昼近くまで寝ていたら、突然外部からの刺激で目が覚めた。最近出来る主夫のようになっている弟子ではなく、某帝国の行進曲が鳴り響き、一瞬でかけてきた相手を察して布団を頭からかぶる。この音楽が鳴るのは、電話帳に登録していない番号からかかってきた時だけだ。そして、登録していないのにわざわざ彼の携帯に直接かけてくるような奴なんてあいつしかいない。無視してやろうと思ったが、あまりにも長くうるさく喚き立てるので、仕方なく電話を取った。


「…はい」


万一奴ではなかった時のために丁寧な応対をしたが、一瞬後にはやっぱり出なきゃ良かったと思った。


『1コールで出ろ似非大吉野郎が!』


耳が痺れるようなバリトンボイスが鼓膜に突き刺さった。反動でベッドに再び倒れこみながら、白澤は一旦離した携帯を恐る恐る耳に近づけながら負けじと言い返す。


「似非じゃねーよ、マジもんの大吉!吉兆の印ナメんな!」
『そんなことはどうでもよろしい!今すぐ閻魔殿に来なさい豚!』


最早色の情報すら抜け落ちた暴言を最後に、電話を切ろうとする。慌てて用件だけは聞いておこうと引き止めると、短く息を吸う音が聞こえた。そういえば、何だか妙に焦っているみたいだ。


『…美蓉さんが、』


美蓉さんが…起きないんです。






「…あいつ、分かってたはずなのになぁ」


何で来るかな、と白澤は背後に立つ鬼をちらと見やった。現在位置、閻魔殿の鬼灯の部屋。物が多い所為で片付いているのかいないのか分からない室内の、隅っこに置かれた寝台に、白澤は腰掛けていた。同じく寝台の上には、見慣れた人物が目を閉じていた。姿をある程度自由に変えられるのに、せっかくだからと人型の時は彼と似た容姿を取っていた、双子の妹。


「美蓉、」


呼んでみるが、起きる気配はない。呼吸もなく、脈をとってみても指の下は静かなものだ。このくらいはこの鬼もしたのだろう。それでもどうしようもないから、白澤に連絡してきたのだ。大嫌いな、犬猿の仲の彼に。相当切羽詰っていたとみえ、元々良くない顔色がさらに青白い。


「…で?また一緒にお酒なんか飲んでたわけ?」


彼ら神獣にとっての『死』の時期が近づいたことで邪気の制御が上手くできなくなったため、この頃はずっと自宅にいたはずだったのだが。


「よく飽きもせず通うもんだよねぇ。長いことこいつの兄貴やってるけど、未だに男の好みはよく分かんないよ」


こんな時まで煽らなくていいと思うのだが、いつもの彼らの関係的に自然と口をついて出てしまう。しかしこの時、珍しくも鬼は反論してこなかった。代わりに、低い声で呟くように口を開いた。


「…今回は、違います。美蓉さんが来たんじゃありません」


私が、引き止めたんです。


「…どういうこと?」


あの日、白澤の目線で言うと女の子を送った帰りに、中庭で美蓉と会った日だが、その時以来美蓉は鬼灯のもとへ訪れなくなった。それどころか、彼女の姿自体見かけることが大幅に減った。それとなく色んな人に聞いても誰も事情を知らないし、一番知っていそうな白澤には聞きたくない。そうこうしているうちに、たまたま彼女が閻魔殿の中庭にいるのを発見した。いつもなら金魚草をつついて遊んだり、地獄のど自慢殿堂入りの声量をフル活用して「おぎゃあああああ」と鳴き声対決をしていたりするのだが。その時は、階段に腰掛けてぼんやり眺めているだけだった。今まであれだけ頻繁に出没していたのがぱったり来なくなった理由を聞きたくて話しかけたところ、彼女は適当にのらりくらりとかわして立ち去ろうとした。しかしそれでも引き止めていると、いくらもしないうちにその場に倒れ込んでしまったのだという。


―――ごめんね。


とりあえず休ませた方がいい、と彼女を背負って自室に向かう鬼灯に、彼女はそれだけ言ったらしい。部屋に着いてみれば既に意識はなく、しばらくすると呼吸と脈拍が止まってしまった。そして、今に至る。そういう事情だそうだ。


