あの電話から数日、柊はぼんやりと日々過ごしていた。何故彼があんなことを言ったのか、何となく分かる気がするが、それでも言われたこと自体はショックだった。


(…私がいなくても平気ってこと、だよね…)


これまで7年間、彼の罪を晴らすことだけ考えてきた。己が未熟だったために有罪にしてしまった自責の念も大いにあったけれど、それ以上に彼のことが好きだった。心の底から好きだから、何に代えても助けたかった。彼女の切願が叶った今でも、彼に対する想いは変わっていない。…でも。


(想ってたのは、私だけだったのかな)


正直、今まで考える余裕なんてなかったけれど。彼は、私の行動をどう思っていたんだろう。もしかして、迷惑だって―――


「…柊」
「……」
「柊、」
「……」


ビシィ、と鋭い一撃が繰り出された。まともに直撃して、声も出ない。


「…いつの間にそこにいたの、冥」
「さっきからいたわ」


何だか前にも同じようなことがあった気がする、と思いつつ、友人を見上げる。今日は研修が休みなので、二人とも家にいるのだった。


「それはそうと、この私を無視するなんていい度胸ね」
「なんか分かんないけど、ごめんなさい」


何か用かと問うと、冥はムチを仕舞って腕を組んだ。


「あなた、最近妙に腑抜けているわね。残りひと月をきったというのに、そんな心構えでどうするの」


2ヶ月余り一緒に暮らした指導員殿にはお見通しらしかった。


「…ねぇ冥、君って恋人とかいる?」
「…急に何なの。…いないわよ」


やっぱり、とは言わない。言えない。


「…日本にいる彼氏さんにね、あの話、したの」


あの話。恩師にアメリカで働かないかと誘われている話だ。


「そしたらさ、なんか応援されちゃった」
「…嬉しくなさそうね」
「だって…引き留めてくれると思ってたんだよ」


それが、全く逆だった。


「お前ならひとりでもやってけるってさ」


行かないでくれ、なんて素直に言うキャラでもないけど、でも。


「てことは、あの人も別にひとりでいいってことだよね」


好きなのは私だけだったのだろうか。


「…冥、私どうしたらいいのかなぁ」


一度断ったけれど、恩師の誘いを受けるべきか。ここ数日ずっと悩んでいた。何だか、悲しいのか腹が立つのか、自分でもよく分からなくなってきている。どうしたらいいのか分からなくなるなんて、7年ぶりだ。人に助言を求めるなんて、私も少し変わったのかもなぁなどと、逃げるように関係のないことを考えていたら、冥が無言で手を差し出してきた。


「?…冥?」
「寄越しなさい」
「そこの引き出しに入ってたエクレアなら、全部食べちゃったよ」
「そういうことでは……ちょっと待ちなさい、犯人はあなただったのね」
「私からお菓子守りたかったら金庫にでも入れないと。……って、それは置いといて。何を出せばいいのさ」
「携帯電話よ」


携帯電話?どうしてだろう。


「いいから、早くしなさい」


痺れを切らしたのか、冥はベッドサイドのテーブルから柊の携帯を取り上げた。


「ちょっと、」
「部下の問題は私の問題でもある。解決に努めるのは、指導員としての義務よ」
「どういうことなの。てか私、部下ってわけじゃないんだけど…」
「黙りなさい」


ぴしりと言うと、冥はさっさと画面を操作した。止める間もなく耳に当てる。携帯奪われて私は何やってるんだろ、と他人ごとのようにその様子を見つめた。数度のコールの後、ぶつりと通話がつながる音がした。横にいる柊にまで聞こえるということは、冥が通話の音量を上げたらしい。


『はい、こちら検事局―――』
「御剣怜侍を出しなさい」
『は?』
「私は狩魔冥、天才検事よ。分かったらさっさとしなさい」
『か、狩魔検事!?』


柊も聞き覚えのある声の事務員は、狩魔という名前を聞くと用件も尋ねずに局長室につないだ。彼の来月の給与査定が少しだけ心配になったが――御剣は話の分からない人ではないので多分大丈夫だろう。何を思ったか、冥は日本の検事局に電話をかけたらしい。それから少し間が空いて、低い声が聞こえた。


