新入り獄卒コンビ、茄子と唐瓜。ふたりは今現在、閻魔大王の法廷にいた。彼らの視線の先では、鬼灯と長身の美しい女性が何やら談笑している。もっとも、笑っているのは女性の方だけだが。 「鬼灯様って、美蓉様とは仲良いよな」 ぽつりと唐瓜が呟く。長身の女性、美蓉は鬼灯の天敵である白澤の双子の妹だ。白澤の場合は存在を認知した瞬間、良くてガン付け、悪い時は顔面正拳突きをお見舞いする。しかし妹の方にはそんなこと一切しない。むしろちょっと優しいといえるくらいの接し方であった。 「…もしかして、あのふたり」 「そんなに気になるなら聞けばいいじゃん。ねーねー鬼灯様ー!美蓉様って鬼灯様の彼女?」 「あ!おい茄子!」 なんか前にもこんなことあったな、と思いつつ、唐瓜は友人の背を追った。茄子の質問を受け、鬼灯は。 「付き合ってます」 「え!ほんと!?」 「…と言ったら、貴女どう思いますか」 「え、なんで私に振るの?ていうかみんなには内緒のはずでしょ、バラしてどうすんのよ」 小鬼ふたりの様子を微笑ましく見守っていた美蓉が、首を傾げて彼を見上げる。すると、鬼灯はため息をひとつついた。 「…もういいです。貴女にツッコミを期待した私が馬鹿でした」 「今のボケだったの?」 「黙れこのボケ殺し」 もう一度呆れたような吐息をこぼし、鬼灯は部下ふたりに向き直った。 「付き合ってなんかいませんよ。ただの友人です」 「なんだぁ」 「あら。茄子ちゃんは、私と鬼灯が付き合ってた方が良かった?」 「うん、だって仲良さそうだから!」 無邪気にそんなことを言ってくる茄子の頭をよしよしと撫でて、美蓉はそっと振り返った。 「だってさ、閣下」 「…その顔、お兄さんそっくりですよ。この上なくムカつきます」 「双子だしね」 けろっと返す美蓉は、何だか鬼灯の扱いに慣れているような様子だった。 「あの、おふたりはいつ知り合ったんですか?」 唐瓜が遠慮がちに尋ねると、美蓉が指を顎に当てた。 「えーと…けっこう前よねぇ」 「けっこう、どころか大昔でしょう。私が現世にいた頃ですから」 「あーそうそう、あの時ね。…舜の野郎、」 「え、ちょっ美蓉様、すごい負のオーラが背後に…」 「しゅん、って誰?」 「今から四千年以上前に、美蓉さんを追放して封じた皇帝です」 「美蓉様を?すごいねその人!」 「そうね、逃げ足だけはすごいわね。やっと封印が脆くなったからぶち破って出てきてみればもう死んでるし、あの世まで探しに行ったらさっさと転生してるし、現世まで出て行ったら行ったでまた一足先に天寿全うして、あの世で探せばまた転生してる。何なのアイツ、私のこと馬鹿にしてんの?」 「舜帝の方が一枚上手ってことですね」 鬼灯が臆せず言うと、邪神はじろりと彼を睨んだ。新卒コンビと閻魔までもが身を縮めるような気迫だったが、補佐官は眉ひとつ動かさない。 「…ねぇ鬼灯、貴方かわいいけど、こういう時はヤな奴ね」 「今更でしょう」 「口の減らないお子様だこと。そんな悪い子には飲みに付き合ってもらおうかな」 「どういう理屈ですか。というか、まだ仕事が残っています」 「一日くらい、閻魔様が頑張ればなんとかなるわよ。…ですよねぇ?」 「え!儂!?」 突如矛先を向けられた閻魔が焦る。助けを求めて己の補佐官を見、ハンティング中の猟師のような視線を返され。小鬼ふたりを見、そっと視線を外され。最後に美蓉を恐る恐る見、輝くようなコワイ顔で微笑まれ。儂、一応王なんだけどなと心の中でため息をついた。 