気も遠くなるほど前のこと。北京原人を始め、その他今では絶滅した動植物たちが世界に溢れていた頃。今で言う天界に相当する場所に、ふたりのお子様がいた。彼らはそれぞれ吉と凶を司る神獣であり、双子の兄妹であった。つまらなそうに足をぶらぶらさせているのが兄の白澤、その隣で何かをもきゅもきゅかじっているのが妹の饕餮だ。己ら以外ほとんど何もいない状況に飽き飽きし、白澤が口を開く。


「誰もいないね」
「そうだねぇ」
「何か寂しいね」
「まったくだ」
「また現世行ってこようかなぁ」
「いいねー」
「…あのさ、饕餮――グフゥ!?」


その名を口にした瞬間、白澤の鳩尾に綺麗な右フックが入った。思わず枝から転げ落ちる兄を、妹は助けようともしない。


「重い…一撃が重いよ…」
「その名で呼ぶな」
「な、なんで?」
「かわいくない」


そんな得体の知れないものをもぐもぐやりながら言われても…と思ったが、口にしたら今度は顎を潰されかねないので控えた。


「じゃあ何て呼べばいいのさ」
「……。考え中」


とりあえず気が済んだのか、妹は枝から降りてきた。「ん、」と片手を伸ばしてくる。一応、倒れふした兄に手を差し伸べるくらいの気持ちはあるらしい。小さなてのひらを掴んで立ち上がるが、礼は言わない。元凶は彼女なのだ。


「それで、現世に行くんでしょ」
「何か今のですごいテンション下がっちゃったよ…」
「どの辺に降りる?今日は確か、西のシダの森で美美と好好がデートだよ」
「メイメイにハオハオ…って、あの人間のカップルのこと?」


こくり、と妹が頷く。


「今一番応援してるふたりだから、名前付けてみた」
「あ、お前も?実は僕もなんだよね。女の子の方…美美ちゃんだっけ?あの子かわいいよなー」
「うん。あの辺では一番の美人だね。あと、好好はちょっと奥手だけどいい奴」
「野郎はどうでもいいかな」


そんなやり取りをしながら、現世との境に移動する。周囲に誰もいなさすぎて、兄妹はよく現世に降りて遊んでいた。


「ていうか、お前何でデートの予定なんか知ってんの?」
「この前約束してたの見たじゃない。好好がついに勇気ふりしぼってさ」
「そうだっけ?美美ちゃんのかわいさに見蕩れてたよ」
「兄さんはブレないね」


さっきから食べていた何かの、最後のひとかけらを飲み込んで、妹はぼそっと言った。







「そこはキスだろ、好好!」
「痛ったぁ!?ちょっと、僕叩いてどうすんの!」
「せめてハグして『愛してるよ』の一言でも添えろよこのヘタレ!」
「い、いや、草食男子にそれはハードル高すぎじゃ…」
「いつティラノに食われるかブラキオに潰されるか分かんないんだよ?伝えられる時に伝えとかなきゃ!」


妙に男前な発言をした妹は、腹立ち紛れに兄の額を指で突き(ちなみに白澤という神獣は額にも目がある)、手にしたおやつをかじった。「食べるなよ!絶対だぞ!」という意思が容易に汲み取れる毒々しい色合いをした、キノコ系の植物である。饕餮というのは飲食を好み、それこそ“何でも”食べられる獣なので、気にした風もなかったが。


「あーもう、兄さん見た?別れ際の美美の顔、ものすっごく残念そうだったよ」
「目が、目があああぁぁぁああ」
「…まぁ、デートに誘っただけ一歩前進か。それでも先は長いね」


別々の方向へ去っていく若いふたりの背中を見送って、ため息ひとつ。妹は木の上から降りた。兄は一足先に地面におり、額を抑えてごろごろ転げまわっている。…何だかデジャヴだ。それも、すごく短いスパンの。


