シルバーと付き合い始めて二ヶ月とちょっと。今は8月。陽光が容赦無く降り注ぎ、テレビからはアナウンサーが日射病対策について話している声が毎日聞こえていた。

「ヒビキくん…宿題終わった…?」

「終わんないよ…コトネちゃんは?」

「半分も終わってないよ…」

コトネちゃんは僕の幼馴染み。僕らは今、夏休みの宿題に殺されかけているのだ。
僕の部屋でクーラーをガンガンに効かせて、寒いから一枚上着を羽織って、麦茶飲んで、ワークブックと鉛筆と消しゴムを机の上に散らばして。
ちょっとエアコン切った方がいいんじゃないかなぁ、健康に悪いしなぁ、でもコトネちゃん怒るしなぁ。
僕はそんなことをうだうだ考えながら宿題をやろうにも全く進まず、さっきからひたすらペン回しをしてるだけ。

「シルバーは宿題終わったのかな…」

もしそうだったら写させて貰いたいなぁ。
そういうつもりで僕は呟いたんだけど、その一言でコトネちゃんに野次馬スイッチが入ってしまったようだ。

「ねぇヒビキくん、シルバーくんとはどれくらい進んでるわけ?」

「えー…別に大したことはして無いと思うけど…」

まずい。コトネちゃんの目がキラキラしてる。

「デートはしたわよね?」

「してないよ…シルバー嫌がるもん」

「えぇー?ちょっとそれ付き合っててどうなの?あ、キスはしたわよね?」

「…ま、それは、ね」

恥ずかしいなぁ…聞かないでよそんなこと…

「べろちゅー?」

「ばっ…か!そんなの…!」

「図星か…やることやってんじゃない」

だめだ、コトネちゃん凄く楽しそう。勝てる気がしないよ。すごく嫌な予感もする。

「で?えっちは?したの?」

「…してない」

「でしょうねー!ヒビキくんヘタレだもん!」

コトネちゃんは思ったことをズバズバ言う。これが結構キツい。

「もう付き合って二ヶ月でしょ?そろそろ襲ってもいいんじゃない?」

「え…いや、その…」

「ヒビキくんだって男だし、襲っちゃいたいでしょ?」

これだからコトネちゃんは困る。人をからかうのが大好きなのだ。
別に僕はこのままでもいいと思っている。シルバーはガードが堅いから、どこかで諦めちゃってるのだ。
ただ、ふと時折、あの白い肌を蹂躙し、堪能したくなることもあるけれど。それでも、それは後悔するだろうから、思いとどまる。

「明日」

「え?」

「明日、私カラオケ行くの。だから、明日は私の代わりにシルバーくんでも呼んだら?」

このタイミングでそれを言うってことは、そういうことなんですねコトネちゃん。

「…うん。分かった。襲わない」

「ヘタレ」

うっ、と詰まった。否定できない。

「じゃ、私帰るね。ヒビキくんばいばーい!」

そしてそのまま唐突に、いつもの笑顔でコトネちゃんは帰っていった。
冷房が効きすぎていて、部屋は妙に寒かった。
寒い部屋から逃げるように廊下へ出た。じとりと湿った空気が纏わりついた。温い空気は冷たくなった腕に心地よかった。
シルバーに電話してみる。
シルバーはすぐに出た。

『…もしもし』

「…ぁ、シルバー、」

『なんだ』

電話越しに聞く声はいつもとどこか違っていて、妙に緊張する。

「あ…のさ、明日僕んち来ない?宿題、一緒にやろ」

『…分かった。何時に行けばいい?』

まさか、こんな急な申し出を受け入れてくれるとは思っていなくて、一瞬、手から電話が滑り落ちそうになった。

「…あ、じゃあ、午後1時くらいに家に来て」

『…分かった。じゃあ、明日な』

「うん、また明日」

ピ、と電話を切って、思わず溜め息をつく。緊張して、上手く喋れなくて。だから電話は少し苦手。
心臓はどくどくいってる。壁がヒンヤリしていて気持ちいい。
シルバー、早く、来ないかな。
そんなことばっかり考えて、一日を儀式的にやり過ごし、気が付けばもうすぐ約束の午後1時になろうとしていた。僕はあれからどうやって過ごしていたのか、ちっとも思い出せない。
悶々としている間に時計の針はカチリカチリと進む。インターホンが鳴り響く。
ああ、シルバーだ。

「シルバー!あ、どうぞ、上がって」

少し声がひっくり返った。なんだよ、シルバーが遊びに来るのはこれが初めてじゃないじゃん。なに、緊張してんだ、僕。

「おじゃまします」

夏、外は晴。暑かったのだろう、珍しく後ろでまとめ上げられた少し長い髪の下、首に汗が一筋。
そんな些細なことに、心臓が跳ねた。
コトネちゃんのせいだ。コトネちゃんが昨日、あんなこと言うから。

「…おい、ヒビキ?」

少しの間、僕は固まっていたらしい。シルバーが訝しげにこちらを見ていた。その瞳にまたどきりとする。

「…ぁ、ごめんシルバー。先に僕の部屋行ってて。麦茶持ってくから」

「分かった」

一旦落ち着こう。落ち着け心臓。いつもとおんなじシルバーだ。なんでこんなにどきどきすんの。落ち着けよ。麦茶零したらまずいんだって。

「はい麦茶」

「ああ、サンキュ」

部屋に行ったら、既にシルバーは宿題を初めていた。さすが優等生。
ペンが動く度に、一緒に赤い髪が揺れる。邪魔だというように、耳に掛ける。
…あ、なんか、ちょっと色っぽいな、とか無意識に考えてしまっている自分がいた。慌ててそんな考えを消して、勉強に集中しようとするんだけれど。するんだけれど!

「…シルバー」

「なん…、んむっ…」

気付いたらキスしてた。それだけ。そうだよ、それだけ。
揺れる髪があって。髪縛ってるから首筋がえろくて。でもそれだけ。
コトネちゃんの言った通り、僕はヘタレだから。べろちゅーするのだって、恥ずかしい。その先なんて、きっと、無理。シルバーが可愛いから、こうやってキスはしちゃうけれど。

「…っふ、ぁ、…なんだよ、いきなり」

「…ごめん、やだったよね。暫く、しないから」

泣きたかった。シルバーは大抵キスを嫌がる。手を繋ぐのも。恥ずかしいだけなのかもしれないけれど、嫌がってるから、そんなにしないようにしていたのだ。
けど、思わずキスしちゃったから、謝った。

「…嫌だなんて、言ってない」

不意にその声ははっきりと届いた。

「別に、…嫌じゃ、なかった、から」

シルバーの頬が赤い。
ぽたりと雫が落ちた。ああ、僕、泣いて、る。
神様。これ、嘘なんかじゃ、夢なんかじゃ、ないよね?



(シル、バー…)
(なに泣いてんだ)
(…何でもない!)


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