獄卒の花街として賑わう衆合地獄にある居酒屋の帰り、鬼灯と美蓉は通りを並んで歩いていた。彼より幾分背の低い彼女は、獄卒から妓楼の従業員や客引きまで、様々な人物に声を掛けられていた。 「美蓉の姐さん、ちょっと寄ってきませんか?」 「こんばんは、美蓉様。最近来てくれないですね、サチコが寂しがってましたよ」 「ごめんねー。今度顔出すからってサチコちゃんに言っといて」 「サチコって誰だよ」 兄ほどとはいかないまでも、彼女も花街と仲良しのようだ。それより、さっきの妓楼の従業員が言っていた「サチコ」という名前、明らかに女性である。 「…貴女、そういうアレでしたか」 「だって可愛いんだもん、あの子。首とかかじると涙目になるのよ」 「それ多分ガチですよ」 人でも妖怪でもお構いなしに捕食する美蓉に、例え甘噛みでも首筋に歯を立てられるなど普通は物凄い恐怖だ。しかしそのサチコなる従業員、最近美蓉が来なくて寂しがっているらしいので、彼女も彼女でそういうアレなのだろう。 「そういうお店って、その時だけで遊べるからいいわよねー」 美味しそうな子もいっぱいいるし。飲食が本分の邪神が言うと洒落にならないことを口にしつつ、美蓉は軽い足取りで歩いた。その背を、彼がちょっと目を細めて見つめている。特に何も言わなかったけれど。 「ねぇ鬼灯?」 「…なんですか」 「ちょっと飲み足りないんだけど」 「さっきの妓楼にでも行ったらいいのでは」 「この前、貴方の部屋にコキュートスのワイン置いてあったわよね。あれ、リリスあたりからもらったんでしょ?」 コキュートスとは、EU地獄にある一区画のことだ。そこで作られたワインが、美蓉は好きらしい。彼女に見つからないように戸棚の奥に隠していたのに、どうやって見つけたのだろう。機嫌良く笑う彼女に、ため息が出た。 「…ワイン飲んだら帰って下さいよ」 ワインを飲む前に帰れ、とは言えなかった。 * * * * * * 彼女がしてくれること。座敷童子たちの遊び相手、一緒に酒を飲むこと、頭を撫でること。 彼女がしてくれないこと。子供扱いをやめること、寝顔を見せること、必要以上の長居、それから、 「キスしていいですか」 唐突にそんなことを言うと、彼女は一瞬目を丸くした。しかしすぐにまた、いつもの微笑に戻る。 「らしくないわね。酔ってるの?」 「ええ。ふらふらです」 本当にちょっと頭がくらくらしているので、無抵抗でベッドに倒されることにした。彼女の解いた髪が顔に垂れてきてくすぐったいので、耳にかけてやる。結局、こうなるのか。鬼灯は横目でワインの空き瓶に一瞬だけ視線をくれる。それから、「やっぱり良い色ね、これ」などと彼の襦袢を摘んでいる彼女に目を戻した。 「もしくはキスして下さい」 「なにそれ、ますますらしくないわねぇ」 ムービー撮って兄さんに送ってやろ、と机の上の携帯を取ろうとするので、眉根を寄せて手首を掴んだ。 「あの野郎の話はするな」 そのまま手を引き寄せ、倒れてきた彼女の頬をとらえて顔を近づける―――が。 「おっと危ない」 楽しそうな声とともに、手で口を塞がれた。くぐもった唸り声で訴えれば、彼女は目を細めて笑う。そして彼の口に被せた手の上に自分の唇を乗せた。 「…これでいいかしら?」 顔を離して、ようやっと手をどける。仕返しに無言で頬をつねってやっても崩れない、笑顔。 「このラム肉が」 「どっちかっていうとマトンよ」 彼女本来の姿を羊に例えるとそんなことを返してくる。