君の香り(前)



10月9日。

それは僕が切り盛りしている
florist CHELSEA(チェルシー)の開店2周年の日。


「おはよう吹雪くん。2周年おめでとう」

「あ、古株さん。おはようございます………って、これ………」

「君にだよ、ウチの奥さんが焼いたんだ。口に合うといいが…」

「ふふ///古株さんの奥さんのパウンドケーキ、僕大好きなんです。ありがとうございます」

僕はお祝いのケーキを受け取って古株さんにぺこりと頭を下げる。


さて―――


「………えっと、これが今日の配達分です」

「うわぁ、今日は商売繁盛だねぇ」

「はい、今日はお得意様のclub SINCERE(シンシア)の1周年の日でもあるから…」

今日はお花をいつもの3倍仕入れた。

何故ならSINCEREのNo.1ホスト・イシドシュウジさんが『CHELSEA』の作る花束を気に入っているという噂があって―――

こないだのイシドさんの誕生日にはいつもの2倍仕入れた花束が10時過ぎに売り切れてしまった。

SINCEREの開店前と後、そして例の噂が流れ始めてからの売り上げを考えれば、もう、ホントに僕のお店の7割はイシドさんで持っていると言っていいと思う。



「じゃ、吹雪くん。お先に失礼するよ〜」

繁華街の一角の店だから、うちの商売相手は全て夜のお店で
古株さんには午後3時から11時の勤務で、主に配達業をお願いしている。

僕はいつも午後2時から午前2時の間のお店番が仕事だ。




しかし、凄いなあ
イシドさんの人気って―――

花があればあっただけ売れてしまう。今日だって、日付が変わる前なのに、もうお花が残り少ない……

僕は、ふと思い立って店の扉に『closed』の札を掛けた。

残り物だけど……僕からSINCERE用に花束を作って……プレゼントさせてもらおうかと思って。

『配達です』って花束を届けついでに、イシドシュウジさんの顔を………ひと目見てみたいという衝動が生まれたからだ。



イシドさんってどんな人なんだろう……

思いを馳せながら丁寧に花束を作っていくのは楽しい作業で、なんだか凄くときめいた。


コンコン―――コンコン―――


スイッチを切った自動扉をノックする音にハッと気づくと、外に男の人が立っているのが見える。

暗くて容姿はよく見えないけれど、深紅のスーツに身を固めた見映えのする風貌はこの界隈の人間に違いなかった。



「はぁい…何かご用ですか」

「君が…CHELSEAの店主なのか?」

「……?…はい///」


きりっとした端正な容貌に、象牙のように鮮やかな金髪。ボタンを2つ外して着こなすシャツの隙間から覗く褐色の肌が艶かしい。

どこから見ても人目を惹くし、特にその切れ長で深い黒の双眸は犯罪級。

真っ直ぐ見つめられた瞬間、僕は金縛りにあったように動けなくなってしまった。


なのに………彼ったら……さらに………


「いつも有難う」

「えっ/////」


突然にふわっと抱きしめてくるから……その勢いで彼の胸に思い切り顔を埋めてしまう。

洗練された香水の匂い。それに知性と野性が程よく入り交じるフェロモンに、僕は目眩した。


「いつも、君の花束に心癒されていた」

「……………!!」


僕はハッとして顔を挙げ、その人をまじまじと見つめる。「あの……ひょっとして…あなたは…」


――イシドシュウジさんですか?――


そう訊ねると、彼……イシドさんは切れ長の目を綺麗に細めて「ああ。はじめまして」と口の端で微笑して

僕は、職業柄に似合わず媚びないその凛々しくて自然な表情にすっかり心を奪われてしまった。


「今夜は…閉店なのにすまない。出来れば頼みたいことがあって…」

「え、何ですか?」

イシドさんは僕から離れてちらりと店内を一瞥し「花束をひとつ、作って貰えないだろうか」と言う。

「あ……余り物でよければ、今丁度…」

僕は出来上がってリボンをかけるだけになっていた花束を抱えてイシドさんに見せた。

「フッ………完璧だ。君ごと持って帰りたい位にな」

「っ////」

「それを貰ってもいいか?」

「ええ………あの、贈り物ですか?」

「ああ」

贈り物……と聞いて鼓動が何故か速くなる。

「男性用……それとも女性用ですか?」

少し考えてからイシドさんは「まあ一応、女性だな」と答えるから、僕の胸がズキンと痛む。

ああ、やっぱり――彼女とか…いるんだよね。

「……じゃあリボンはピンクとかオレンジで…」

「ピンクにしてくれ、妹の好きな色だから」

「………妹さん?」


僕が安堵とともにあまりに顔を輝かせて彼を見たのがミエミエだったのか、イシドさんは僕と目を合わせて微笑んでゆっくり頷く。


「ありがとう、助かったよ」

「わあ///こんなにっ、あのお釣り…」

「残業代だ。取っておいてくれ」

「…………………」

「それより…どこかこの辺りにケーキ屋を知らないか?」

この時間に空いてる近辺の店はない……僕は申し訳なさそうに首を横に振った。

「……だろうな。有難う」

「あっ///待って」


僕は古株さんの奥さんのケーキを思い出して、急いでピンクのリボンでラッピングする。


「頂き物ですが…これ、パウンドケーキです…どうぞ///」

「………いいのか?君も何かお祝いだったんじゃ…」

「あは///じつはこの店も今日が2周年で」

「…………10月9日か」


ウチの店と同じだな、と呟き…それから『妹の誕生日は10日だ。日付が変わるとうるさいからな、明日の勤務明けじゃダメらしい』と、とても優しい顔で言った。


じゃあ妹さんがお待ちかねですね、とお店の外まで送り出しながら「妹さん…何歳になるんですか?」と訊ねると

「17になる。俺より7つ下なんだ」と僕の目を見て答え、それから「君……こんなに遅くて帰りは大丈夫なのか?」

と僕のことなんかを気にしてくれる。

「…大丈夫です。僕はこの上に住んでますから」

そう答えると、イシドさんは安心したように頷き片手でぐいっと僕を引き寄せて「10月9日はもうひとつ大事な思い出が出来たな」と囁いた。


えっ………ええっ………それ…って……


「俺たちが出会った記念日だ」


もう、ダメ///ぼおっとして動けない僕から離れて彼は後ろ手を振って去っていく。


僕はその後ろ姿を放心状態で見送った。
prev|topnext