「…美蓉さん」


バリトンの声が鼓膜を揺らす。ゆっくり目蓋を上げると、


「…え?」
「おや。起きてしまわれましたか」
「いや…ちょ、鬼灯?」
「おはようございます。とんだお寝坊さんですね」


いやあの、そうじゃなくって。


「なんか…近くない?」


視界いっぱいに広がった顔は整っているけれど、如何せん至近距離すぎてぼやけている。


「そりゃあ、キスしようとしてましたから」
「どこに?っていうかなんで?」
「よくお伽話であるでしょう?王子の口づけで目覚める姫君の図。本当かどうか試してみようと思いまして」
「貴方王子じゃないでしょ」
「そういう貴女もお姫様ではないですね」


じゃあ何でやろうと思った。起きたばかりで頭が回らないのに、こんな面倒なことしないで欲しい。とりあえず退いてもらおうと胸を押すと、案外あっさり離れてくれた。目の前の鬼は、最後に見た時と少しも変わっていない。相変わらずの仏頂面だ。


「…で、ここどこ?」
「極楽満月の倉庫です」
「倉庫って。私の扱い雑すぎじゃない?」
「文句ならお兄さんに言って下さい」


周囲を見回すと、衝立はしてあるが確かに倉庫の中だった。確かここは、兄の弟子が使っていたはずなのに。寝ている間に部屋を増やしんだろうか。まぁそのことは後で聞くことにして、まず聞いておくべきことを口にする。


「私…どのくらい寝てた?」
「五百年ほど」


その数字を聞いて、目が丸くなった。


「そんなに?」
「最長記録だって白澤さんが言ってました」


百年単位で寝たことはあるけれど、ここまで長いのは初めてだ。


「五百年経っても貴方は変わんないわね」
「そんなことありませんよ」


そう言って、鬼灯は一旦離れた距離を再び詰めてきた。反射的に、ベッドの上に起こした半身を引く。しかし逃げられる空間は限りなく狭い。


「だから近いって…」


彼は知らないだろうが、爆睡明けの気が抜けている状態で誰かと接するのは危ない。そんな美蓉の気も知らないで、鬼はじりじりと距離を縮めてくる。…何で私、起き抜けに男の子に迫られてるんだろう。全く状況が分からない。先ほど王子様のキスとやらを実行しようとしていたみたいだが、そんなことされては彼が困ったことになるので、念のため顔を明後日の方向に背けておいた。


「というか、何で貴方がここにいるの?」
「美蓉さんの寝顔を見に。貴女、寝てる時は案外かわいいんですね」


あまりにも自然にかわいい、なんて言われて目を瞬かせる。そのセリフはこっちから言うことが多かったのに。目をそらしながら、回らない頭で考える。が、不意に顎を掴まれて彼の方を向かされた。


「…ちょっと」
「美蓉さん。こっち見て下さい」
「やだ。ていうか近いって、何回言ったら分かるの?」
「そんなに私が嫌いですか?」


無表情で尋ねてくる。こんなこと面と向かって聞く子じゃなかったのに、どうしたものだろう。柄にもなく、若干動揺する。


「いや、別に嫌いとかそういうわけじゃ、ないけど…」
「知ってます。貴女、実は私のことけっこう好きでしょう」
「は?」


耳を疑うようなことを言って、鬼は彼女の腕を引いた。為す術なく彼の胸に倒れこみ、慌てて体勢を立て直そうとするも腕を回されてがっちりホールドされた。


「ちょっ、放しなさい!」 
「やなこった」
「子供か!」
「貴女よりは、ね」


なんだかいつもと違う。これでは立場逆転じゃないか。見た目は変わらないけれど、五百年という年月は彼の少ない可愛さまで奪っていってしまったのだろうか。どうにかして元のポジションを取り戻さなくては、と身動きを試みる。


