びしり、と一撃。鋭い痛みで、意識が強制的に覚醒する。 「いっ…!?」 痛すぎて声が出なかった。痛みの走った腕を抑えて悶絶していると、上から不機嫌な声が降ってくる。 「やっと起きたわね。この三年寝三郎が」 「そ、それ『三年寝太郎』だよ…」 3年も寝るのが上にあと2人もいるなんて、想像しただけでイビキで眠れない。痛みに悶えつつ訂正すると、そんなのはどうでもよろしい、と冷たい返事が投げつけられた。涙目で見上げた先、泣きぼくろの美人が鞭を片手に見下ろしてきていた。 「おはよう、冥ちゃん…刺激的なモーニングコール、ありがと」 「直接起こしているのだから、コールはしていないわ」 「そこつっこむんだ……あ、いえ、うん、その通りだね」 再びギリリと鞭を構える様子に慌てて同意する。それで気が済んだのか、麗しき家主は鞭を引いてくれた。時計を見ると、午前5時。あと2時間寝ても、十分間に合う時間だ。 「ええと、冥ちゃん?こんなに早くにどうしたの?」 ベッドの上に座って尋ねると、一瞬ためらうような間が空いた。それから、冥は相変わらず柊を見下ろしたままで言った。 「あなたの寝言がうるさくて、起きてしまったのよ」 「…私、なんかしゃべってた?」 冥の部屋は隣だ。壁一枚挟んでも聞こえるくらいだから、相当な音量だったのだろう。申し訳ないことをした、と思っていると、冥はため息をついて腕を組んだ。どこかしら、困ったような―――不思議な表情だ。 「…随分とうなされていたわ」 「……そっか」 夢の内容は、はっきりと覚えている。忘れることなんて出来ない。一連の出来事が解決した今でも。多分、これからも。黙る柊に、冥は指で組んだ腕を叩いた。思案している時、焦っている時、苛立っている時。汎用性の高い彼女のクセは、この時何で出ているのか分からなかった。しばらく指をトントンやった後、彼女は隣に腰かけた。らしくない行動に頭の上をハテナがよぎる。私の視線をちらりと見返してから、冥はそっぽを向いた。 「別にあなたのプライベートなんて興味ないけど、相手の背景を知ることは法廷において重要な戦術よ」 「え…、まぁそうだね」 「私は本研修においてあなたの指導員を任されているわ。従って、あなたの人物像を把握しておく必要がある」 「は、はぁ…」 「狩魔は完璧を以てよしとする。あなたが何を考えているのか、余すところなく答えてもらうわよ」 …えーと。これは要するに、うなされていた理由を教えろってことかな? 「…もしかして冥ちゃん、心配してくれてるの?」 「何をバカな。あなたの考えを把握しておくことが、本研修において有用だからに過ぎないわ」 …ツンデレだなぁ。検事としては先輩の冥が、何だか急に同い年の女の子に見えた。いや、実際年は一緒なんだけれど。 「…1日の始めに聞くような話じゃないよ」 「その程度で気持ちを左右されるようじゃ、検事は務まらないわ。覚えておきなさい」 先輩のありがたいお言葉にちょっと笑う。それから、柊はざっと夢の内容を話すことにした。 「…私ね。人を殺しかけたことがあるんだ」 「…どういうことなの」 さすがに声を硬くして、冥が尋ねる。ちょっと目を閉じて、あの時のことを思い出した。7年経った今でも、気を付けていないと体が震え出す。 「もう何年も前の話なんだけど。検事になって1年くらいの頃かな……ある事件の担当になったんだ。色々と、尋常じゃない事件だった」 「普通の事件なんてないわ」 「その通りだねぇ。でも、あの事件は、その中でも飛び抜けて普通じゃなかったと思うんだ。…だって、現職の検事が逮捕されたんだもの」 しかも殺人罪で。隣で小さく息を吸う音が聞こえた。 