※両方見る予定なら『白い彼』から読むことをおすすめします。




そんなに気に入ってるなら、眷属にしてしまえばいい。

いつだったか、兄にそう言われた。


「眷属にしてお前と同じにしちゃえば、邪気の影響なんて気にしなくていいだろ」


吉兆の神獣とは思えない言葉だったけれど、今思えばそれだけ私のことを心配してくれていたのかもしれない。当時の私は、“あの子”とどう接していいか悩んでいたから。何を話したらいいかとか、そういう意味じゃない。その時点で既に男女の間においてすることはしていたし、自分自身そんなに内気な性格ではない。困っていたのは、自分の邪気の扱いだった。
気の遠くなるほど昔、私は吉兆の対として生まれた。兄を白で表とするならば、私は黒で裏だ。兄が現れたところに幸福が訪れるならば、私が足を運んだ場所は不幸が襲う。『饕餮』の本分は飲食だ。関わった人、動物、物――種類を問わず、喰い尽くすのが私。何故そうなのかは分からない。あの知識だけは膨大な兄でさえ、知らないことだ。彼自身、どうして吉兆の印なのかと問われても「そのように生まれついたから」としか答えられないだろう。それと一緒。――だから。


「貴女のお名前を、教えて下さい」
 

いつか現世で縁のあったあの子供も、喰らってしまうはずだった。でも、そうしなかった。子供とは思えない妙な冷静さか、死の間際に流したであろう涙か。そのどちらか、あるいは両方気に入ったのかもしれない。とにかく、珍しく食べたくないと思える存在に出会い、私は彼の前を去った。改名したら教えてくれなんて言ったけど、社交辞令のつもりだった。もう会わないことが彼にとっても幸いなのだから。けれど、それから数百年後。


「お久しぶりです」


あの子は、再び私の前に現れた。すっかり成長していて、女の子と見間違うくらい可愛かった顔立ちは、眼光鋭い大人のそれに変わってしまっていた。


「その節はお世話になりました。まさかあの時の“自称神様”が中国妖怪の裏ボスだったとは、さすがに思ってませんでしたよ」


予想以上にアブナイお姉さんだったんですね、貴女。そんなことを無表情に言いつつ、彼は綺麗に畳まれた羽織を差し出してきた。あの時、彼に被せたままだったものだ。


「返すのが遅れてすみません」


あげたつもりでいたのに、律儀なことだ。そう言ってやると、彼はやはり表情を変えずに私の目を見つめた。こんなに真っ直ぐ私と目を合わせる人なんて、兄以外では物凄く久しぶりな気がした。


「そういえば私、改名したんです。名前が決まったら教えてって、仰ってましたよね?」


よく覚えてるなぁと思った。もう数百年も前の話なんだから、忘れてたって不思議じゃないのに。記憶力は良い方ですなんて、しれっと彼は言っていたけれど。


「鬼灯と名乗っています。名付けた人曰く、鬼火に丁だからだそうです」


なんだ、私と同じ思考回路の人がいたのか。そんな思いで話を聞いていたのを覚えている。


「…さて、私のは教えましたよ。次は貴女です」


貴女のお名前を、教えて下さい。私の中国でのポジションを知っているのだから、名前くらい分かっているだろうに。そう思いはしたが、口に出しはしなかった。




いくら悪神だ凶兆の印だと言われたって、結局のところ、私も根本は女だったらしい。後で兄に話したら「人のこと散々ろくでなし言っといて」とブーたれていた。


「美蓉さん、」


掠れた調子で私の名前を口にして伸ばされた手を、何度握り返そうと思っただろう。ごくごくたまに意外と可愛い声を出してくれる唇を指でなぞりながら、柔らかいなぁと思ったこともあった。…でも。


「…なぁに、鬼灯?」


誤魔化すように笑って。白い指をそっと避ける。多分無意識なのだろう、一瞬だけ寂しそうな顔をするのを見ないように、視線を下げた。


――ごめんね。


覚えている限りでは三度、そう言ったことがある。三度目はつい最近。そして一度目は、初めて彼の部屋で朝焼けを見た時。面白いことに、地獄にも朝焼け夕焼けという現象は起こる。刑場の炎のせいで天国や現世に比べると大分視認しづらいけれど、確かに存在すると、その時知った。そのことについてわざわざ彼を起こして尋ねたら、色気も何もあったもんじゃないと文句を言いつつ教えてくれた。意外とそういう雰囲気を重視したりするんだな、と微笑ましく思った。生憎、そんな甘痒いのは性に合わないので、慣れないことをした彼の体の具合を確かめて、その後すぐ帰った。


――帰るんですか?


