僕はあの人を甘く見ていた。少しと言ってまさか一週間以上音沙汰がないとは思わなかった。連絡をしても繋がらないし、どこで何をしているのかすらわからない。
 このまま昴さんは僕の前から消えてしまうんじゃないだろうか。
 ベランダに出て空を見上げるが曇っていて星がひとつも見えない。唯一うっすらと月が雲の隙間から覗いているだけだ。


「なにしてるんだ?」


 ずっと聞きたかった声がして慌てて振り返れば、出掛けた時よりも荷物が増えている昴さんが居た。


「……昴さん」

「体調でも悪いのか?」

「いえ、あなた不足だっただけです」


 ぎゅっと彼女を抱き締める。一瞬体を強張らせたけどすぐに昴さんは力を抜いて「ただいま」と小さい声で言った。


「おかえりなさい」


 昴さんのぬくもりを感じながら耳元で囁く。
 この人がここに居るだけで安心する。単純だけどさっきまでの不安が溶けて消えていく。


「郁」

「なんですか?」

「明日、君の時間をくれないか?」

「構いませんよ。でも、急に珍しいですね」

「ちょっとな」


 ふわりと笑う昴さんの顔には疲れの色があって思わず瞼を撫でた。
 また無理をしたんだろうな。何度言っても聞かないから。


「じゃあ、私は寝る。流石に疲れた」


 珍しく弱音を吐いた彼女を寝室まで送る。
 ぽつりぽつりと眠そうに話した彼女はアメリカまで行ってきたらしい。パソコンとパスポートだけ持って他は現地調達するなんて人はこの人くらいだろう。普段インドアのくせに変なところで行動力を発揮するから驚かされる。
 眠る彼女を抱き締めてこのぬくもりを離さないように僕も瞼を閉じた。


「朝だ。出掛けるぞ」


 昨日の弱々しさを感じさせない態度で昴さんが布団を剥いだ。


「……朝から元気ですね」

「君は朝が弱いな」


 呆れたように言いながら僕を起こして早く用意しろと背中を押してくる。こんなに積極的な昴さんをはじめてみた。いつも出掛けるのは僕が誘って、渋る彼女を外に引っ張り出してるからなぁ。


「少し遠いから寝てても構わない。運転は任せてくれ」

「行き先さえ教えてくれれば僕が出しますよ。昴さん、疲れてるでしょ?」

「いや、運転は嫌いじゃない。たまには乗らないと腕が鈍る」


 たまには乗らないととか言ってたけど実際この人が運転する機会は多い。研究で天体観測しに国内国外各地に行ってるのだから足がないと不便だと前に話していたのを覚えている。だから、単純に行き先をまだ僕に言いたくないだけなんだろう。
 車を数時間走らせ、周囲に緑が増えてきた。結局途中で一度だけ運転を代わったが道順だけを言われて場所自体は教えてもらえなかった。


「ここだ」


 連れてこられたのは小さな墓地。綺麗に手入れされた知らない名前の刻まれた墓石を見て昴さんは寂しそうな顔をした。


「どうしても今日、君とここに来たかったんだ」


 彼女の真っ直ぐな瞳に僕が映る。


「もしかして」

「先輩の墓だ。今日がこの人の命日なんだよ」


 来る途中で買った花を手向ける。先に飾られてあった花はもう色をなくしていて昴さんはそれを丁寧に片付けた。それから手を会わせて瞼を閉じる。しばらくしてからゆっくりと目を開けて僕の手をつかんで引き寄せた。


「大切な思い出を私にくれて有難う御座います。私はあなたのことが好きでした。これからは彼と幸せになります。私の今一番大切な人です」


 冷たい石の下に眠る人に語りかけた言葉に僕が泣きそうになった。
 ああ、この人には一生敵わない。
 僕がどれだけ欲していたかわからないものをこの人は無意識にくれる。きっと神様の前での誓いよりもここで発する言葉のが昴さんにとって確かで絶対的なものだ。


「付き合わせて悪かったな。どうしても先輩に君とのことを報告したかったんだ」


 微笑む彼女を抱き締める。


「僕はこの人を一人にはしません。ずっと傍に居て、一緒に幸せになります」


 自然とそんな言葉が出た。
 不安なのはきっと僕だけじゃない。大切なものを失う怖さを昴さんだって知ってるんだ。だから、僕の不安をなくしてくれたようにこの人の不安をなくしたい。


「君には敵わないな」

「僕の台詞ですよ」


 ほら、またこの人は僕を魅了する。
 笑う彼女が泣きそうな彼女があまりにも幸福そうでなによりも尊く美しく見えるんだ。その度に僕はこの人が愛しくなる。そして満たされる。
 抱き締めた時に重なる心音が僕らの存在を証明する。
 一人じゃないんだと主張する。
 同じ想いを持っているのだと教えてくれる。
 寂しくならないよう不安にならないようこの音を聞いて、同じように時を刻もう。どちらかがどちらかを置いていくことがないように。



しんおんたち



 


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