すぐ隣から、ヒビキの寝息が聞こえる。 ここはトキワの森だ。ただし、正確な位置は分からない。少し、道に迷ってしまったのだ。 日が沈む前に森を抜けるはずだったが、出口が一向に見つからず、同じ所をぐるぐる歩き回っている途中でヒビキを見つけた。 ヒビキも疲れているように見えた。 取り敢えず、面倒くさいので無視しようとしたのに何故か目が合ってしまった。 「あ、シルバー。久し振りだね」 ヒビキは目が合った途端にニコニコと笑いながらこちらに近付いてきた。 初めて会った頃は無意味に対立していた。今はそうでもない。普通、なのだ。 「ところでシルバー、」 と、ヒビキが何か言いかけたところで、ぽつり、と冷たい雨粒が鼻の頭に落ちてきた。 頭上には、分厚く黒い雲が重く広がっていた。 大粒の雨が木の葉を叩く。 すぐに土砂降りとなった。 「シルバー、どっかで雨宿りしないと…!」 「…ああ、捜そう」 土砂降りの雨が森の葉に叩き付けられ、その雨音のせいでヒビキの声は聞き取りにくかった。 道は酷くぬかるみ、水溜まりばかりになった。 ただ、運が良いことに、俺たちは森の主であるブナの大木の近くにいたのだ。 そこは、美しく死にゆくブナが静かに寝転がって休んでいる、トキワの森の最深部だった。 大木の根は奇妙に捩じれ、土から大きく盛り上がり、内側に洞ができていた。 「シルバー、ここで雨宿りしよ」 雨は冷たかった。すぐに休みたかった。幸い、洞の中は雨に浸食されてはいなかった。 洞の中に入って、二人ともタオルで雨を拭った。服は水分で冷たく重くなり、俺たちから体力を奪っていた。 「寒い…」 思わず俺はそう呟いた。カタカタと細かい震えが止まらなかった。もしかしたら、風邪を引いたのかもしれない。 ふと横を見ると、ヒビキはゴソゴソとザックから色々なものを出していた。 ランタンの横にメロンパンとカレーパンが置かれた。 「シルバー、弁当とか持ってる?」 「…持って無い」 森を抜けたらニビシティがある。そこで食事を取るつもりだった俺は、食料を持っていなかった。荷物は軽い方がいい。でも、一つぐらいなにか持っていればよかったな、と思った。 「じゃ、はい」 「いや、いい」 ヒビキは俺にメロンパンを差し出した。右手には既に食べかけのカレーパンを握っている。 「それはお前のだ。お前が食べろ」 「やだよ。ぼくだけ食べてるなんて、気分悪い」 そう言って、ヒビキは俺の方にメロンパンを放ってよこした。思わずキャッチする。 「食べろよ」 ヒビキは強い口調でそう言って、あとは黙々とパンを食べていた。 袋に包まれていたメロンパンは、雨に濡れていなくて、皮がさくさくで、程よく甘くて美味しかった。 「シルバーってさ、甘いの好きでしょ」 ヒビキが毛布を引っ張り出しながらそう言った。 「…なんで」 「口元。笑いながら食べてた。…うわ、毛布びしょ濡れだ」 自分は笑っていただろうか。確かに甘いものは好きだけれど。 「毛布なら貸してやる」 「え?いいの?」 俺はビニール袋の中に毛布を入れていたため、毛布は気持ち良く乾いていた。ばさり、とヒビキに投げた。 「パンのお返しだ。お前が使え」 「…シルバーは?」 「俺はいい」 「よくないよ!雨に濡れたし、陽が出て無いから寒いよ!」 そう言ってヒビキは、俺に毛布を投げ付けてきた。 「…お前が使えって」 「いいよ別にパンのお返しなんて。ぼくが勝手に押しつけたんだからさ」 「借りは返す」 俺がそう言ったら、ヒビキは木の根に手を付いて溜め息を吐いた。 「…分かったよ」 暫くしてヒビキが毛布を手に取り、ふわりと広げた。そのまま俺の隣に腰を下ろして、俺ごと毛布にくるまった。 「ちょ、ヒビキ…」 「なんだよ。これでいいじゃん」 毛布よりもヒビキの腕が温かくて、妙に居心地が悪かった。何故か緊張して喋れなかった。 暫くして、隣から寝息が聞こえてきた。 幼い寝顔があった。馬鹿みたいに何も知らない子どもの顔だった。こいつがロケット団を潰したなんて、到底考えられなかった。 雨の音とヒビキの寝息が、子守歌になった。 子守歌 (寝息が、体温が、) (ゆるゆるとこちらに) (伝わってくる) back |