![]() 君の香り(後)抱きしめられたときに包まれた、君の香りが五感から片時も離れない。 「恋の病……ですねぇ」 と、古株さんから苦笑混じりに言われるたび、僕は赤くなって俯くしかなかった。 あれから1週間と少しが過ぎて……水曜日、今日はCHELSEAの定休日だ。 イシドさんに会いたくて堪らなくなった僕は、こっそり彼を訪ねようと心に決めていた。 つまり―――お客さんとして……。 彼にも話した通り、僕の住まいはこの店の2階。 この場所は小さい頃僕を引き取ってくれたお祖母ちゃんがなくなる前まで小さな小料理屋をしていて……僕が育った場所でもある。 僕が成人してからお祖母ちゃんがなくなり、さすがに小料理屋は出来ないので……苦肉の策でお花屋さんを出した。 2年経っても経営が回らなかったら店を閉じここを手離すしかないぞ、と覚悟してダメ元で始めたのに、イシドさんのお陰で2年目はすごく利益が伸びて…出店した改装費の元がすぐにでも採れそうな勢いだ。 僕は、経営が苦しかった1年目に…実は女装してキャバ嬢の面接を受けたりもしていて…もちろん今となってはその必要もなくなったのだけど。 その時に面接で使った服を身につけて、SINCEREを訪ねた。 キャバ嬢の面接にだって受かった位だから……大丈夫、バレない筈/// 「へ〜ぇ、ツテなしでイシドシュウジさんを指名って…君顔に似合わずいい度胸だねウッシッシ…」 「……ええっ///ダメなんですか?」 「へっ?それも調べてないの?……毎週水曜は船越財閥令嬢の瑠璃香様がイシドシュウジさんをお忍びで訪ねられる日で…」 「小暮、何を余計な話をしている?その子が気後れしてるじゃないか」 凛々しく甘い声が待合室に響いた。 イシドさんの声だ――― 黒服くんの言葉に肩を落としていた僕は思わず頬を紅潮させて姿勢を正した。 「SINCEREへ、ようこそ……」 口許に優しい笑みを浮かべて、イシドさんは………僕をじーっと見てから手を差しのべて、それから僕が手に持っている花束にもふと目を止める。 「あ、これ…あなたに…」 「…………ありがとう」 イシドさんは丁寧な仕草でそれを受け取って「会えて…嬉しい」と耳元で囁くから―――ドキンと心臓が飛び跳ねる。 し……商売とはいえ凄い破壊力だよね/// さっきの黒服くんの話とは違い、イシドさんはまるで約束していたかのように僕を席までエスコートしてくれた。 「今日は何時までここにいられますか?」 「え………?」 ああ…そういうことね、上手い聞き方だなあ…先約を待たせてるから、僕との接客時間をうまく調整しようとしてるんだ……困らせちゃいけないよね。 「あの、長居は出来なくて…1時間位で失礼しますから…」 「…………そうか」 ふかふかのソファーに場違いな感じで身を沈め、遠慮がちに答える僕の頭を撫でて イシドさんは「少し待っていてくれ」と囁いてその場を離れた。 ああ、例の令嬢さんに事情を説明してるんだね… すごく綺麗な女の人に何やら耳打ちをして丁寧にお辞儀をして………こっちをみて―――わぁっ……ウ、ウインクされたぁ/// もうっ……僕、耐性ないんだから思わせ振りにするのはやめてほしいよっ そして、まもなく僕の所へ戻ってきたイシドさんとの時間は、まるで夢のように過ぎていく…… 肩先が触れあうかどうかの心地よい微妙な距離感、カクテルを手渡すときに僅かに触れる長い指。 その指で、額にかかる僕の前髪をたまにすいっと梳くように撫でてくれたり… 話を聞く表情も優しくて、真っ直ぐ僕の瞳の奥を捕らえる漆黒の双眸に、僕は終始夢見心地だった。 「さあ…そろそろ行こうか」 「////え?」 美味しいカクテルにも雰囲気にも酔っていた僕は、お姫様みたいにイシドさんに手を取られてふらりと立ち上がる。 「送るから」 「えっ!……」 「帰る時間…なんだろう?」 「あ///あのっ」 イシドさんはまるで結婚式みたいに自分の腕に僕の腕を絡ませて歩き出す。 フロア中から羨望の視線を浴び、僕は照れで意識を失いそうになりながら下を向いてついていくしかない。 こ、これがまさかアフターってやつ??―――てか頼んでないしっ/// 店を出て、階段を下りかけて僕ははたと足を止める。 「あ、あのっ…お支払………」 「気にしないでいい。こないだのケーキのお礼だから」 「ぇえ―――っ!!」 ―――ば……バレてたの?!! 僕は唖然とするやら照れ臭いやらときめくやら、もう訳がわからないままイシドさんにエスコートされてCHELSEAに戻った。 「あ///ありがとう…ございます」 ここに着くまで一向にほどいてくれなかった腕を……僕は少し引くと、そのままするりと解かれる。 「何で……僕だとわかったんですか?」 「肌の白さも瞳の色も…美しさはごまかせないからな」 それに花束と…ほのかに薫る甘い香り ―――すぐにお前だとわかったぞ。って、急に男臭い表情で見つめられて身じろぎも出来ない。 「帰る前に………素顔が見たい」 「………そ、そんな…」 「待ってるから。シャワーでも浴びておいで」 僕は………ときめきで卒倒しそうになりながらも、外で待たせてはいけないと思い、イシドさんを連れて2階の部屋に上がる。 そして、お世辞にも片付いているとは言えないし、広くもない部屋のダイニングに彼を待たせて、大急ぎでシャワーで仮の姿を洗い流した。 「………おいで」 カタン―――とバスルームのドアを開けた音に気づいたイシドさんは立ち上がり、艶かしい微笑を浮かべてまた手を差しのべた。 そして、僕は惹きよせられるままに 彼のはだけた白いシャツの胸に… 躊躇いながらも身を任せると ―――温かい。それに少し速まった鼓動も聴こえる。 「会えて…………良かった」 ぎゅうっ……と抱きしめられてそう囁かれ、それから指で顎を持ち上げられる。 「名前………何て言うんだ?」 「吹雪……士郎です」 「俺は………」 「??」 「豪炎寺修也」 …………本名? 僕に……そんなこと教えていいの? 「ごうえ……」 豪炎寺修也って素敵な名前だね……と言おうとして、全然言葉が続かない。 だって 引き合うように唇が重なったから――― まるで運命のように。 帰らないの? ―――ああ、急遽休暇を貰ってきたんだ。 君の香り*完 続きはこちら→☆ |