「っ…鬼灯、いい加減に…!」


それでも放してくれないので抗議しようと顔を上げた。…それが良くなかったかもしれない。


「隙あり」
「…!?」


再び顎をすくわれたかと思えば、次の瞬間唇に触れるあたたかな何か。もしかしなくても――もしかして。


「んっ…!」


さすがに必死になって彼の胸を押すけれど、今度は後頭部を抑えつけられた。最初はただ押し当てるだけだったのが、どんどん深くなっていくのに青ざめた。


「……っ…!」


がりっ、と音が立ちそうなほど強く、彼の唇を噛んだ。さしもの鬼も痛かったらしく、ぱっと顔が離れる。


「…食べ物じゃありませんよ?」
「わかってる、わよ…!」


一気に肺へ入った空気にむせながら、彼の顔を見つめた。特別変化はない。


「あ、あなた…何ともないの!?」
「ええ」
「我慢しようったってそうはいかないわ、正直に――」
「大丈夫です」


大丈夫なんです、もう。静かに彼は繰り返した。


「美蓉さん。貴女の…饕餮の持つ邪気については、お兄さんから聞きました」
「……!」
「あれが私のためだったなんてね。体の良い遊び相手ポジションだと思ってましたが…」
「別にあなたのためとか、そんなんじゃないわ!」
「…………」
「…ちょ、なんでいきなり黙るのよ」
「いえ、ここまでベッタベタなツンデレは逆に希少だと…」
「誰がツンデレだこのアホ鬼神!」


頭にきて繰り出した拳は、あっさりと受け止められてしまった。


「っ!」
「いいですね、その顔。とても萌えます」
「…っるさい!」


掴まれた手をばしっと払うと「つれないですね」などとぬかした。…角へし折ってやろうか。


「…で?『大丈夫』ってどういうことよ」
「よくぞ聞いてくれました」
「……。やっぱりいいわ、なんでもない」
「そう言わずに。話せば長くなりますが……貴女が寝こけてる間に、ちょっと頑張って邪気に耐性つけました」
「長くねぇよ」


短い。思わず言葉遣いが荒くなるほどに短かった。ほとんど一言じゃないか。しかも饕餮レベルの邪気を“ちょっと”頑張っただけで克服した?冗談じゃない、私はそんな安い女じゃ―――


「はいはい、ツンデレはその辺にしといて下さいね」
「だからツンデレちがう!」
「……。美蓉さんてあれですか」
「…なによ」
「自分が攻められると弱いから、いつも先手とるようにしてたとか」


そんなわけないだろハシビロコウが、炭火で炙ってヤキビロコウにするぞ。そんなことをドスの利いた声で言っても鬼は素知らぬ振り。か、かわいくない…!


「邪気云々についての詳しい内容は割愛します。お兄さんにも聞かないで下さいね?アレが付け上がるだけですから」


どうやら兄が一枚噛んでいるらしい。いつの間にそんなに仲良くなったんだこの連中は、と睨んでやった。


「ともかくこの五百年、私頑張りました。褒めて下さい」
「絶対やだ」
「…あのですね、美蓉さん。とっくにご承知でしょうから今更言うのもどうかと思いますが、私はずっと貴女だけ見てたんですよ。約四千五百年前から」
「怖いわ」
「貴女が悪いんです。あんな、どこかのシャン○スみたいな去り方して。私が住んでた村を潰したばかりか、そのせいで封印までされて、ついでに麦わら帽子よろしく羽織なんか残していく。ほんとにシャ○クスかよ、しかも羽織何か妙にいい匂いしますし」
「…変態」
「幼い子供の心に刻まれる要素は十分です。初対面でそんなキャラの濃い振る舞いをした貴女が悪い」


なんだか理屈が通っているのかいないのか、よくわからない。考えても答えは出ない気がする。だって彼女も、あの時から一度も彼を忘れたことなんてなかったのだから。


「それだけの間一途に慕い続けたんです、そろそろ見返りがあってもいい頃でしょう?」
「いちず、って自分で言うことじゃないと思うけど」
「何か面倒になってきましたね。好きです美蓉さん、なのでもう一回キスしていいですか」
「もう意味ワカランこのひと」