ああ言えばこう言う、彼も人のことは言えないけれど。 「どっちにしろ羊でしょう、大人しく食用になりなさい」 「窮鼠猫を噛むってね」 「貴女別に窮してないしネズミでもないでしょうが」 「ネズミじゃないけど、噛むことは噛むわよ?」 そんなことを嘯きつつ、彼の首に唇を当てた。今度は直に。でも、彼が望むところはそこではないことくらい、彼女は分かっているだろう。 「男の子の首筋っていいわよね。女の子の柔らかいのも口当たり良くて好きだけど、噛みごたえあるのもまたいいもんだわ」 「感想が完全に対食べ物なんですがそれは」 「貴方を食べようってわけじゃないわよ?…食べてくれって言うなら別だけど」 「お断りします」 「ねぇ、せっかくだしちょっと味見させて?指一本でいいから」 「何がせっかくなのか分からないので却下」 「えーケチー」 「いい年して可愛くもなんともないですよ」 「言うわねぇ、この熟女好き」 こんな若い見た目だが、彼女は白澤と同い年だ。それにしても自分で自分を『熟女』と言ってしまっていいのだろうか。 「別に熟女が好きなわけではない、です」 とりあえずそこから否定する。尖った耳を甘噛みされて若干声が詰まったけれど。 「ふぅん?じゃあ、貴方の好みってどんな子?」 「ミステリーをハントできる女性です」 「字面だけなら大概電波よね」 「うるさいですね。…そういう美蓉さんはどうなんですか、好み」 「そうねぇ…」 耳元で囁くように喋るので、彼女の声がダイレクトに脳髄へ差し込まれる。ちなみに、極めてどうでも良いことだが、美蓉の声は柔らかで艶やかな響きをしていた。これに甘い言葉なんて乗せて囁かれたら、大抵の者は腰を砕かれるだろう。本当に、どうでも良い話だ。 「可愛くて弄りがいのある人は男女ともに好きよ」 「男性の好みを聞いたんですが」 「殿方だけがそういう対象ってわけでもないしね」 「アンタ兄貴より節操ないな」 性別が女性ととりあえず限定しているどこかの淫獣と比較して、性別の区別がないのであまりにも幅広い。 「失礼ね、遊んだら遊びっぱなしの人と一緒にしないでよ。私は遊んだらちゃんと責任取るわよ」 「責任取って、食べるんですか?」 ずばり言ってやれば、「知ってたの?」とけろっと返された。…ため息が出る。 「…被害者はとんだ災難ですね」 「できる限り同意はしてもらってるわ」 食べてもいいか許可を取る、妙に律儀な悪神。いや、それに同意する相手側も大概だが。美蓉の気質がそうさせるのかなんなのか、彼女の周りには大分アレな者が多いらしい。 「それにしても、今日はよく喋るのね。お酒効果?アルコールって素晴らしいわね」 「貴女はいつも通りですね。耳元で喧しい」 「うるさいなら喋らせなきゃいいのに。ツンデレ乙ですわ、閣下」 口の減らない彼女はくすくすと笑ったのを最後に、言葉の投げ合いよりも違う方に集中することにしたらしい。ひんやりした指が着物の合わせにかかった。 彼が完全に眠っているのを確認して、極力ベッドを軋ませないように降りる。そっと机に近寄り、その上に置いてある水差しに手をかけた。ワインを飲んでいる時、水が飲みたいと言って彼に入れてきてもらったので、まだ中身は十分に満たされている。 「……」 蓋を開けて、懐から小さな瓶を取り出した。中の無色透明な液体を、水差しに注ぐ。一瞬だけ爽やかな香りがしたと思ったら、次の瞬間には水と混ざり合ってしまった。飲んでも何か入っているとは気づけないだろう。