彼らの間を隔てるもの。まずは距離。飛行機で半日分の物理的距離。そして仕事。彼も彼女も多忙な身である。最後に時差。彼の部屋の時計が午後9時を示しているならば、彼女のホームステイ先にある豪奢な柱時計は午前9時を知らせる。彼女がいる場所の方が12時間遅いのだ。


「……でさ、その子の家っていうのが、ちょっとしたお屋敷レベルなんだよねぇ。…1人暮らしなのに」
『どこのご令嬢だ?』
「お父さんがすごい検事だったんだよ。ほら、狩魔豪検事」


電話の向こうで、彼は得心のいった様子で返事をした。彼らが法曹界に足を踏み入れた時、既に件の検事はいなかった。それでも、その“伝説”はよく知っている。


「その娘さん…冥ちゃんていうんだけど。その子の家に、居候させてもらうことになったの」


アメリカ到着の翌日。柊は、日本にいる夕神と電話していた。


「お手伝いさんまでいるし、私がすることなーんもないよ。せっかく、泊めてくれるお礼に和食作ったげようと企んでたのに」
『お前、料理だけは上手いからな』
「この7年で練習したからねぇ。あなたが釈放されたら、美味しいもの食べさせてあげたくて」


刑務所のご飯って物足りないから。さらりと照れるようなことを言ってくれるが、夕神はそんなことで顔色を変える男ではない。心の中はどうあれ、彼女の言葉を軽く流して話題を切り替えた。


『ところで、研修今日からだろ?呑気に電話なんかしてていいのか?』
「んー、大丈夫だよ。多分」


そこで柊は、ちらりと前方に目をやった。


「………」
「…うん、まだ、平気」
『まだ、って何だよ』


軽くため息をついた。しかし夕神は内心、柊が元気そうなことにほっとしていた。行く前にあれだけ嫌だと言っていたから、どうなるかと心配だったのだ。彼女の話では、ホームステイ先の家主とも仲良くやれそうらしいし、一安心といえる。


『…ま、やってけそうで何よりだ』
「うん。…ごめんね、心配かけて」
『今に始まったことじゃねェよ』
「お互い様だね」
『違えねェ』


お互いに心配をかけたりかけられたり。きっと、彼らはそれでいいのだろう。それから他愛のない話をして、柊はふと顔を上げた。すると、さっきより鋭角な視線が射抜いてきた。


「あー…もうやばいかな?」
『あ?』
「ごめん、そろそろ研修始まるから切るね」
『おう。ちゃんと真面目にやれよ』
「わかってるよー」


あははと笑ってから、ちらっと注がれる視線を見返した。鋭い目が「早くしなさい」と訴えている。柊は、にこりと微笑んだ。


「じゃあ、またね。愛してるよ」


電話の向こうの声は、『はいはい、俺もだよ』と返してくる。


「棒読みじゃないですか。…まぁいいんですけど」


それを最後に、通話を切る。


「…やはり疑問だわ」
「ん?どしたの、冥ちゃん」


鋭利な視線を向けてきていた彼女は、車の助手席で座り直した。


「御剣怜侍の人選が、よ。あなたのように自覚の足りない検事を、何ゆえ送ってきたのかしら」
「自覚が足りないんじゃないよ。いい感じに力抜けてるだけだよ」
「自覚だけではなくやる気も欠如しているようね」


やっぱり手厳しい言い方だった。このいかにもな女王様は狩魔冥。アメリカ在住の女性検事で、柊の上司である御剣とは家族同然らしい。そのため、柊のホームステイ先として白羽の矢が立ったのだった。冥の家で一夜過ごした次の日、柊は例の黒塗りの車で会場となる某有名大学に向かっていた。


「念の為確認するけれど。本研修は、○×大学の法学部と合同で行われる。私とあなたを含め10人の現職検事が、検事志望の学生に対して講義や演習を行う形で進められるわ」


検事同士での討論会なども設けられ、なかなか盛りだくさんな内容となっている。ちゃんと頭に入っているので、冥の話は形だけ神妙に内心では聞き流す。


「覚悟を持って完璧にこなすことね。私が指導するからには、負けは許されないわよ」
「勝ち負けの問題なの?」


柊のツッコミは華麗に無視された。そうこうしているうちに、巨大なレンガ建築の建物が見えてきた。車は建物の門前に停車し、運転手が先に降りる。そしてわざわざドアを開けに来てくれた。


「あ、お構いなく」


どれだけお嬢様なの、と横目で冥を見つつ、恐縮しながら降車する。目の前の建物は、柊が通っていた大学とは桁違いに規模が大きかった。こんな大学の法学部なのだから、学生の数もさぞ多いのだろう。異国の検事もたくさん顔をそろえる。皆の前で冥のムチに引っぱたかれる事態だけは避けなきゃなぁ、と大仰な正面扉を眺めながら思った。




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