自分で話を振っておいて勝手に面倒になるなんて。色々な意味で脱力してしまった。ほんとに調子を狂わされっぱなしだが、最早抵抗する気も失せている。


「はぁ…いいわよもう、好きにすればいいじゃない」


降参、とばかりに両手を挙げてみせた。


「ではお言葉に甘えて」


律儀にそう断って、彼が手を伸ばしてくる。しかしその指がとらえたのは美蓉の頬ではなく、


「…するんじゃなかったの?」
「……気が変わりました」


背中に回った腕に引き寄せられながらそんな返事を聞いた。天邪鬼め、と彼の肩に顎を乗せて――はっとした。少しだけ、ほんの少しではあるが、彼が震えていた。


「鬼灯?」
「…美蓉さん」


ぎゅ、と抱きしめる力が強くなった。ちょっとくるしい。しかし彼女はされるがままになっていた。


「目が覚めなかったらどうしようかと…思ってました」


もしこのまま起きなかったら?神の時間の感覚は、『それ以外』とは大きく異なる。神にとっては一瞬でも、それ以外の存在にとっては永遠にも等しい時間ということも有り得るのだ。もしかしたら、己が生きているうちには目覚めないかもしれない―――そんなことも考えていた。柄にもなく。


「……、…」
「もう…しばらくは、寝ないでくださいね」


耳元で彼の声が揺れていた。美蓉はしばらく為すがままになっていたが、不意に手を持ち上げて彼の背中に添えた。とても、控えめに。


「……!」
「…まったく貴方は、ほんっと生意気なオコサマよねぇ」
「…子供じゃないです」
「ええ、そうね」


意外にもあっさりと返す。いささか面食らった彼が思わず腕の力を緩めた。その隙に、美蓉は若干体を離して至近距離から生意気な年下男を見上げた。


「大きくなったわね、鬼灯」


これはちょっと母親の台詞みたいでまずかっただろうか。目を丸くする彼の唇に己のそれをそっと寄せながら、年上女はわずかに笑った。




―――なんだか照れるわ。


自分からしてきたくせに今更そんなことを言ったので、三度目はこちらから仕掛けてやった。




禍福糾繩
―年上女と年下男のあれやこれ―



↓オマケ
「おい鬼灯、そろそろ始ま………」
「…あ」
「ちょっ…おま、なに…」
「…早上好、兄さん」
「お前!人の妹になにしてくれちゃってんの!?」
「なにって…ちゅうしてましたが」
「可愛く言おうとしてもダメ、むしろ怖いから!とりあえず一回表出ようか!」
「臨むところです」
「ていうか兄さん、鬼灯の名前呼んだよね…?」
「美蓉はちょっと待ってなさいね。お兄ちゃんすぐ片付けてくるから」
「妹さんが起きたことが嬉しいのは分かりますが、口調がキモチワルイですよ」
「うるさいな!」


部屋を出る時、


「続きはまた今度」


と耳元で囁かれた言葉にちょっと顔が熱くなったのは、絶対に秘密だ。




――――――――――――――――
禍福糾繩・鬼灯エンドでした。以下で長々と裏話を致しますので、興味のない方はここでお戻り下さい。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!



↓裏話
まず最初に。このお話、連載開始当初は夢主の本命を白澤さまにする予定でした。で、白澤さまも妹だって言ってるけど実は両思いで、いわゆる近親チョメチョメな感じになるはずでした。その名残が2話目の最後の方で夢主が言った「兄さんは好きな人にはちゃんと告白してね」的な台詞です。後々それを思い出して、「実の妹に言えるわけないじゃん」ってひとりで悩んでる白澤さまを書こうと画策しておりました(え)
鬼灯さまの片思いは片思いのままで終わる予定でしたし。でも、白澤さまルートにするとハッピーエンドが見えなくて、前半のギャグテイストがどうしたのってくらいシリアスになりそうだったので書いてくうちに自然と鬼灯落ちになってました。
最後鬼灯さまと夢主の立場が逆転してしまって狼狽える夢主を書くのが楽しかったです。

私の書くもの全般に言えることですが、今回も説明が長かったですね…(邪気云々のくだりは特に)。矛盾点も多いし。もっとさくっと分かりやすく伝えられるよう、文章の修行もしなければなりませんね。こんな自己満全開のお話でしたが、可愛がっていただけたら嬉しゅうございます。それでは、長々とお付き合い頂き誠にありがとうございました!

20140721 かしこ


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