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「あ、僕がやるよ」

花瓶の水を替える手を止めて難しい顔をしていた豪炎寺くんからそっと瓶を受けとった。


「父を………知ってるのか?」

「うん、」


僕に花瓶を託した彼がベッドサイドのパイプ椅子に座る。

そして、しばらくの沈黙。



僕は水を替えた花瓶を備え付けのチェストに戻して彼に振り返ると、何やら怖い顔をしてこっちを見つめているから、肩を竦めて微笑を返した。


「豪炎寺先生はね、僕の主治医をしてくださってたんだ」

「…………」

「僕は小2のとき雪崩事故で家族を亡くしてね……一人遺されちゃったんだ」


彼の黒い眸がハッと見開かれて僕を見る。



「その時負った所々の体の傷は、日常生活に支障はなかったけど…激しい動きは出来なくて、僕は大好きなサッカーを諦めかけてた…」


だけど、僕を引き取ってくれた天河原町の伯母さんは…僕からサッカーを奪わないための治療を必死で求め続けてくれて。

ここ、稲妻町まで足を伸ばして―――
それで巡り合ったのが豪炎寺先生さ。



先生の整形外科医としての技術で僕は不自由を感じることなくサッカーが続けられるようになり、

それだけじゃない。

僕の人格障害に気づいて、チームを作ってまで僕の内外の傷のケアに当たってくれた。


真摯で丁寧で的確な治療のお陰で体はほぼ元通りになり…

人格も統合されつつあって、中学進学後から僕は豪炎寺先生の手を離れた。


でも内面的な治療がまだ続いていて、中学にも近いこの病院にまだ通っているから…その度に、先生のところには顔を出してる―――


「もういい、わかった」

何故か不機嫌そうに豪炎寺くんが僕の言葉を遮った。


お父さんを誉めたつもりだったのに……



「あ、ごめん…僕何か気に障ること……」

「いや…」


難しい顔で俯く豪炎寺くんの顔を屈んで覗き込むと…

「ひゃっ///」

片手でぐいっと抱き寄せられて、バランスを崩して彼の胸につんのめるように倒れこんでしまう。


「………あの……」

「すまない」


謝りながらも彼は僕を離さず、
そのまま両腕に包まれてしまって。

そして幼い子みたいに、椅子の上の彼に向かい合って跨がるような形で膝の上に座らされてしまった。

…………ぎゅっ と抱かれて。

そのまま耳許で彼の声を聞く。



「嫉妬…したんだ」

「しっと…?」

「ああ。父に……」

「………はぁ?」

「豪炎寺の息子と知ってて…河川敷で俺に近づいたのか?」



―――違うよ。



僕は、彼の切なげに押し出された声に胸を締め付けられながら答えた。


「君の…ボールを打ち返すフォームと的確なパスに見惚れたから…」


彼は腕の力を緩めて至近距離で僕を見つめて…安堵したように目を細めた。


「……そうか」

「……………」


君の端正な顔と、意志を持った黒い眸が近すぎて………頬が熱い。


「マフラーを外しているお前を見て、父が驚いたのは何故だ?」



僕は幼少の事故のこと、なくした弟・アツヤの形見がそれだということ、人格障害もアツヤが影響してること、

今は人格が統合されたように見えるのに、マフラーだけは外せなかったことを話した。



君の膝の上と腕の中は、自白剤みたい。



静かに耳を傾ける彼に僕は全てを打ち明けてしまった。
とても自然なことのように―――


豪炎寺くんはじっと黙ってそれを聞き、話が途切れても黙ったままだった。




「君の……」

「…………」

「……次は君の話を聞かせてよ」


答えはなく、ただ ぎゅうっと…また抱かれて…気持ちいい。


「家に戻って………話そうか?」

「えっ?待ってよ…」

君は僕を寮に送るついでにここへ寄ったんだったよね。

なのに…何故…


「今夜も雷が鳴るかもしれないぞ」


…………確かに。

豪炎寺くんに髪を撫でられながら僕は思った。この町は名の通り晩夏には雷が多い。


「マフラーを初めて外したんだろう?それを預かったまま一人にするのが心配で……」

「……………」

「帰せない、と言ったら?」



僕は目を閉じて彼の肩に顔を埋めた。

「………嬉しい……かな」


僕の肯定に、フッ……と彼が笑う。


「じゃあ決まりだ、一旦寮に荷物を取りに行こう」

「え、でも…」

「院長室に寄って、お前の寮に父から外泊願いの電話を入れて貰おう」

「………………」



豪炎寺くんは、僕を膝からおろして、
妹さんのベッドを覗きこみ、別れを告げるように頭を撫でると……



僕の手を引いて病室を後にした。


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