「もう帰ろっか。何か美味しいもの食べたい」
「お前は色気より食い気だな」
「食い気あっての色気だからね」


あっさり言ってキノコをもぎゅもぎゅやる。さっさと歩き出してしまったので、白澤も立ち上がって後を追った。


「ねぇ、兄さん」
「なんだよ」
「兄さんは、好きな子できたらちゃんと自分の気持ち伝えてね」
「僕の自由だろ、それは」
「そうだけど。人生、何があるか分かんないしさ」


ませたことを言う妹の顔からは、いつも通りに何も読み取れなかった。



* * * * *



「…って感じだったなぁ、あの頃は」
「それ、大氷河期が来る前?後?」
「ていうか目覚めるの早いな」
「何でも知ってるに越したことないからね」


一通り話し終え、美蓉はお茶をすすった。白亜紀あたりの話なんて聞く機会はないので、けっこう貴重だ。


「あの頃もそれなりに面白かったけど、やっぱり今の方がいいわね。文明も発達してるし、美味しいものもたくさんあるしね」
「何故だろう…“美味しいもの”と聞いて背筋がぞわってなった」
「唐瓜、風邪?」


ぷるぷると身を震わせる唐瓜に対し、茄子は呑気なものだ。彼が親友のおでこを触って熱を確かめている間に、鬼灯がすっと箸を置いた。まだ食べ終わったわけではない。彼はそのまま爪楊枝を三本ほど取ると、食堂の入口に視線を向けた。その目はまるで獲物を狩るハンターである。


「…鬼灯君?」


閻魔が怪訝そうに声をかけた、その時。


「そっかぁ、残念。別れたら教えてね」


軽い調子の声が向こうから聞こえた。続いてガチャリと扉が開き、同時に鬼灯が爪楊枝を投擲した。細いそれらは空気を割いて飛んでいき、今しがた入ってきた人物を襲撃した。


「…っうわぁ!?」


入ってきた人物は間一髪で避ける。今の今までその人の頭――正確には目――があった位置には、三本の爪楊枝が突き立っていた。閻魔大王の補佐官にかかれば、細く小さい楊枝も磨きぬかれたクナイに変わるのだ。


「ぴ…ピンポイントで目を狙うなぁぁぁ!」 
「ご機嫌いかが、白澤さん」
「あ、兄さん。元気そうね」
「機嫌良いわけないだろむしろ最悪!それと美蓉、お前何でここにいるんだよ!」


森羅万象に通じる神獣は、ビシッと妹を指さした。


「何でって…ご飯食べに」
「絶対食べ過ぎたろ、それと請求書の送り先僕にするのやめてくんない!?それくらい自分で払えよ!」
「ケチケチしないでさぁ。薬局の売り上げ7割女の子に使うよりはいいでしょ?」
「良くない!」


かの超がつく女好きの白澤が、女性に声を荒らげているのを一同は初めて見た。身内はわけが違うらしい。


「そんなに怒らないでよ。薬代はちゃんと払うから」
「当たり前です。…この前電話で言ってたやつ、もう出来てるからな」


後で取りに来いよ。不機嫌そうに言って、白澤は踵を返す。


「ご飯食べに来たんじゃないの?」
「最初はそうしようと思ってたけどね!誰かさん達のおかげでその気が失せた」


やっぱり家で食べる、と出ていこうとした。と、その背に風のような速さで追いつく人影が。言わずもがな、目をきらきらさせた美蓉だった。 


「もしかして薬膳?薬膳鍋作るの?」
「え?まだ決めてないけど」
「やったぁ、兄さんの薬膳鍋激ウマなのよね!」
「だからまだ決めてないって――」
「テッちゃーん!お代の請求書、桃源郷の極楽満月にしといて!」
「はいはい、いつもみたいに書いときますよ」
「ちょ、美蓉…!」
「美味しかったよ、ごちそうさま。皆も話せて良かったわ。またね!」


最後に鬼灯達に手を振り、美蓉は白澤の腕を引いて出て行ってしまった。吉と凶の二神獣は、言い合いをしながら(主に白澤が一方的に怒っているが)遠ざかっていった。


「なんていうか…うん」
「何か似てるね」


後に残された一同は、結局のところ、そんな意見に落ち着いた。



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