「こんにちは、かわいいお嬢ちゃん」 美蓉は振り返った顔にふわりと微笑んだ。それは、年の頃にして五〜七歳くらいの人間の子供だった。切れ上がった眦と表情の乏しさが年不相応だが、整った顔立ちの可愛い子だ。あと十年も経てばいい感じの美少女になるだろうな、と美蓉は心の中で思った。 「…どちらさまですか」 美蓉の姿を認識したその子供は、しっかりした口調で尋ねてきた。 「ちょっとこの辺旅してるの。怪しい者だけど、大した者でもないから安心して」 「そこは、怪しい者ではないと言うところでは?」 「だってさ、こんなところで可愛い幼女に声かける大人なんて、あきらかにヤバイ人でしょ」 自覚がある上でそれでも声をかけるんだから、余計性質が悪い。なんだか変な大人に遭遇してしまった子供は、関わらない方がいいと判断したらしく、水桶を持って立ち去ろうとした。 「あ、ちょっと待って」 「待ちません」 「あなたの親御さん、なんで女の子ひとりに水汲みさせてるの?」 子供の足がぴたりと止まる。その腕には、不釣り合いなほど大きな水桶。よく見ると細腕はふるふると震えている。落とさないようにすることでやっとなのだろう。 「…どうだっていいでしょう。貴女には関係ありません」 「それはそうだけど。お姉さん悪趣味だからさ、そういうの気になっちゃうのよね」 自虐のようにも取れるが、口調はまったく卑屈ではない。ただ純粋な、目の前のお子様への興味。それがこの時の美蓉の心境だった。彼女が引きそうもないことを察してか、子供はため息をついた。一旦桶を置いて変な大人を見上げる。 「いくつか訂正を。まず、私は“お嬢ちゃん”ではありません。男です」 「あれ、そうだったの?これは失礼」 「次に、私に親はいません」 要するに、みなしご。今時珍しくもない話である。だから美蓉は、別段何ということもなく「そうなんだ」とだけ返した。が、それが子供にとっては意外だったらしい。つり目をぱちりと瞬いて、 「…貴女、やっぱり変わってますね」 「ん。どゆこと?」 「私の周りの人間は、みんな私を馬鹿にします」 「なんで」 「みなしごなのと、余所者だからです」 「だから?」 「…え」 「親がいなくて、よそから来て。それがどうしたっていうの?」 首を傾げて尋ねる美蓉を、子供は一層不思議なものを見る目で見た。 「そんなの、今時どこの国でも珍しくないことよ」 いちいち馬鹿にしてたらキリないじゃない。そう言って、美蓉は近くの岩場に腰掛けた。そうして、子供に向かってちょいちょいと手招きする。 「おいで。せっかくだし、ちょっとお姉さんとお話ししてから帰りなよ」 子供の口ぶりからして、どうせ水汲みだってそんな大人のひとりが押し付けたものだろう。このまま重たい思いをして持って帰ったところで、なんやかんや難癖をつけられるのは目に見えている。嫌なことを先延ばししてもいいことはないが、美蓉は正論とは逆の生き方をしている神獣だ。己の隣をぺちぺち叩くと、子供は少し躊躇ってからおずおずと近づいてきた。 「いい子ね。…あ、おやつ食べる?ホオズキの根っこ」 「毒物じゃないですか。遠慮します」 「けっこう美味しいのに。じゃあ、代わりにこっちあげるね」 美蓉は、懐から別のものを取り出した。鮮やかな橙色の、ホオズキの実だ。 「綺麗な色でしょ?あなたにきっと似合うわ」 そう言って、彼の髪にホオズキを挿した。お団子にまとめた髪に、ちょうどよく簪のような具合に落ち着いている。 「思ったとおりね。可愛いわよ」 「…そう言われても、嬉しくありません」 「いいじゃない。男も女も老いも若いも、可愛いものは可愛いの」 機嫌よく口にして、美蓉は重ねて問うた。 「…で、その水何に使うの?とても飲めたもんじゃなさそうだけど」 水桶の中には、茶色く汚れた水が入っている。今の川の状態を見れば、それだけでも汲めただけいいというものだろうか。地面を歩けば土埃が立ち、植物は枯れたものが目立つ。ここしばらく雨が降っていないのだろう。ほとんど干上がった川を眺めながら、子供は起伏の少ない声で答えた。 「禊をするんです」 「これ、泥水だけどいいの?」 「それしかないので仕方ありません」 禊をするのだから、何かしら身を清めなくてはならない理由があるはずだ。この当たりの状況とこの子供の境遇を鑑みれば、予想はつこうというものだけれど。 「…ここ最近、一滴も雨が降っていないのです」 「そうみたいね」 「このままではみんな死んでしまうということで、雨乞いの儀式をすることになったんです」 「ま、考えそうなことだわ」 「で、私はその生贄に選ばれました」 「でしょうね」 あっさりと美蓉は言った。 