人間でいえば15歳くらいの頃。いわゆる思春期あたりの時の彼らは。 「兄さん」 背後から呼ばれて振り返ると、戸口に妹が立っていた。 「ただいま」 「おかえり。遅かったね」 妹はご飯を探してくる、と言って現世に降りていた。彼女に任せるとつまみ食いしまくるので本当は一緒に行きたいのだが、今日は可愛い天女とデートだったからしょうがない。 「彼女、帰ったの?」 背負っていた籠をどすんと下ろし、聞いてくる。その中には多種多様な食材がぎゅっぎゅと詰め込まれていた。中にはあからさまに劇薬の素材になりそうなものもある。 「…お前の“ご飯”の基準ってなに?」 「食べられるもの」 まぁ、間違ってはいないけれど。早速一番上に乗せられていた木の実?のようなものを手に取り、口に運ぶ。もう汗ばむくらいの気温なのに、やけに袖の長い服を着ていた。出かけて行った時にはなかったものだ。 「それ、どうしたの?」 「ついでに買ったの。いい色でしょ」 深い朱色が確かに美しい。けれど、今注目すべきはそこではない。 「……。饕餮、ちょっとそれ脱いで」 普段は呼ばない名前を口にすると、半ば条件反射のように拳が飛んでくる。いつもなら為す術なく被害に遭うが、この時は動きが見えた。ぱしっとてのひらで受け止めると、妹が目を丸くした。その隙に手を伸ばして赤い着物を肩から外す。 「…っ!」 現れたのは華奢な腕。今朝家を出る時、妹は袖のない服を着ていたのだ。真っ白な肌の上には、紫色の痣や切り傷、乱暴に拭った血の跡なんかがありありと残っていた。 「…また喧嘩したのか」 「してない」 「ほんとに?」 「…うるさく絡んできたから、ちょっと追い払おうとしただけ」 結局したんだな、喧嘩。白澤はため息をついた。小さな頃から、妹は口より先に手が出るタイプだった。物腰の柔らかい兄とは大違いである。それでも昔はもっと可愛げあったのに。そんなことを思いながら白澤は椅子を指し、座るように言った。 「で、今日のお相手はどちらさん?」 「…難訓」 「あぁ、西の方に住んでるヤンチャ坊主ね」 棚から綺麗な布や薬草を取り、水を汲む。最近準備に手馴れてきた。 「ご飯取られたとか?」 「名前が被る、って」 難訓は別名、『檮兀(とうこつ)』という。そして彼女の名前は『饕餮(とうてつ)』。一文字違いだ。 「あいつ、私に改名しろって…」 「いい機会じゃん。お前、その名前嫌いだろ」 「別に嫌いじゃないよ。ただ、かわいくないってだけ」 唇を尖らせる妹を横目に、道具を机に置く。器に薬草を入れて擦り潰し始めた。 「それに、そう言われて変えたらあいつの思い通りになったみたいでシャクじゃない」 「まぁ…分からないでもないけど」 いくつかの材料の中からそれぞれの効能を思い出しながら選び、器に投入する。そのうち、切り傷に効く薬が出来上がった。薬と道具を持って椅子を引き、妹の前に腰掛けると、彼女はちょっと身を引いた。 「…なにそれ」 「塗り薬。切り傷に効く…はずだよ」 「すっごい不安なんですけど。あと、この前作ってたのと違わない?」 「あれに痛み止めの効果あるやつ足してみたんだ」 「私実験台ですか」 「そういうこと。…まず傷洗うから腕出して」 言われて、妹はものすごく嫌そうに腕を持ち上げた。凶を司っているくせに痛いのが苦手なのだ。 「しかしお前も飽きないねぇ。この間は鬼五人くらい一度に叩きのめして、その前は現世の人間ぶっ倒して。鬼はまだしも、人間はまずいよ人間は。僕ら神様なんだよ?」 「兄さんはそうだけど、私は悪鬼と変わんないんだから気にしな……ッ!!」 「そういうこと軽々しく言うんじゃありません」 言葉の途中で一番酷い傷を洗う。水に浸した布でちゃんと配慮しながら触っているが、痛いのは仕方ない。傷を洗い終え、薬の入った器を取り上げた。 「しみるから、我慢してよ」 「そこは痛くないよって安心させるとこじゃないの?」 「嘘ついてどうするの。痛いに決まってんじゃん」 これだけの傷なんだから。そう言いながら兄はひとつひとつに薬を塗布していく。その間、妹は顔を歪ませつつも唇を噛んで耐えていた。最後に清潔な布で傷を保護し、処置を終える。綺麗に手当された腕を眺めて、妹が感心したように言った。 「兄さん、近頃手際よくなってきたよね。