『…いったい何事だ、冥』


久しぶりに聞く上司の声は、何だか疲れている。眉間のヒビがいっそう深くなっている様が容易に予想できる。


「久しぶりね、怜侍。夕神迅を出しなさい」
「え?」


今のは、御剣ではなく柊だ。いったい何をするつもりかと思っていたが、まさか冥が夕神を呼び出すとは思わなかったのだ。


『どういうことだ』
「ちょ、なんで、」
「柊、あなたは黙っていなさい。…いいから出すのよ。まさか非番ということはないでしょうね?」
『…比良城もいるのか』


はぁ、と御剣がため息をつく。つきたい気持ちは分かるが、こっちは黙れと言われているので何も言えない。


『まずは用件を言ってもらおう』
「あなたに言う必要はない。用があるのは夕神迅だもの」
『彼にも業務というものがあるのだが』
「知ったことではないわ」


にべもない。冥は易々と従う相手ではないことは、一番よく知っているのだろう。御剣は再び深く息をついた。


『…だ、そうだ。聞こえたか?』


それは、こちらへの言葉ではなかった。


『悪いが付き合ってやってくれ、夕神』


え、と小さく声がもれた。まさかその場にいたなんて。柊が目を丸くしている間に、電話口から聞き慣れた声が聞こえてきた。


『何か用かい、嬢ちゃん』
「私は狩魔冥よ。覚えておきなさい」
『話には聞いてるよ。…初めまして、“冥ちゃん”』


ぎりぃっ。柊が見つめる中で、ムチが握りしめられる。電話する時くらい手放せばいいのに。


「…予想以上に無礼者のようね。今すぐ改めないと私のムチが物を言うわよ」
『その前に飛行機で半日の距離を何とかしねェとなァ』


冥がムチの柄を握った。まずい、ここでムチに物を言わせると確実に私が被害を受ける。彼は冥みたいにヤンチャな子をからかうのが好きだけど、今はその時じゃない。


「…あなた、覚えていなさい。次に来日した時は後悔させてやるから」
『楽しみにしてるぜ。…で?俺に用事って何だ』


やっと本題に入り、冥の声がいっそう尖る。


「柊は日本にいるべきではないのよ」


はっきり、そう言った。立て続けに驚くことが襲ってきているので、もう丸くする目もないのだが、今度は柊の口がぽかんと開いた。構わず冥は続ける。


「柊はアメリカでの働きを期待されているわ。それも、州で最も権威ある法曹家から直々に声をかけられたのよ。それだけの人材が、小さな島国に留まっているべきではない。…なのに、彼女は迷っている。あなたのせいよ」
「ちょっと、冥――」


さすがにそれは言い過ぎだろう。そう思って止めようとするも、冥は見向きもしない。


「あなたは柊の足枷なのよ。先日、彼女にアメリカに留まることを勧めたようだけれど、それすら重荷になっている。どこまで彼女の足手まといになれば気が済むのかしら?」


違う。そうじゃ、ないんだ。


「日本にいては、彼女は実力を発揮できない。この2ヶ月ではっきり分かったわ。柊は間違いなく優秀な検事よ。あなたはその才能を潰すことになるの。理解できる?」
「ねぇ、ちょっと、」
「柊は返さないわ。分かっ―――」
「――冥」


突然、後ろからした声に冥が思わず言葉を飲み込んだ。静かで、決して大きな声ではない。言い方に棘があるわけでもない。だが、二の句が次げないほどの威圧感のある声音。そんな声を出した本人は、微笑みを浮かべて言った。