「孤児で余所者。理由は十分よ」 「…やはりそう思いますか」 子供の方も、ずいぶんと反応が淡白である。そんな彼を美蓉はちらりと見やった。 「なんか、あっさりしてるわね」 「今さら騒いでも仕方ありませんから」 泣いても代わってくれる人はいない。逃げても子供の足では山を降りる前に連れ戻されるか、獣に喰われてしまうだろう。 「ねぇ、おちびさん」 「誰がちびですか。私は丁です」 「丁…ってそれ、『召使い』じゃない。改名したら?」 「もう死ぬのに意味ないでしょう」 「あら。黄泉の国に行った後はどうするのよ」 美蓉が発した黄泉の国、という言葉に子供は顔を上げた。 「黄泉の国…本当に存在するんですか?」 「ええ、あるわよ。近頃は亡者が好き勝手やってて大変みたいだけどね」 悪神でありながら天国在住の彼女だが、知人から地獄の話はよく聞く。特に、日本の黄泉はてんやわんやらしい。まるであの世を見知っているような口ぶりに、子供は少し首を傾げた。 「…貴女、本当にただの浮浪者ですか?」 「言葉のチョイスが遠慮ないわね。カワイイからいいけど」 美蓉はころころと笑い、ちょっと首を傾げた。 「実はねー。お姉さん、神様なの」 「…そうは見えませんが」 「あは、辛辣ね。ま、信じるかどうかはあなた次第よ」 ふふふ、と意味深に笑う彼女の表情からは、なにも読み取れない。半信半疑ではあったが、丁は口を開いた。 「…では、雨の神様とも知り合いなんですか」 「龍神?知ってるのもいるけど…この辺りに住んでるのは全然知らないわね」 「…そうですか」 「どうかした?」 「お聞きしたいことがあったので」 「なぁに?代わりにお姉さんが聞いてきてあげようか」 日本の龍神に知り合いはいないが、彼女の母国と国の位置自体は近いし、さすがに神獣饕餮の名前くらい知っているだろう。そう思って提案した美蓉の言葉に、丁はちらりと彼女を見上げた。 「私が生贄になったら、本当に雨は降るのでしょうか」 弱い砂埃のまじった風が吹く。風の音は、芯まで乾ききって軽かった。 「…それが聞きたいこと?」 「はい。もしちゃんと雨を降らせてくれるなら、少なくとも無駄死にではないですから」 村の連中が喜ぶのは癪ですが。最後にそう付け加えるのを忘れない。美蓉はしばし黙って子供の横顔を見つめ、やがてひとつ息をついた。 「分かったわ。この辺管轄の龍神探して、聞いてくる」 「ありがとうございます」 短く口にして、丁はすとんと岩を降りた。 「帰るの?」 「ええ。あんまり遅くなると、村の連中が心配しますから」 心配。それは恐らく、彼が生贄の役目を放棄して逃げることへのものだろう。 「…そう。じゃあ、明日の同じ時間、またここにいるわね」 「わかりました」 それでは。彼女に向かって軽くお辞儀をして、子供は水桶を抱えて向きを変えた。 「…みなしご」 と、ぼそりと美蓉が呟いた。思わず丁は足を止める。背を向けたままでいると、艶やかな声は先を紡いだ。 「それと、余所者。確かに、生贄にする理由としては筋通ってるわよね。だって、いなくなっても誰も困らないんだから。ついでに口減らしもできるし」 「……」 先程も言ったことに、辛辣な言葉を付け加えて繰り返す。彼女がどういう気持ちなのか、今の丁には分からない。 「でもね。私、正論とか誰もが納得できる話とか好きじゃないのよね。つまんない。筋ばっかり通ってても固くて美味しくないでしょ?」 そこで彼女は、何故か食材としての肉に例えた。確かに、筋張っているより柔らかい肉の方が美味しいが。 「それに比べて、あなたはとっても美味しそうよ」 「ロリコンですか」 「場合によってはイケるわね」 背後から楽しげな笑い声がする。本格的に、ヤバイおねえさんに捕まってしまったようだ。 「変態ですね。気持ち悪いです」 「それを言うなら淑女でしょ」 「貴女のどこが淑やかな女性ですか。…もう帰ります」 ため息をついて、丁は歩き出した。 「回頭見、坊や」 聞きなれない発音の単語が聞こえたが、どういう意味なのかは分からなかった。 ―――――――――――――――――――― 書いている途中で気づいたこと。前話で夢主をとっ捕まえた舜帝は、本来いきなり黄帝伝説の黄帝より後の時代の人です。そして、白澤さんが黄帝と会った時点で鬼灯もう大人……思わず自分に異議を唱えましたが、せっかくなのでこの連載では舜帝の方が前の時代の人ってことにしておいて下さい。史実で四凶を追放した舜帝とはちょっと違うみたいなノリで(どういうノリだよ)。ごめーんね! |