それ以降現在に至るまで、何度となく投げかけられる質問を、彼はこの時初めてした。その時、ごめんと口にしたんだっけ。それに対して彼は何も言わなかった。

二回目は、例の質問をされた回数を数えなくなって久しい、ある日。全くキャラじゃない乙女な悩みに苛立ちすら感じていた頃。あの時は、何の前触れもなく自分から言った。


「…急にどうしたんですか」
「別に…どうもしないけど」
「特段、貴女に不快なことをされた覚えはないですが…いきなり殊勝になられると気味が悪いですね」
「そろそろ殴るわよ。…不快じゃないってことは、気持ち良かったのよね?」
「理論が飛躍してますけど」
「理性なんてドブに捨てなさいよ」


なんでそうなる、とため息をつく彼が気に障ったので、当時まだ長かった髪を引っ張ってやった。痛くないけど著しくウザイ、と言われてちょっとヘコんだ自分が信じられず、やっぱり早々に部屋から退散した。


「…帰るんですね」


いつもとちょっと形を変えてきた。思わず振り返ると、鬼は枕にうつぶせの頭を埋めていた。顔の向きはこっち側だが、視線はこちらを向いてはいない。その光景がびっくりするほど綺麗に見えた。


「誰かさんが可愛くないから」


理由はそういうことにしておく。対して彼は。


「貴女は美人ですけど、可愛くはないですね」


などと返してきた。顔の話をしているわけじゃないのに。分かってるんだろうから、それ以上言わなかったけど。

そうやってぐだぐだと時を過ごして、気付いたら四千年も経っていた。何やってんだかと自分でも呆れた。他の子のように食べてしまえば楽かもな、と思ってみる。あの鬼はさぞや美味しいだろう。


「…焼いたらいいかな。それとも、やっぱり生食?」
「知らないよ。僕、人食べないし」
「あの子は鬼だよ」
「元人間だろ。…そもそも、結局やらない話してもしょうがなくない?」
「え?」
「お前、あいつ食べる気ないでしょ」
「うん。全然」


そんなこったろうと思った。珍しく真面目に仕事している兄がため息をつく。どうせ、女の子の客が来たら中断するんだろうけど。


「…あのさ。お前のそういう事情には干渉しないつもりだけど、大概にしろよ」
「口出してる時点で干渉してるよ。ていうか兄さんこそいい加減にしなよ、どんだけ女の子にビンタされれば気が済むのさ。馬鹿なの?死ぬの?あぁ、マゾなのか」
「誤解招くこと言わないでくれる?お前こそ人が困る姿見て喜ぶのやめろよ、サド羊」
「失礼な、私Sなんかじゃないよ。別に誰かいじめて性的快感を得るわけじゃないもん。…まぁ、泣きそうな顔見るのは面白いけど」
「立派にドSじゃねーか」


そんな言い合いをしたけれど、兄はその件に関してもう何も言わなかった。


次から次へと、これまであった出来事が浮かんでは消える。まるで走馬灯のよう。…私、死ぬんだろうか。一応神だから、世間一般的な『死』からは弾かれているはずだけど。


「……、」


と、ぼんやり遠くで何か聞こえた。…ような気がする。この感覚、夢を見ている時と同じ感じだ。そうだ、私は今寝てるんだった。いつもの…といっても数千年ごとにやってくる強制爆睡シーズンだ。時間の感覚なんてないからどのくらい眠っているかも分からない。それでも比較的はっきり思考ができる(寝ているのに考える、だなんておかしな話だけど)ところを見ると、もうすぐ起きる頃なのかもしれない。


「……、…」


また、聞こえた。細かくは分からないけれど、男の人の声みたいだ。兄さんかな。爆睡している間完全に無防備な体は、一応守ってもらわないとならない。それとも…彼だろうか。あの子、まだ生きてるのかな。不意にそんなことを思う。起きたら数百年経ってました、なんていつものことだから。眠る前にはいた人物が目覚めたらいなくなっていたことは何度も経験してる。だから、とっくの昔に死んだと言われても、「あぁそうなんだ、ちょっとつまらないな」と思うくらいで―――

そういえば、最後に彼に会ったのはいつだったろう。いよいよもって眠くて眠くて仕様がなくなってきた頃、何を思ったか自分の家を抜け出して、気がついたら閻魔殿の中庭で金魚草を眺めていた。あのギョロ目に見つめられたらちょっとでも眠気が覚めると思ったのかもしれない。…その時、彼が声をかけてきたんだっけ。眠すぎて何を話したかは覚えていない。私が寝てる間に死んだらアレだから、と別れの挨拶なんてした覚えも、とりあえずない。私は大人だ。少なくとも、彼よりは年上だ。年長者なんだから礼儀はちゃんとしなくちゃならない。挨拶もしないでさようならなんて、そんなのマナー違反じゃないか。


それとも、兄だろうか。生まれた時から一緒の兄は、こうして眠って起きた時は必ず近くに座っていた。そして、私が起きたのを確認すると「寝すぎ」と一言、笑いながら言う。自分だって同じくらい寝るくせにと思うが、頭をそっと撫でてくれる手はちょっとだけ好ましいので黙っておくことにしている。初めてその時期を迎えた時なんか、起きて早々泣きそうな顔で抱きついて来たのに。いや、あれはほとんど泣いてた。本人は絶対認めないけど。あんな顔、初恋の人が死んだ時以来で見た。携帯が手元にあれば写真かムービーかで悩むところだけど、どうせ実際持ってたとしても結局実行には移さないので口に出さない。


「……、…?」


声は、だんだんはっきりしてきた。もう誰だか判別できるくらいに。

この声は―――



 白い彼  黒いあの子



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