ボクはトウヤの家に居候している。
トウヤのお父さん、詳しいことは分からないけれどしばらく帰ってないようだ。
ボクはトウヤのお父さんの部屋を借りている。
トウコはアララギ博士の研究所に泊まっているそうだ。

「Nも来る?いっぱいポケモンいるわよ」

軽い調子でトウコはボクにそう言った。
行こうとしたらトウヤに止められたけれど。トウコもトウヤに叱られてた。女子なんだからどうとか、こうとか。
あのときは確か春だった。もう一年も前のこと。
最近、トウコは忙しそうにしている。
なにやら荷物を持って、ベルの家と、トウヤの家、そして研究所の間を走っている。
ボクが話し掛けても、気付いてくれないことも多かった。
そんな訳で、少し寂しいけど、トウコとはもう一週間も話していない、と思う。
春風が気持ちいい。そんな風にして、いつの間にか今日も昨日も過ぎていた。
空を見ると、うっすら茜色になり始めていた。
そのまま薄く紫色が広がり、オレンジと紫の淡いグラデーションに変わった。
夕闇が近付く。トウヤに一番気を付けるように言われていること。日没までに帰ること。

「カノコタウンは田舎だから、夜は真っ暗なんだ」

耳の底でトウヤの声が響いた。
トウヤの家に帰ると、美味しそうな匂いがしていた。
これは多分、ハンバーグ。
と、トウヤがボクに気付いた。

「N、おかえり」

「ただいま。…トウヤ、どうかした?」

トウヤの表情が、いつもより暗く感じた。光の加減だろうか。

「…さっきトウコが、お前の部屋に入っていったよ」

「トウコ、遊びに来てたの!?」

そこでトウヤはボクからふっと目を逸した。

「いや、すぐに帰った」

なんだろう。違和感がある。なんか変。トウコが来てすぐに帰っちゃうなんて。トウヤがボクから目を逸らすなんて。
嫌な予感がして部屋に行くと、テーブルの上に手紙があった。可愛い絵柄。いつもカッコいいトウコが、こんな可愛いレターセット持ってたんだ。
開いてみると、少し筆圧の強い感じのトウコの字で、手紙が書かれていた。


Nへ

あたしはまた旅に出ることにしました。
カノコは好きだけど、あたしはやっぱり旅が好き。
じっとしているのはもう無理なんだ。
アララギ博士から、また最初の一匹を貰いました。
今度は全国図鑑!だから最初の一匹はヒトカゲだよ。
イッシュ地方をぐるっと一周したら戻ります。
でも、もう一回ジムを周るし、時間がかかるかも。ジムリーダーは手強いもの。
でも、必ず帰って来るよ。
あたしがいない間に、またNがいなくなるなんてゴメンだからね。
いなくなっちゃ駄目だよ。
直接言いたかったけれど、博士の都合もあって急いでるの。ごめんね。
あたし、Nのことが好きだったよ。
また会おうね。
トウコより



「…嘘だ」

「嘘じゃねぇよ」

いつの間にかボクの後ろに、ドアを開けてトウヤが立っていた。
少し壁に寄り掛かって、腕を組むトウヤを格好いいと思った。

「トウコはもう此処にはいない」

その言葉で現実に引き戻された。

「だって…そんな、」

「そういう奴なんだ。N、お前は知らなかったかもしれないけれど、トウコはずっと此処にいるような奴じゃない」

「…そんな」

もう泣きそうだった。
何も知らなかった。トウコはずっといると思ってた。トウコもトウヤもベルもチェレンも、誰もいなくならないと思ってた。

「…トウコに言われた」

「…え?」

「Nのこと、見張ってろって。どっか行っちゃわないように」

「そんなの…もう何処にも行かないよ」

本当にそう思ってた。色んな人がボクを探して、待っててくれたから。
だから、トウヤに何を言われたのか一瞬分からなかった。

「嘘つき」

「…え」

「今、お前さ、トウコ追いかけようと思ったろ」

「…それは、」

はあ、とトウヤが溜め息をついた。

「待ってろよ、此処で大人しく。トウコが帰って来ないなんて、有り得ないから。お前、下手に動くなよ。トウコが帰って来るって言ったんだから」

涙で視界がぼやけた。今すぐトウコに会いたかった。
でもだめだ。
それをトウコは望んでない。

「待っててやれよ、ちゃんと」

トウヤが部屋を出て行くとき、ドアが虚ろな音を立てた。
手紙の最後の一行が、瞼の裏にこびりついていた。


(これじゃあ返事が)
(出せないじゃないか)
(ボクも好きなのに)


―――――
トウヤもNのことが好き
Nはトウコが好き



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