何たってこれは、薬学の権威が腕によりをかけて作ったものだ。水差しの蓋を閉めてベッドに戻ると、彼が寝返りを打った。こちらを向いた顔を寸の間見つめる。……そういえば、初対面の時女の子と間違ったなぁと思い出した。あれから四千年以上も経つ。全く、随分イケメンに成長してくれたもんよね。中身はけっこうアレだけど。ちょっと笑ったところで、彼の顔に髪が落ちてきた。反射的に指を伸ばすと、 「……、っ…」 彼が、小さく呻いた。夢を見ているのかな、などという微笑ましいものではない。苦しげに眉根を寄せ、呼吸も荒くなっていく。さっと彼女の顔から表情が消え、無言で机の方に移動した。先ほど小瓶の中身を入れた水差しからコップに水を注ぎ、とって返す。 「鬼灯」 彼の頬に片手で触れ、呼ぶ。眠っていても届くように、しっかりと。 「鬼灯、起きなさい」 ぱしりと頬を叩くと、目蓋が震えてゆっくり開いた。 「……何ですか、騒々しい…」 不機嫌そうに言うと美蓉は一瞬間を開けて、ふわりと笑った。 「ごめんごめん。…随分うなされてたから、思わず起こしちゃったわ。悪い夢でも見てたの?」 「…さぁ。覚えてません」 「夢ってそういうもんよねー。まぁ、水でも飲んで一息ついたら?」 そうして、片手に持ったコップを差し出してくる。喉が乾いていたらしく、彼はお礼を一言述べて一気に飲み干した。 「…?何だか呼吸が楽になりました」 「やっぱり変な夢見てたんじゃない?追いかけられて全力疾走する、とか」 「私はどちらかというと追いかけたい派ですが」 「夢に文句言ったってしょうがないでしょ」 あははと笑って、彼女は立ち上がった。 「もう帰るわね。明日…っていうかもう日付変わってるけど、友達と約束あるの忘れてた」 彼の返事を待たず、美蓉はドアノブに手をかけた。 「ワインご馳走様。…それじゃ」 ぱたん、と扉が閉まった。 静まり返った閻魔殿を歩いていると、中庭にちょっと意外な人物の背中を見つけた。 「…兄さん、」 驚く程掠れた声が出た。それでも、階段に腰掛けたその人には聞こえたらしい。 「何回見てもさ、これのどこが可愛いのか全然分かんないんだよねぇ」 目の前に広がる金魚草たちは、皆弱い風にわさわさとさざめいている。時折びくっと体を震わせたり、「剪定鋏…剪定鋏はやめろ…」と寝言を言ったりしていた。 「こんなところで何やってんの」 「彼女を送った帰り」 彼女がいったいどの“彼女”に当たるのか不明だが、そこは詮索したって何にもならない。 「閻魔庁の職員?…バレたら鬼灯にボコられるわよ」 「あいつは意味もなく殴ろうとしてくるよ」 よいしょ、と一言、兄は立ち上がってこっちにやってきた。 「そういうお前は、またあいつのところ?」 「まぁね」 「あんな朴念仁のどこがいいのかねぇ。お兄ちゃんはサッパリ理解できませんよ」 「自分で“お兄ちゃん”って言うとキモチワルイわよ」 笑った…つもりだったが、どうやらうまくいかなかったようだ。兄は、身内の彼女しか気づけないくらい微妙に表情を変えた。 「何かあったの?」 反撃でもされたかとからかう兄に、妹は返事をしなかった。代わりに、とん、と彼の胸に額を当てた。予想外の行動に笑顔が引っ込む。 「…美蓉?」 「……白澤」 妹が兄を名前で呼ぶ時は。 「…もう、だめみたい」 やっぱり。ぽつりと付け加えられた言葉は、ひどく不安定だった。 ――――――――― 夢主の声は、某敦子さん系。そして多分次もシリアス回。 |