伝えたかったことはもう伝えたし、そろそろ出発しようかと足元に置いた鞄を見る。
旅行するにしても小さい鞄。ちょっと買い物にでも出るようなそんな荷物しか入っていない。
何処に居ようと必要なものは変わらない。お金さえあれば衣食住には困らない。仕事をするにしてもパソコンさえあれば問題ない。私の生活なんてそんなものだ。
「ジュースご馳走様でした」
「別にいいよ。もう行くんだ?」
「はい。挨拶は終わりましたから」
いっくんは「ふうん」と自分に買った缶ジュースを飲んだ。缶ジュースがこんなにも似合わない人がいるんですね。
「どこに行くつもり?」
「少し面白そうなものを見付けたんでそこに。退屈凌ぎくらいになってくれればいいんですけどね」
自分の情報網を使いいろいろと調べて見付けたもの。あまりその方面には興味はないのだけれど刺激のない生活を送り続けるよりは少しでも退屈を紛らわせる方がいい。
「そうだ。いっくん、手を貸して下さい」
いっくんの左手を掴む。そして鞄からペンを取り出して彼の掌に十一桁の数字を書き並べる。
「よかったら連絡して下さい」
自分の掌に書かれた数字をぼんやりと眺めているいっくん。彼が携帯を所持しているのか実のところ知らないがこっちの番号を教えておけばそのうち連絡をくれるだろう。
「電話で慣れていけってこと?」
「はい。次会う時までに私に対する苦手意識を少しは克服して下さいね」
果たして私が此処に帰ってくることはあるんだろうか。
彼女に必要とされなくなった今、私に居場所などない。此処は確かに居心地がいい。彼女が存在しているというだけでなく、他の人達も面白い人ばかりだ。だけど、それが辛くもある。
「たまには帰ってこいよ。玖渚が有無に会いたがるだろうから」
「いっくんが私に会いたいと言ってくれたらいつだって飛んで帰ってきますよ」
にっこりと笑みを作れば、いっくんは案の定嫌そうな顔をした。
いっくんからしたら私は帰ってこない方がいいだろう。でも、今の言葉は嬉しいものだ。必要とされていなくても私はまだ彼女の所有物であると思えるから。
「それでは失礼します」
荷物を手に持ち、駅に向かって歩く。
空はやっぱり青くて、愛しい蒼に見送られる気分になる。でもそれは私を止めてはくれない。
美しく残酷で優しい蒼。
いつまでもいつまでもこの蒼の下に居たい。でも、幸せそうな彼女が見れたのだからいい。隣に彼が居るだけで彼女の雰囲気は変わるのだ。彼女の全身の細胞が彼を求めていると嫌でも思い知らされる。そして、その代役をなりそこないといえど出来たことを誇りに思う。
私は貴女の所有物。昔も今もこれからも。貴女が望む限り私は私で居られるんです。だから、本当にいらなくなってしまったら私を殺して下さい。
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