「事件自体は、ぱっと見た感じシンプルだったよ。監視カメラに凶器持った姿が撮られてたし、何より被告人自身が認めてたんだよ。自分が殺しました、ってね」 「………」 「裁判が始まる前から、検察側の圧倒的有利。滞りなく証拠が提出されて、当たり前のように決定的で。何のハプニングもなく証人が召喚されて、やっぱり当然のように決定的な証言をする。弁護人も、何も反論してこない。で、極め付けは被告本人の自白」 「完璧な立証じゃない」 それでこそ私の後輩よ。そう言う彼女に、乾いた笑いしか返せなかった。 「生憎、完璧なんかじゃないよ」 「…何故かしら」 「嘘をついてた人がいるから」 冥の方は見なかったけれど、問うように間を空ける。当時幼かった“彼女”のことは伏せて、先を話す。 「被告人がね。嘘をついてたの」 ―――俺が、師匠を殺した。 「あの人、やってないのに。あの人に…殺せるはず、ないのに」 己がやったと、嘘をついた。 「だから、異議を唱えた。まだ審議の余地は残ってます、って。…聞き入れてもらえなかったけど」 「………」 「結局、そのまま検察の勝利で終わったよ」 「…刑の内容は、どうなったの」 「極刑」 「…そう」 彼女は一旦言葉を切った。最初に言った「人を殺しかけた」の意味が理解できたのだろう。 「私、死刑なんて一切求刑してないのにね。なんでだろね」 あはは、と笑って見せる。…うまくはいっていなかっただろうけど。 「今でも夢に見ちゃうんだよねー、その時のこと。…でも、もういいの。…ギリギリ、間に合ったから」 様々な人々のおかげで。それぞれの想いが真実を見つけ出し、真っ黒な歯車に歯止めをかけたのだ。あの時は、たったひとりで止める術を探した。でも、探せなかった。それもそのはず、歪んでしまった過去を未来へつなげる道は、ひとりでは到底見つけられないものだったから。 「私から話せるのはこんなもんかなぁ。もっと詳しく知りたかったら、御剣さんに聞いたらいいと思うよ」 私なんかより、よっぽど分かりやすく教えてくれるから。 「私の視点だと、どうしても私情が入っちゃうからねー」 「…その被告人は、今どうしてるの」 「元気でやってるよ。検事の仕事にも復帰したしね」 遠い故郷にいる彼のことを思い浮かべた。そろそろ起きる頃だ。 「長々と聞いてくれてありがと。おかげで、今日の朝ご飯パン5個いけそう」 「私の分を考えて食べてくれるかしら」 ため息まじりに言って、冥は立ち上がった。 「あなたの寝言の要因については理解したわ。…ベッドに入る前にハーブティーでも飲んだらどう?よく眠れるらしいわ」 「なんだ、やっぱり心配してくれてるんじゃ――痛ったぁ!?」 「なんなら今すぐ眠らせてあげましょうか。…これで」 「それ永眠じゃないですか、やだぁ」 再度襲う鞭を避け、そのまま彼女の腰に抱きついた。 「!?ちょっと―――」 「冥ちゃんも迅さんに負けず劣らず良い腰……って、比較対象おかしいか」 「…ジン、って誰よ」 「んー。今のところ、この世で一番大切な人」 なーんちゃって。私ってば詩人だね、などとふざけてみる。すると冥は、呆れたような息を吐いて柊の肩に手を乗せた。 「あれ、鞭で叩かないの?」 「お望みなら」 「望んでないですごめんなさい」 早口に謝り、冥の腹部辺りに顔を埋めた。あの時の夢を見た後は、いつもこんな風に誰かに触れていたくなる。普段は彼だけれど、今日は生憎近くにいない。迅さんごめんね、今だけ許して。 「…冥ちゃん」 「何よ」 「ありがと」 「……、…」 刺々しいようで意外と優しいところもある、同い年の彼女は。 「…冥でいいわ」 とだけ言った。 |