アパート暮らしをしたせいか広く見える我が家の玄関。風鈴の音がどこからか聞こえる。

「ただいま」

 言葉を発すると改めてなつかしさを感じた。一人暮らしをしているとこんなことは言わないからなんだかむず痒い。

「おかえり、なまえ。急に悪かったな」
「別に。お母さんは?」
「病院だ。休んでからでいいから顔を見に行ってくれないか?」
「疲れてないし今からでいいよ」

 一度休んでしまえば、暑い中動くのが億劫になる。
 ボストンバッグを玄関に置く。携帯とかは小さいバックに入ってるからすぐに出れる。こっちの荷物は帰ってきてから片付ければいい。
 お父さんは少しだけ躊躇ったがありがとうと言ってガレージに向かった。
 高校進学を機にわたしは県外に行った。特別行きたい高校があった訳じゃない。両親は最後まで王大附属高校にしろと言ってたけどわたしはそれを無視した。進学校と呼ばれてる高校なら別にどこでも構わないだろうと。
 県外に出てからはこっちに帰ることはないと思ってた。両親からは新幹線ですぐなのだから顔を見せにこいと何度も電話があったがバイトと講習で忙しいと断り続けていた。
 でも、今、わたしはここに居る。
 お母さんが倒れて入院した、と連絡が入ったのだ。それを無視するほど薄情な娘ではない。心配だし、仕事で忙しいお父さんが一人で世話をするのも無理がある。それを聞いた日に荷物をまとめ、次の日に新幹線の席を取った。そして今日になる。

「母さん、結構前から調子が悪かったんだがおまえの邪魔したくないからってそのことを言わなかったんだよ」
「……そっか。大丈夫なの?」
「取り敢えずはな。なあ、なまえ」

 前を向いたまま言いずらそうにお父さんは口を開く。なんとなく何を言われるのかはわかってる。
 わたしはまぶたを閉じた。

「こっちに戻ってきてくれないか?」

 ほら、やっぱり。
 向こうで勉強頑張ってるのは知ってる。でもな、父さんも仕事がある。今日は無理言って休ませてもらってるけど……。
 聞かなくたってわかる。一人で面倒見るのは大変だから私に手伝えってことだろう。

「いいよ」

 すんなりと言葉は出る。
 あの学校に思い入れがあるとかそういうのはないんだ。わたしは逃げたかっただけ。ここに居ると思い出してしまうから、それが辛かったから県外に出た。そんな我儘で両親を見捨てる訳にはいかない。
 だって、ここに居なくたって夏じゃなくたっていつだってあの日からは逃げられないことに気付いたから。
 喜ぶお父さんの声。王大付属高校への転入手続きの話。全部が全部遠い。
 閉じた目蓋の裏であの子がまた笑う。


ただいま
(きれいに笑うあの子に言った)










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