3ヶ月ぶりの母国の空は、綺麗だった。薄い水色に、適度に雲が浮かんでいる。あまりにも雲がないと日光が直撃してくるようで落ち着かないので、雲があるのはありがたかった。飛行機から降りながら空を見上げ、つい12時間前に別れた友人のことを思った。柊が恋人にふられたら大爆笑してくれるらしい。それはそれで見てみたいかも、と縁起でもないことを思いつつ、搭乗口に向かった。


「…混んでるなぁ」


あまりの人の多さに思わず呟く。何だか、急にスーツケースが重たく感じた。時計を見るとちょうど朝7時。アメリカとここでは約12時間の差があるせいで、とても変な心持ちがした。これが時差ボケというやつか、と妙に納得しながら人混みに目を凝らす。日本から出発した時は上司が見送りに来てくれたが、今度は仕事で都合がつかなかったらしい。というわけで、この人混みのどこかに柊が3ヶ月会いたくてたまらなかった彼が1人でいるはずだ。職業柄、探し物は得意である。しかし、対象が人となると話は別だ。証拠品は基本的に自分では動かないが、人は勝手に動き回る。一応待ち合わせ場所は決めてあるので、彼に限ってそこから動くようなことはないと思う。要らない心配だろうけれど、と指定した場所に向かった。彼はまだ来ていなかった。アメリカを出発した時は天気が悪く、飛行機が遅れる可能性があると説明されていたから、なるべく彼を待たせないよう遅めの時間を指定しておいたのだ。柊の腕時計は、その時刻の15分前を指している。


「…お茶」


ぼそりと呟いて、前方に見える自動販売機に向かった。彼が来るまで温かいミルクティーでも飲んでいようと思ったのだ。彼女が好きなメーカーのミルクティーは、両脇を『少納言しるこ』と『腹黒ブラック HELL』に挟まれている。前者は遠慮の少ない厚かましいほどの甘さが売りの飲料で、彼女の恋人の好物である。柊は甘いものが好きだが、ここまで甘いのはさすがに胃もたれがする。そして後者は、ポップなイラストが印刷された缶とは裏腹の苦さが売りのコーヒーだ。こちらは、柊が新人の頃に1度だけ一緒に法廷に立たせてもらったコーヒー党の検事が、市販品で唯一気に入っていたものである。苦さに遠慮が感じられる順に『EASY、NOMAL、HARD、NIGHTMARE』と続き、最後に『HELL』が来る。まるでテレビゲームの難易度のような分類だし、結局全部ブラックコーヒーなのにどうやって苦味の差をつけるのだろう、と紅茶派の柊は常々思っていた。8年前にこの『HELL』をコーヒー党検事に勧められて飲み、大いに片頭痛を誘発されたことがトラウマになっていた。最近は何とかコーヒー牛乳なら飲めるようになったが―――それは置いておいて。
そんなキャラの濃い隣人に挟まれて存在感を消されつつあるミルクティーを救出し、柊は缶を持ち上げた。温かい。ちょっとほっこりしたところで、そういえばどんな顔をして彼に会えばいいのか分からないことに気付いた。あんな電話をした後に。それからもちょくちょく電話やメールで話してはいるが、直接顔を合わせるとなると事情が違うものだ。まぁ、いつもどおりでいいか。すぐに気分を切り替えて引き返す。いつもどおり、いつもどおり。すると、待ち合わせ場所には黒い長身が向こうを向いて立っていた。時計を確認すれば指定時刻10分前。さすが、とちょっとだけ笑う。何となくこっそり忍び寄り、彼がどこを見ているのか辿ってみる。眼前には滑走路を往く旅客機。飛行機好きだったっけ?と彼の脇腹をつついた。ぴくり。腕が跳ねる。


「…何しやがる」
「ただいまの挨拶」
「口で言えよ」
「ただいま、迅さん」
「…おう」


それきり黙り、3ヶ月ぶりの2人は揃って窓の外を見つめた。


「…綺麗だね、空」
「…ああ」
「そういえば、私返事聞いてないよね」
「今更気付いたのかい」
「ごめんちゃい」
「いい年してそりゃねェだろ」
「別にいいでしょ。…で、お返事は?」


