日本から飛行機で約半日。久々のアメリカは、生憎の曇り空だった。日本は快晴だったせいもあって、同じ空とは思えない。柊は空港の入り口横の柱に寄りかかり、何となく往来を眺めていた。偶然だが、8年前に日本へ帰った時も同じ空港だった。以前ここに立った時は、念願の検事資格を取得したばかりで、これからやっていけるだろうかという不安と、それ以上に大きな期待でいっぱいだったように思う。あれから様々な出来事があった。やはり実際現場に出てみたら理想と現実の矛盾に悩んだ。そして、厄介な証人の扱いにも慣れたと思えてきた頃、一番大事な人がいなくなった。数えてみたらこの8年、苦しかったことの方が多いような気がする。それでも、検事という仕事を辞めるつもりは毛頭なかった。結局、この仕事が好きなんだと思う。気が進まなかったとはいえ、わざわざ海を越えて勉強しに来てしまうくらいだし。 「…そろそろ、かな?」 時計を確認すると、そろそろホームステイ先の人が迎えに来てくれる頃合いだ。さすがに3ヶ月もホテルに泊まらせてくれるほど、局の財政は豊かではないようだ。これからご厄介になる家の人は、なんでも御剣局長の親しい人物だそうだ。親戚のようなものだし、女性だからと言って紹介された。その女性も検事で柊と同い年なのだという。あの御剣と家族みたいな存在で、検事。どんなキワモノが出てくるやら。楽しみなような怖いような、複雑な気持ちで待っていると、視界に若い女性がひとり入ってきた。銀髪に泣きぼくろの、相当な美人だ。しかしその服装はけっこう派手だった。ひらひらした白いスカーフを首に巻き、青い石のブローチで留めている。そして手にはムチを持っていた。……ムチ? 「これは…絵に描いたような女王様だねぇ」 美人だし、あのムチで叩かれたいっていう殿方は多いんだろう。ちなみに柊は叩かれるより叩きたい方である。ついでにいうと、彼女の恋人も斬られるよりは斬りたい方だ。しかし根が真面目で優しい彼なので、柊に対してそんなことはしない。主に、法廷で話を聞かない証人や変なことを言った弁護人に対して行われている。さぁ、女王様の家来はどこだろう、とほんの興味で辺りを見回すが、誰一人彼女の前にかしずく男性はいない。すると、当の女王様がこちらを向いた。むやみに射抜くような視線がまっすぐ注がれる。 「…こっち来る…?」 女王様は大股でこちらに歩いてきた。周りには柊以外誰もいない。…え、私ですか? 「そこのあなた」 あっという間に女王様は柊の眼前に立ち、流暢な日本語でそう呼ばわった。目の前にいるんだから「そこ」も「どこ」もないじゃないかと思いつつ、返事をする。 「…私ですか?」 「他に誰がいるというの」 見た目に違わず角のある声だ。第一印象としてはあまり良くないけれど、普段相手にしている証人たちに比べたら可愛いものだ。 「比良城柊ね?」 「ええ、そうです」 「拍子抜けしたわ。もっと骨のありそうな検事が来ると思っていたのに」 「よく言われます」 「ふん。…私は狩魔冥、天才検事よ」 うん、やっぱり女王様だ。ここまで露骨だと逆に好感が持てる。 「研修期間中、あなたに寝る場所を提供することになった。せいぜい感謝することね」 「はい。お世話になります、冥ちゃん」 「……何ですって?」 「御剣局長から聞きました。あなたは私と同い年なんですよね?恥ずかしながら私、同い年の女の子の友達って1人しかいないんですよ。だから、あなたと会えたのがすごく嬉しくて」 「…この私に、友人になれと?」 「さすが天才検事さん、話が早くて助かります。不束者ですが、仲良くして下さい」 「バカなことを。私は本研修においてあなたの指導員も担当するのよ。教官とお呼びなさい」 「もちろん研修中はそうします。でも、それ以外ではお互い堅苦しいのはなしにしましょう」 せっかくのご縁ですし、ね?軽すぎない口調でそう言うと、天才検事どのはギリギリと構えていたムチを戻した。 「…口だけは達者のようね」 「そうじゃないと検事なんてやってられませんからねぇ。…あ、研修以外では敬語やめてもいいですか?」 「己の立場を分かっていないわね。ダメに決まって……」 「いやぁ、あなたみたいに綺麗で才能溢れる人が指導員なんて、私はなんて運がいいんでしょうねぇ」 「私が天才で、かつ美しいのは当然のことよ。何を今更」 「おっしゃる通り。あまりにも素晴らしいので、思わず再確認したくなるんです」 その、漫画みたいな女王様具合がね。…とは、もちろん口に出さない。天才女王様は、フンと鼻で笑って腕を組んだ。 「よくもまあ、耳触りのいいことばかり並べ立てられるものね。そうやって法廷で墓穴を掘る様子が目に浮かぶようだわ」 「日常茶飯事ですね」 「…まぁいい。勝手になさい」 一応のお許しを得て、早速「よろしくね、冥ちゃん」と笑ってみせると彼女はため息をついただけだった。……意外と素直な人なのかな。何だか仲良くなれそうで良かった、と思っていると、冥が踵を返して歩き出した。置き去りにされるのは困るので、慌てて呼び止める。 「これからどうするの?」 「私の家に向かう。明日からの予定を説明するわ」 「冥ちゃんの家ってどの辺?」 「車を呼んである」 それだけ言って、さっさと歩いていく。 「あの、荷物けっこうあるんだけど…」 「自分の物は自分で持つ。常識でしょう」 にべもなく言って、女王様は人ごみに消えつつある。多分はぐれても探しに来てくれないと思うので、急いで荷物を持ってついていった。 「冥ちゃーん!待ってー」 「早くしなさい、比良城柊」 「柊でいいよ」 やっと追いつき、にっこり笑って顔を覗き込むが、女王陛下はそっぽを向いた。 (迅さん。なんか面白い子と友達になれそうだよ) 多分彼も心配しているだろう。それに柊自身も声を聴きたいし女王様について話したいので、今夜電話しよう。そう決めたところで、前方に黒塗りの車が見えてきた。柊は車に詳しくないが、それでも一目で高級車と分かる。お金持ちなのかな、この子。まぁ、女王様だしな。関係ないけど。そんなことを考えつつ、当の女王陛下と一緒に車に歩み寄った。 これから、3ヶ月。嫌だ嫌だと思っていたけれど、意外と楽しく過ごせるかもしれない……過ごせたらいいな、と思った。 |