薬のレパートリーも増えてるし。将来薬局とか開いちゃえば?」 まぁ、売り上げの半分以上女の子に使いそうだけど。付け加えられた言葉は無視することにした。しかし、薬局という案自体は多少なり興味をそそられる話だ。 「自営業か…いいかもね」 「兄さんって顔は綺麗なんだから、お客さん来ると思うよ」 「顔は、ってなんだよ。そもそも目的違うでしょうが……可愛い女の子ならそれでもいいけど」 いいらしいが、それはそれとして。道具を片付ける手を止めないまま、白澤は何気なく尋ねた。 「…で?」 「なによ」 「喧嘩の本当の理由は?」 一瞬、背後が沈黙する。彼女は口より先に手が出るし、相手の難訓も血の気が多いことで有名だ。しかし、たかが名前が被っているくらいでここまで派手にはやらないだろう。少し間を空けて、 「……あいつ、馬鹿にした」 「なにを」 「兄さんのこと」 思わず振り返る。妹は顔を俯け、布の巻かれた腕を見つめていた。 「吉兆の印のくせに女狂いのろくでなし…って。ほんとのことだけど」 「最後ので台無しだよ」 「そりゃぁ、兄さんは毎回違う女の子と遊んでるし、元気になる薬も自分で作っちゃうくらいだけど」 「ちょっ、あれ見てたの!?」 「録画済みです。…それはどうでもいいとして、」 「よくないよ!」 わざわざ彼女が寝静まったタイミングを見計らって取り掛かったのに。焦る兄を尻目に、妹は続ける。 「いくら事実でも、人の兄さんのことそんな風に言わなくたっていいよね。さすがに腹立つわ」 思い出したらまた殴りたくなってきた。物騒なことを言っている妹に、兄が音もなく近づいた。何だろう、と顔を上げた彼女の頭に手が乗る。 「…なに?」 「なんでもない」 「ふぅん」 内心なんでもないわけあるか、と思っていたが口には出さず、妹はされるがままにじっとしていた。艶やかな髪を少しだけくしゃりと乱して手が離れる。そのまま、兄は妹の顔を見ようとせずに片付けの続きに戻った。 「お前、当分外出禁止な」 「え?なんでよ」 「こう頻繁に怪我されちゃぁね。毎回手当する身にもなってよ」 とりあえず、傷が完治するまで。兄は酷いことを簡単に言ってのけた。 「えーつまんなーい」 「『何もしない』って最上級の贅沢だよね。貴重な時間を無駄に過ごすんだもの」 兄の言い分を受けて、妹がむぅと唇を尖らせる。摘んでやりたくなったが、手が届かないのでやめにした。 「しょうがないから、兄さん遊んでよ」 「いいけど…なにすんの?」 「うーん。とりあえず、女の子の落とし方教えて」 「なにそれ」 どうしてそんなこと知りたがるのか。妹の恋愛事情には干渉しないようにしているけれど、そっちの気ではないはず。やっぱり意味わかんないな、と自分のことは棚に上げて白澤は思った。 「あー、いてて……饕餮のヤツ、あんな怒ることねェだろ?ちょっとからかっただけじゃねェか」 「ごめんください」 「あ?…なんだ、色ボケ末吉野郎か」 「あは、微妙にいいことあるかもしれない運勢だねぇ」 「笑ってんじゃねェぞ。俺になんか言うことあんだろ?」 「うん、今日はそのことで来たから。檮兀君、うちの妹が悪かったね」 「へぇ?随分物分りがいいな」 「伊達にあの子の兄貴やってないからねぇ」 「…てめェも大変だな」 「お察しありがと。それで、これお詫びなんだけど」 「?なんだこれ。…お、すっげーいい匂いすんな」 「薬膳料理だよ。疲れた体に効くんだ」 「てめェが作ったのか?」 「そうだよ。…腕によりをかけて、ね」 「なかなかやるじゃねぇか、饕餮とは大違いだな。よし、今回はこれで許してやるよ」 「さっすが、檮兀君は心の広さが違うねぇ。…それじゃ、僕はこれで」 「おう。気ィつけて帰れよ」 「薬膳料理ねぇ…うまそうだな。どれ、いただきます」 ぱくっ。 「…あ、いけない。ブート・ジョロキア入れすぎちゃった」 うっかり、うっかり。 遠くに聞こえる凄まじい悲鳴をバックに、白い神獣は綺麗に微笑んだ。 ―――――――――――― 檮兀の兀(こつ)の字は本来、木偏がありますが、変換で出なかったのでこちらに。 そしてブート・ジョロキア=世界一辛い唐辛子(2007年にギネス登録)らしいですが、この時代の中国にあったんだろうか。いや、ない(反語)。 |