轟音とともに飛行機が離陸する。どこに往くんだろう。


「…ああいう文句は、俺から言うもんじゃねェのか?」
「じゃあ、聞かせて下さい」
「…今か?」
「いえす。なうです」


お前ネイティブ並みに発音キレイだろが、とわざとカタコトで英単語をしゃべる柊にツッコミを入れる。が、彼女は笑っただけで自分の発言を撤回する気はないようだ。


「…何で迎えに来ただけでこんな目に遭ってんだ」
「しょうがないね」
「元はと言えば、お前が返事も聞かねェで切りやがるから――」
「過去じゃなくて未来に生きようよ、迅さん」
「全然いいこと言えてねェからな」


彼は大きくため息をついた。ため息つくと幸せ逃げるんだよーなどとぬかす彼女の頬を両手で挟んで押しつぶしてやった。相変わらずつきたての餅のような感触だった。しかし、いささか肉付きが薄い。…少し、胸がすっとした。


「いひゃいよ」
「うるせェ。…おい柊、」
「にゃんでひゅか」
「俺と結婚して下さい」
「にゃんで敬語」
「何でもいいだろ」
「じんひゃん、かわいー」
「うるせェっつってんだろ、潰すぞ」
「もう、ちゅぶれてりゅよー」


頬を押し潰されているせいでおかしな発音になっている。いい加減離してくれないと顔が元に戻らなくなる、というようなことを言って、彼女は再び彼の脇腹を襲撃した。びくりと肩が跳ねて、手の力が緩まる。その隙に柊は挟まれ地獄から逃れた。


「あーうーいー……はぁ、やっと戻った。もう、乙女の顔になんてことしてくれちゃってんの」
「どの口が乙女などぬかす」
「あらら、迅さんのツンデレスイッチ入っちゃった」
「誰がツンデレだ、この野郎」
「私野郎じゃないもーん、女だもーん」
「…いちいちムカつくな、お前」


口ではイライラとした口調でしゃべりつつ、しっかり彼女の荷物を持つ。1番重いものと、2番目に重いものと、3番目に重いものだ。おかげで柊は残されたトートバッグひとつだけを持つ。軽々と運んではいるが、何となく手持ち無沙汰になって、ずんずん歩き出してしまった彼に並ぶ。


「ねぇ、それ半分持つよ」


そう言って彼の手からバッグの取っ手を片方だけ取る。彼が一瞬眉をひそめたが、勝手にしろと言わんばかりに前を向いた。


「迅さん、今日休みなの?」
「そうだよ。文句あるか?」
「ないけど、私が帰ってくるから休みとってくれたのかな、って勘違いして嬉しくなります」
「とんだ見当違いだなァ」
「はいはい、ツンデレ乙です」


昨日アメリカの友人にも同じセリフを言った気がする。何の因果か、彼は友人と同じような反応をした。


「私も出勤明日からだし、今日は一息つけるね。何しようか」
「何もしねェで休めよ」
「休むよ?でも、先延ばしにできないこともあるから」


柊は、ほんわりと笑う。


「ねぇ、式どうする?挙げる?」
「…お前はどうなんだ」
「んー、やっぱり人生に一度だし、挙げたいかなぁ。でも身内だけでいいや、たくさん呼ぶと面倒だから」


家族や本当に気の合う友人たちに祝ってもらえれば十分、という意見には賛成だ。普通は仕事の付き合い上、上司なども呼ばねばならないだろうが、彼らの場合上司代表であるところの局長が身内にカウントされるので、問題ない。


「じゃあ、まずは御剣さんでしょ。この人外したら地味に拗ねるからね」
「ダンナってそんなキャラだったのか?」
「『そのようなアレは困る』とか口尖らせて言いそうじゃない。…あとは、成歩堂さんたちだね。みぬきちゃんと法介くんと、もちろん心音ちゃん」
「姉貴は…さすがに無理か」
「なんだかんだでお姉ちゃん子だよね、あなた。御剣さんに相談してみようよ。多分、監視付きなら許可降りると思うし」
「お前の方は…誰か呼びたい奴いるか?」
「うーん。呼ばなきゃいけない家族とかいないしなぁ。あ、そうそう、冥来るってさ」
「…あの姫様か?」
「うん。式の日取り決まったら教えなさいって言ってた」
「海の向こうからはるばる…ご苦労なこった」
「…あんまり冥で遊んじゃダメだよ?面白いのは分かるけどさ」


あの女王様をいじることの面白さを理解できてしまう辺り、結局のところ似た者同士なのだろう。彼と彼女は、それからも結婚式に誰を呼ぼうかという話をしながら歩いていく。バッグの取っ手を、ふたりで半分ずつ持って。




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次回、最終回です。



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