「…ふぅん。そういうことね」


話を聞き終え、白澤は妹の頬にそっと指で触れた。


「家で大人しくしてれば良いのに、馬鹿だねぇ」
「…白澤さん、」
「起きないよ。残念だけど」


振り返らずとも、鬼がどんな顔をしたのか想像できた。はっきりと突きつけられた言葉に、ぐっと唇を噛み締めでもしているのだろう。


「そういう時期が来たんだよ。長期間眠って、霊力とかの再生を図る時期。聞いたことくらいあるだろ?」


この、無駄に博識な鬼なら。予想通り短い肯定が返ってきた。


「…どのくらいで起きるとか、規則性はないのですか」
「ないね。前回は二十年だったけど、その前は三百年くらい寝てたし」


白澤にもそういう時期は来るわけだが、寝ている間に体の管理をしていてくれた妹曰く、自分も寝る年数はその時によるそうだ。


「…だから、来なかったんですか」


鬼灯が小さく言った。


「いつ寝てしまうか分からないから…」


でも。


「それならそうと、言えば良かったのに」


何も事情が分からないこっちの身にもなって欲しい。ついに飽きたのだろうかなどと、要らない考えをするこちらの身にも。


「…お前さ」


すると、白澤が妹の方を向いたまま口を開いた。


「意外と鈍いよね」
「…どういうことですか」


少しだけ鋭さの戻った視線が背中に突き刺さるが、神獣は振り向きもしない。


「仮に、こいつがお前に事情話したとして。何が出来た?」


人間が死の運命から逃れられないように、彼女もまた眠るのを拒むことは出来ない。


「僕に頼らなきゃこいつの相手もできないくせに」
「…?」


意味が分からないと言うように、鬼は説明を求めた。そうだね、分からないだろう?彼女の気持ちなんて。


「当ててやろうか。お前、こいつに遊ばれてると思ってんだろ」


そういう関係になってから、もう数えるのも億劫なほどの時間が経っている。それでも、未だに彼らの間柄は“友人”。この前部下に問われた時、自分でそう言ったじゃないか。恋人なんて、口にするのも憚られる。欲しい時に欲しい分だけ手を伸ばす、それだけの関係。…ねぇ鬼灯、お姉さんと楽しいことしよう?


「…違うんですか」


どれだけ望んでも、己のプライドが傷つくのを承知で言葉に出しても。彼女はただ、美しい微笑みを返すだけだった。背中に腕を回して抱きしめるわけでもなし、形の良い唇を合わせてくれるわけでもない。


「現に、今だって私には何の事情も話してないでしょう」


白澤の言うとおり、知ったからと言って何ができたわけでもないけれど。それでも、彼女の中には彼に本心を話すという選択肢すらなかったのだ。彼など、その程度。


「…だから鈍いっていうんだよ」

ぼそりと白澤が呟く。


「はぁ…何で僕が妹の惚れた腫れたに口出さなきゃなんないのさ。しかも、こんな性悪朴念仁相手に」
「…何だか分かりませんが、とりあえず殴っときますか?」
「殴るなら自分の頭にしとけよ」


ため息をついて、吉兆の神獣はやっと振り返った。言葉の軽薄さと裏腹に鋭い視線を注がれ、鬼灯はひとつ目を瞬かせた。


「こいつ、絶対キスとかしなかっただろ?」


ずばりとストレートに口にする。沈黙を返せば、それは肯定と同義だ。


「なんでだと思う?」
「…さぁ。ご本人に聞いてみればいいんじゃないですか?」
「お前の体が耐えられないからだよ」


短く言われたことに、寸の間思考が止まった。


「こんだけ長い付き合いでよく気付かなかったもんだね。饕餮は中国屈指の悪神だよ?そこらのヤンチャ坊主達とは邪気の桁が違うの。キスなんてしたら、ダイレクトに侵されるじゃん」


呼吸と一緒に瘴気まで混ざってしまう。体を繋げた方が効果が高そうな気もしないでもないが、そこは話が別らしい。


「いくら鬼の中では強くても無事では済まないよ」


白澤お手製邪気よけ薬の活用で間に合うギリギリのラインが、これまでの距離感。ただ気まぐれに遊んでいるだけ。本当の心なんて別のところ、そもそもどこにもないのかもしれない。―――そんな振りをしていた。そんな風に思っていいのだろうか。言葉を紡げない鬼灯に、白澤は何度目かのため息をついて、とどめの一言を放った。