「…電話。替わって?」
「……わ、分かったわよ」


優しいのに有無を言わせぬ口調に、さしもの冥も携帯を返す。ありがとう、と礼を言ってから、耳に当てた。


「…迅さん。聞こえてる?」
『……ああ』


間を空けてから、返事があった。あれから一度も連絡していないから、数日ぶりである。


「急にごめんね。冥、はっきりしてる子だから」
『とんだ姫様だな』
「ほんとにねぇ」


あは、と軽く笑う。それから、少し深く呼吸をした。


「あのね。私、決めたよ」
『…そうか』
「うん。…ごめんね、迅さん」
『謝ることじゃねェよ』
「でも…。もっと早くに答え出せば良かったんだよ」
『話自体が急だったんだ、仕方ねェだろ』
「まぁそうなんだけどさ……じゃあ急ついでにいいかな?」
『何だ?』
「婚姻届、もらっといてくれる?」
『………は?』
「市役所でくれるよ。あ、予備に何枚かお願いね。迅さんは字が綺麗だからいいけどさ、私ペン字苦手なの」
『いや、ちょっと待て、』
「あとは、戸籍謄本も用意しといてね。私のは…帰ってからでいいか」
『おい柊、』
「ん、なに?」
『なにじゃねェよ。お前、何の話してやがる?』
「え?…婚姻届の話だけど?」


先程までの威圧感はどこへやら、きょとんとした声で彼女は言った。


『…全然展開が見えねェんだけどよ…いつからその話になった?』
「電話替わった時から?」
『そっちで働くって話題じゃなかったか、』


決めた、とはそういうことだろう。そう言えば、彼女は納得したように「ああ」と声を上げた。


「私ってば、言ったつもりになっちゃってたよ。ごめんごめん」


うっかりうっかり。わざとらしくそんなことを言ってから、そのままのテンションで続けた。


「結婚しよう、迅さん」
『ノリが軽いだろが』


どこへツッコミを入れるべきか判断に困り、夕神はとりあえず彼女のテンションに言及することにした。


「暗いノリで言うことじゃないでしょ?」
『かもしれねェけどな、もっとこう…なんだ、恥じらいとか、あってもいいんじゃねェか』
「恥ずかしいことでもないじゃん」


あっさりと言ってのける彼女に、ため息が出る思いがした。


『そもそも、何がどうしてその話なんだよ?』


すると、柊はごく普通に答えた。


「あのね迅さん。あなたは私にとって、足枷でも重荷でもない。そんなこと今まで思ったことないし、これからも思わない。…私は、あなたがいないと、ダメなんだ」
『柊…』
「だから…ね、」


ずっとそばに、いさせてくれませんか。


『……、…』
「そういうことだから。関係書類、よろしくねー」
『…あ、オイ待て――』
「御剣さんにもよろしく言っといて」


それを最後に、通話を切る。隣を見ると、冥が呆然としていた。すごくレアなので携帯で写真を撮ってやろうとしたら、ムチで携帯を跳ね飛ばされた。綺麗な放物線を描いたそれは、ベッドにぼすりと落ちる。幸い、壊れてはいないようだった。


「冥ってば乱暴なんだからぁ」
「…あなたという人間は…」


長くため息をつく友人に、柊はからからと笑った。


「あはは。…それと、さっきはごめんね。怖がらせて」
「怖がってなどいないわ」
「うんうん、そうだねー。…でも、アレわざとでしょ?」
「何がよ」
「迅さんのこと、『足枷』って言ったの」

わざと責めるようなことを言って、柊にアクションを起こさせる。そのつもりだったのではないか。そう指摘すると、友人はぷいっとそっぽを向いた。


「じゃなきゃ、冥が私のこと素直に褒めるわけないもん」
「本当に、その口を縫い付けてやりたいわね」
「ヒィ!女王陛下、お慈悲をー」


などとひとしきりじゃれ合い、柊はぐっと伸びをした。


「さぁて、そうと決まれば残り数週間、頑張りますかー」


ね、指導員どの。にっこり笑う彼女に、つられて冥も少しだけ微笑んだ。




――――――――――
いい夫婦の日にプロポーズ間に合ってよかった。

20131122



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