今から何千年も前の中国。現世には、舜という皇帝がいた。姓は姚(よう)、名は重華(ちょうか)という。名君として信望を集めていた彼にまつわる逸話のひとつに、四凶と呼ばれる四柱の悪神を中原(黄河中下流域にある平原)の四方に追放した、というものがある。


「…舜め、覚えてろよ」


次会ったら頭からかじってやる。息をするのもやっとなほどの妖気を発散しながら恨みごとを言う様は、さすが天下の悪神といったところか。しかし、状況が状況だけに、


「負け惜しみにしか聞こえないよ」


社の床に座した白澤は、妖気なんてなんのその、呆れたように目の前の羊に似た獣を見た。黒いもこもことした毛に覆われた体は、どうぞ存分にモフって下さいと言わんばかりである。しかしその頭部からは曲がりくねった角が生え、瞳は明らかに偶蹄目のそれではない。獣は鎖をかけられた体をだるそうに動かし、白澤を見上げた。


「うるさいわね。しょうがないでしょ、これくらいしか言うことないんだから」
「せめて、ごめんなさいの一言でも言ってみたら?」
「そんなの悪いと思ってなければ意味ないでしょ」


反省もなにもしていないようだ。これでは、舜帝に追放ついでの封印をされても文句は言えない。つい先日、妹の配下の妖怪が転がるように白澤のところへやってきた。ここ何日も出かけたきり帰ってこない妹を、心の内では心配していた彼が事情を聞くと、なんと現世の皇帝に捕まり、中原に追放されてついでに封じられてしまったというではないか。何やらかしたんだあいつ、と彼女が封印されている社にやってくると、中には強力な付呪を施した鎖につながれている妹がいた。


「しばらく断食してなさい」


封印の命令を下した張本人であるところの舜帝は、去り際彼女にそう言い放ったという。しばらく、ということは、そのうち解放してくれるつもりなのだろう。見たところ、鎖にかけられた呪いは非常に強いものだが、時間経過で消えるようだし。


「あのな、美蓉。いくらお前の本分が飲食だからってさ、龍神食べちゃマズイだろ」


何故彼女がこんなことになったのか。配下の妖怪によると、音信不通だった数日間、美蓉は日本の現世に降りていたそうだ。何のために日本に行ったのかは、その配下が口を閉ざしてしまったので深入りしなかったが、とにかくそこで彼女は龍神を喰らってきたらしい。龍神といえば水を司り、各地に雨の恵みをもたらす。そんな神を殺してしまっただけでも大変なことなのに、更にこの食いしん坊は、龍神を喰らって得た雨降らしの力を使ってとある山奥の村をひとつ、壊滅させたのだ。昼夜問わず毎日降り続く雨によって土は溶け、地形は崩れ、ついに大規模な土砂災害を引き起こした。村は瞬く間に、そこに住んでいた人間もろとも土の下で眠ることになった。

事件の犯人が饕餮という中国神獣だと知れると、一度日本の黄泉で捕らえられた彼女の身柄は、既に混沌、窮奇、難訓の三柱を追放していた舜帝に引き渡された。


「なんであんなことしたの」


責める気はない。ただ、理由が知りたかった。彼女は世間的に見て間違いなく悪い神様だが、理由もなく悪事を働くことはしない。まして、異国の神や力において彼女に太刀打ちできるはずもない人間を相手に。


「…さぁね」


兄の視線から外れるように、美蓉は前足に顎を乗せた。じゃらり、と鎖が鳴る。


「さぁ、って…何か理由あるからやったんでしょ?」
「兄さん。ちょっと誤解してるみたいだけど、私は悪神よ。邪なる、凶兆の印。私が現れたところに不幸が訪れるのは、当たり前のことだわ」


確かに、そうだ。妹の生まれ持った性質は、関わった事象の全てに漏れなく不幸をもたらす。彼女に関わり続けて無事でいられるのは、対極である吉兆の性質を持った白澤くらいだ。あとは、彼女と同じような禍々しい者達だけ。


――いや、違う。


彼にとって彼女は、決して禍々しくなんかない。大食らいでなんでもかんでも食べるくせに、けっこうあたって体調を崩したり。大人になった今でこそほとんどなくなったが、昔は誰かと喧嘩しては生傷を作って帰ってきたり。阿呆だ馬鹿だと言いながらも、根は悪い奴ではないのを、兄はよく知っている。


「…言いたくないなら今回は聞かないけど。次同じようなことがあったら、その時は何が何でも事情話してもらうからね」
「あら、いつになく強気なのね。優しい優しい白澤様らしくもない」


彼女は鼻で笑うようにそう言った。瞬間、すっと白澤の目が細くなった。そして、驚くほど速い動作で美蓉の脇腹を指で突いた。ちなみに、饕餮という神獣は脇腹にも目がある。


「痛ったあああああ!?なにするの!」
「目潰し」
「そんなの分かってるわよ!」


うううう、と偶蹄目らしからぬドスの利いた唸り声を上げる妹を後目に、兄はさっさと立ち上がった。


「当分来てやんないからな」
「もう来んな白豚!」
「うるさいラム肉」


ぽんぽんと言葉を投げつけ合って、社の扉がばしんと閉まる。


「…なんなのよ」


いきなり静かになった室内に取り残されて、扉の方に向かってぽつりと呟く。返事はない。外の音も、聞こえない。


「……」


突かれた目はまだちょっぴり涙が浮かんでいる。とてもむしゃくしゃするが、どうしようもない。仕方ないので不貞寝することにし、目蓋を閉じた。暗闇の中に浮かぶのは、日本での出来事。唯一同行していた眷属にも固く口止めをし、兄にすら話さなかった―――数日間。







「あらあら、かわいいお嬢ちゃんね」


かさかさに渇いた土の上で、小さな背中が振り返った。




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今更ですが、ここの饕餮は管理人の独自解釈ですのでご了承あれ。次回は妙に冷静なあの子のお話。



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