「ただの遊び相手を、こいつがここまで生かしとくわけないから」


妓楼の従業員など、突然いなくなったら不都合が生じる相手でもない限り。彼女なりのケジメとして、遊んだ相手は骨のひとかけらまで食べ尽くすのだ。物凄く嫌なケジメだが。


「それともなに、お前実は妓楼で働いてたりすんの?獄卒って副業禁止だろ、大王にチクるぞ」
「あのヒゲもじゃにチクられたところで怖くありません。というか、その前にツッコむべき箇所があるでしょうが」
「分かってるよ。お前みたいな能面野郎が妓楼なんか勤まるわけないって」


それ以前に男なんだが。しかし、面倒なので重ねた指摘はやめた。


「…全く…美蓉さんもそれならそうと、」


そこまで言って、言葉を止める。彼女がそんな風に弱みを見せる人ではないことは重々承知だからだ。


(…危害を加えたくないなら一切関わるなって話だけどね)


頭に片手を当ててぐしゃりと髪を乱す鬼を横目に、白澤は心の中で言った。


―――そんなに気に入ってるなら、眷属にすればいい。


もう随分と昔、この鬼について妹に意見したことがあった。趣味が分からないなどと感想はよく言っていたが、意見を述べたのはそれが最初で――おそらく最後。
眷属にすれば、邪気なんて気にせず好きに接することができる。我ながら瑞獣とは思えない言葉だったけれど、柄にもなく悩む妹を見ていられなかった。彼の言葉を受けて、妹はいつもとは種類の違う微笑み方をした。


―――もう、あの子を縛るのは嫌なの。


一言だけ、そう口にした。聞くところによると、この鬼は元人間で、孤児で余所者だったがために儀式の生贄にされたのだそうだ。他の村人たちから無理に架せられた、死の運命。幼い子供を縛り付けるには重すぎるその鎖を誰が引き千切ったのかは、聞かなかった。


(…全く、神格と性格が矛盾してるよなぁ)

吉兆の印なのに女のこととなると馬鹿になる彼自身は、棚上げである。


「…ま、後は本人に直接言ってよ。当分先だろうけど」


そして、白澤は寝台の上の妹を抱き上げた。いつまでもここに置いておくわけにはいかないし、彼女の本心を知ったこの鬼がどんな行動に出るか分からない。自分で勝手にバラしといて何言ってんのよ、と妹が起きていたならツッコミとともに目潰しを仕掛けてきたことだろう。


「僕ん家に寝かせとくから、たまにだったら顔見に来てもいいよ」
「…白澤さん」
「一回につき百万元…と言いたいとこだけど、特別に五十万円にまけてやるよ」
「金額盛ってんじゃねぇぞ」


元値より何倍も高い金額を要求されて、鬼灯の眉間にぐっと皺が寄る。…うん、これでこそ地獄のハシビロコウだ。そんな風にちょっと安心して、昨日飲みすぎたんだなと思った。


「一瞬でも見直そうかと思ったのが間違いでしたよ」
「お生憎さま。こっちは可愛い妹を簡単にかっさらわれるつもりなんてないからね」
「臨むところです。これまでの四千年に比べたら、貴方ごとき大した障害じゃありません」
「相当ネチっこいよね、お前。引くわー」
「ほざけシスコン」
「黙れひよっこ」


ぽんぽんと言葉を投げ合い、兄は妹を横抱きに抱え直して部屋の扉に向きを変えた。


「とりあえず、邪気よけなしで耐えられるようになったらタダにしたげるよ」
「また金の話しですか。彼女は見世物じゃありませんよ、お兄さん」
「お前だからお金とるんだよ。それと“お兄さん”って呼ぶな、気色悪い」
「奇遇ですね。私もです」


それでもさりげなく扉を開けてくれる辺り、大概ヒネクレ者である。巷ではこういうのをツンデレというのかもしれないが、野郎、特にこいつが当てはまっても可愛くもなんともない。欠片も萌えない。むしろ燃えて黒鬼になってしまえばいいと思う。


「じゃ、さっさと帰るとしますかね。どっかの誰かさんが叩き起こしてくれたおかげで、すっごい眠いから」


扉が閉まる寸前、背中を向けたままの鬼は、とっとと失せろというような、いつも通りの暴言を吐いた。




「…これ、起きたら僕シメられるよね?」


妹が今まで言わなかったことを喋ってしまった、デリカシーのない兄は、花の香が漂う道を歩きながらポツリと呟いた。



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閻魔庁の第一補佐官を食い殺しても大分不都合生じると思いますが、その辺はアレです、ご都合主義ということで(←え)ともかく次で最終回です。最終回では分岐があります。




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