「―――異議あり!」


叫んだ。けれど何に対しての叫びなのか、自分でもよく分からない。異議を唱えたいことが多すぎて、どれから訴えていいのかも分からない。私の声に遮られて、裁判長は若干うんざりしたように木槌を引いた。


「…まだ何かあるのですか、比良城検事」


さっきからずっと食い下がっているから、いい加減にして欲しいと思っているんだろう。勝手に思っていればいい。これだけは―――この結末だけは、認めるわけにはいかないんだ。


「まだ、議論の余地は、あります」
「この期に及んで、いったい何を議論しようと言うのです?」


裁判長の言葉が、その場の空気を代弁している。証拠、証言―――必要なものは全て揃った。あとは、木槌を振り下ろすだけ。……違う、


「彼女の証言は、まだ審議されていません!」


証人控え席から視線を感じた。だけど私には、見返す余裕がない。裁判長は、ふっとため息をついた。


「彼女はまだ幼い。ショックで混乱しているのでしょう。無理もないことです」


気遣うような言葉。それが形だけだということは、私にだって分かる。だから、彼女はもっと辛いはずだ。ここで私が折れてしまったら、彼女はどうなるの?


「彼女は現場にいた可能性があります!子供だからといって、話を聞かないわけには―――」
「検察側は、こんな年端もいかないお嬢さんに、これ以上辛い思いをさせたいのですか?」


今まで黙っていたくせに、こんな時だけ口を開く。依頼人に不利な証拠や証言が出てきても大した尋問もしない、ただ弁護席にいるだけの人物は、私が覚えている限り初めて異議を唱えた。


「そんなわけありません!それに、そういう話をしている場合では……!」
「そもそも、比良城検事。あなたは今回どうにも、感情的になる場面が多いように感じます」
「…何の話ですか」
「これは、この度の一件とは関係のないことですが……被告人とあなたは、恋人関係にあるそうですね?」
「それは、本件とは全く関係のないことでしょう」
「その通りです。…本来ならば。しかし、今のあなたに関してはそうとは言えませんね」
「何ですって…?」


形だけの弁護人は、にやにやと貼り付けたような笑みを返してくる。弁護人だけじゃない。裁判官、聴衆、証拠、証言―――この場の全ては、形しかない。決まりきった輪郭をなぞるだけ。中身なんて……真実なんて、ない。


「恋人を信じたい気持ちはよく分かります。…しかし、それで真実を曲げてしまっては、元も子もありませんよ」
「裁判長!弁護人の発言は、検察側を不当に侮辱するものです!」
「弁護側の異議を認めましょう」
「なっ…!?」


ありえない。いや、そもそも裁判長も偽りなのだから、ありえないなんてことはないのか。木槌を持った人間は、高い位置からふっと優しい顔を向けてくる。


「比良城検事。あなたは、とても心の優しい方だと聞き及んでいます。ましてや被告人は恋人、冷静に判断できないのも無理はありません」


人は、感情が強くなりすぎると何の言葉も紡げなくなる。そういう意見をどこかで聞いた覚えがあった。この時の私は、多分全部の感情の針が振り切れてしまったのだろう。裁判長や弁護人に反論する言葉は出てこなかった。このまま、のどにつかえた言葉に呼吸を止められて死んでしまえば、楽なのかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎるが、無理やり打ち消した。私が口を開く前に、裁判長は木槌を持ち上げた。


「既に議論は尽くされました。そして、あなたも聴いたはずですよ、検事。……被告人による、決定的な証言を」
「……っ…!」
「彼は確かに、『自分が被害者を殺した』と証言しました。そうですね、被告人?」


確認を求められて、皆の視線が証言台に注がれる。…彼は案の定、こっちを見ようとしない。真っ直ぐ裁判官席を見上げて、答えた。


「…間違いありません。…俺が、やりました」


ちがう。そう、声が上がる。ちがうちがうちがう。そのひとじゃない。そのひとじゃないの。心がそう言ってる。おねがい、聞いて―――


「…係官、彼女を控え室に連れて行って、落ち着かせてあげなさい」


命じられた係官が彼女に近寄り、優しく声をかける。いや、はなして。彼女は泣きながら抵抗するが、ひょいと抱き上げられてしまう。


「いやだ、おろして!そのひとじゃ、な……」


最後の方は、涙でかすんで聞こえなかった。扉が閉まる音が聞こえる。彼は相変わらず無表情で前を向いている。けれど、証言台に隠れた手は拳を握りしめていた。強く、つよく。 


「では、判決を―――」
「待って下さい…!」


だめ。だめなの。ここで終わるわけには―――


「…柊」


唐突に名前を呼ばれて、一瞬息が止まる。大きな声ではないのに、その場が水を打ったように静まった。ひどい寒気に襲われながらそちらを向く。彼は、私の方に顔を向けていた。その表情があまりにも穏やかで、背筋が凍る。


「もう、いいんだ」


声が出ない。何か、なにか言わなくちゃいけないのに。人の心を学んでいた彼だから、きっとこの時の私が思っていることを理解できていたんだろう。その上で彼は……優しく、微笑んだ。


「ありがとよ」


どうしてそんなこと言うの?そんな…全て諦めたような顔で。


「…では、改めて。被告人に判決を言い渡します」


木槌が振り上げられる。止める術はあったはず。しかしその時の私には、それを見つける方法がなかった。




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