞察力を持っている。熱くなりすぎて、周りが見えなくなるのが珠に傷。
そのチェレンが、「ポケモンが騒いでる」って言うんだから、本当になにかあるんだろう。
かったるいけれど、このまままどろんでいたいという思いをどこかに追いやって、僕は起き上がった。
そして、違和感を感じた。
レシラムのモンスターボールが揺れている。チェレンはポケモンが騒いでると言ったけれど、他のポケモンたちは大人しい。レシラムだけが、外に出たがっている。
伝説ポケモンをむやみやたらと外に出したくないんだけれど、カノコタウンは田舎だし、大丈夫だろう。そう思って、僕はレシラムをモンスターボールから出した。
出した瞬間、耳をつんざくような音が響いた。
レシラムの咆哮。それは遠くまで響き渡った。長く強く響く音。
すると、返事が返ってきた。少し遠くから、くぐもった音。空にぽつりとある黒い点。点はみるみる大きくなって、ゼクロムは僕の前へと、地響きとともに着地した。
背中から、誰か降りて来る。
誰か、なんて、もう分かりきっているんだけれど。

「……N」

「へへ… 久しぶり。遊びに来ちゃった」

へらっと笑い、緑の髪を揺らしてNはそう言った。外見はほとんどなにも変わってない。

「…ばかじゃないの」

気がついたらそう言っていた。Nはポカンと目を見開いて僕を見ている。

「人の気も知らないで、勝手にどっか行きやがって。必死で探したんだぞ、チェレンもベルも。それなのに、のこのこ帰ってきて…『遊びに来たよー』なんて…」

最後の方はもう泣き言だ。Nが帰ってきたのに、僕は何故か喜べない。

「ごめんね」

その声は、不意にはっきりと僕に届いた。

「心配かけてごめん。でも、他の地方に行ってみたら面白くって、帰るに帰れなくなっちゃったんだ。変わったポケモンがたくさんいて、緑豊かで。イッシュに帰りたくなくなるくらい。でも、やっぱりこの地方がボクの故郷だから。だから戻ってきたんだ」

昔と変わらない早口。そう一気に全部言わないでほしい。でも、やっぱり昔と全然変わってなくて、ほっとした。Nは、全然変わらないんだな。僕はちょっと、背が伸びたんだよ。

「さて… じゃあ、ボク帰るね」

唐突にそう告げられた。相変わらず予測不可能。

「帰る?」

「うん、ボクの城に」

ああそうか。Nはもう城が無いことを知らないのか。というか、今戻ったらハンサムさんに見つかって、捕まっちゃいそうだな。

「帰るなよ、N」

「え?」

「チェレンもベルもトウコも、お前に会いたがってる。それに、お前の城には多分もう誰もいない」

「じゃあ、ボクどうしよ… 帰っても一人かあ… そうだよね、ボクは英雄になれなかったし」

それを言われると少し胸が痛む。Nの夢をぶち壊したのは僕だし、七賢人を探し出したのも僕だ。

「僕の家に、来いよ」

「え…?トウヤの、家…?」

「あんな城みたいにでかくはないけど、昔父さんが使ってた部屋が空いてるから… 父さん、滅多に帰って来ないし」

そうすれば、ずっとNと一緒にいれるし、とは言えなくて、適当に理由を並べた。Nにはもういなくなってほしくない。けど、恥ずかしくて言えない。と、笑顔でNはこう言った。

「じゃあ、そうするよ。キミの家でお世話になろうかな」

あっさりそんなことを言ってしまうのは、まだ人間に慣れていないからだろうか。そういうことも、教えていかないと。
今はとりあえず、

「帰ろうか」

「うん、帰ろう!」

うきうきとスキップしていくN。僕の家を知らないはずだから、僕が先に行かないと駄目なのに。相変わらず、子どもだなあ。でも、そういうところが好きなんだ。
早く、帰ろう。



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