いちばんだいじなもの2

「でも、生まれる前に招集かかたらどうしようね。大きいお腹抱えて行たら、いい物笑いの種」
(……は?)
発言の意図が分からず、カルトは返答に詰まった。
暫し考えた後、この人の言わんとする事を理解した。
理解するとともに目の前がかっと熱くなり、腹の底がぐらぐらと煮え滾るのを感じた。

「別に、行く必要ないでしょ」
無表情で吐き捨ててやると、フェイタンの狐目がきょとんと見開く。
「考えるまでもないと思うけど。子供に何かあったらどうする気?フェイタン責任取れるわけ?」
きつい口調で詰る。今度はフェイタンが言葉を詰まらせた。不可解そうな理不尽に叱られたような顔で黙り込むその人を、カルトは恨めしく思った。
「キミはボクの子供を殺したいの?」
不快感を呈した表情を造りながら問う。どういう答えが返ってくるかは、だいたい想像がつく。
「そんなワケないね」
案の定フェイタンは即座に否定した。
カルトは暫し何も言わなかった。胸の奥に灯った黒い炎がチロチロと心臓を舐め、焦げ付いて、苛立ちとも失望ともつかぬ痛みが広がるのを感じながら、唇を閉ざし押し黙った。
フェイタンは、自分が抱えている責任の重さを分かっていない。
この人は以前「カルトの子供を産みたい」と言った。
カルトの希望通り女になって、カルトの子供を身籠った。
それはおそらく当人が望んだことではない。
カルトが望むものを汲み取っただけのことだ。
心から母親になりたいわけでもなければ、我が子を慈しみ育てたいわけでもない。
この人の中には未だに蜘蛛への愛着が残っている。カルトを愛するように矯正したところで、長年の堆積した想いは消すことができないらしい。
もしフェイタンが蜘蛛と対面したらどうするだろう。フィンクスと再会したらどうなるだろう。
付け焼き刃の洗脳など吹っ飛んで、あっさりカルトを捨て、腹の子さえ水に流して、フィンクスのもとへ戻ってしまうのではないか。
おそろしいのはそれだけではない。
フェイタンにしたことが露見したら、おそらくカルトは旅団に居られなくなる。
始末されるか追放されるか。許されるにしてもカルトの立場は相当まずいものになる。
そうしたら兄を取り戻す計画も頓挫してしまう。

「どこにも行かないで。ずっとここに居て」
まだ平らな腹に縋りながら呟く。
フェイタンは何と答えるべきか決めかねているらしく、下がり眉を寄せて唇を引き結んでいる。
――なぜ、すぐに答えられないのか?
「お前"だけ"のものになる気はない」「今後も蜘蛛の一員でありたい」「ゾルディック家に縛られるつもりはない」……そう宣言しているも同然だ。
(せっかく、家族にしてやろうっていうのに)
事実上の裏切りを突き付けられてカルトは余計にいらいらした。
飼い犬に手を噛まれるとはこういうことを言うのか。そんな飼い犬は徹底的に躾けなおしてやらねばと黒い感情が渦巻いたが、いまは腹の子が居る。以前のように虐げるわけにはいかない。

「……OK。子供生まれるまで外出しないよ。ずとここに居る」
カルトの顔つきが険しくなるのを察したフェイタンは、困り眉を更に深めて言った。
「生まれるまで?生まれた後は?」
「それは」
言い淀むフェイタンに詰め寄る。
「まさか逃げるつもりじゃないよね?」
「そんなコトしないね」
「じゃあ、どうする気?」
強い口調で問えば、フェイタンは細い息を吐き出す。
「カルト。あまり困らせないで」
困らせているのはどっちだ。カルトは募る激情を持て余し、ぐっと奥歯を噛み締めた。
駄々っ子をあやすような声が無性に腹立たしい。握りしめた拳を振り上げそうになる衝動を必死に耐える。

「ハッキリ言わなきゃ分からないみたいだから言うけど。幻影旅団とは縁を切って。それが約束できない以上、この家から一歩も出ないで」
「何それ」
「お願いしてるんじゃないよ。命令。分かる?」
黙り込むフェイタンの肩口を掴んで引き寄せると、困り果てた顔でカルトの顔を仰ぐ。そしてこんなことを訊いてきた。
「……何故お前、ワタシを蜘蛛から引き離そうとするか」
「それ、ボクに言わせる?」
「だて分からないし」
「フィンクスに会わせたくない」
「何故?」
「キミが彼のところに戻るんじゃないかって不安になるから」
「……」
「それに、危険な目に遭ってほしくない」
それだけが理由ではない。けれど決して嘘ではない。
フェイタンは困り顔を崩さない。どうにかカルトを説得できないかと言葉を探しているようだったが、やがて反論を諦めたのか、小さな息を漏らした。
「優しいね、カルト」
「……」
「心配してくれてありがとうね」
カルトはふいと顔を逸らした。まるで聞き分けのない子供を宥めるようなフェイタンの物言いが鼻について、一言も口を利いてやりたくない気分になった。
苦笑いを浮かべたフェイタンが体を起こす。ベッドに押し付けられる。額に、頬に、唇に、首筋にキスを落とされ、男根をしごかれる。手持ち無沙汰な手を握り合う。指と指の隙間がぴったり埋まる。カルトを跨いだ両足の付け根――己の濡れそぼった部分に楔を打ち込もうとする。
「ダメ」
その腰を掴んで止める。お預けを食らったフェイタンは眉を歪めて首を傾げる。
「そうやって誤魔化そうとしないで。約束できるまで挿れてあげない」
「約束できないね。蜘蛛と縁切るなんて」
はっきりとした否定。
「どうして?」
フェイタンはしばし沈黙した。やや間があって、言いにくそうに口を開く。
「幻影旅団、ワタシの居場所」
いよいよカルトはカチンときた。フェイタンを振り落として腹を蹴り上げてやろうかとったが、なんとか我慢して問いかける。
「この家が居場所じゃダメなの?」
またフェイタンが言葉を詰まらせる。答えあぐねている。
主人が望む答えが分からないはずがない。たとえ本心でなくとも、望む答えを述べれば主人の機嫌は治る。
なのにそうしない。フェイタンは本心ではない言葉を述べるのを躊躇っている。
さんざんその身を捧げておきながら、たった一言の肯定を述べるのに何故これほどの抵抗を見せるのか。その愚直さに呆れ返りながら問いかける。
「ボクよりも、蜘蛛の方が大事?」
「比べられるモノ違うよ」
「ボクの子供を産みたいんでしょ?だったら幻影旅団なんて抜けて」
「それは無理ね」
「どうして!」
思わず声を荒らげるカルトを鎮めるよう、覆い被さり抱きつくフェイタン。
「今日のカルトおかしいね。疲れてるか?」
答えになっていない。
「疲れてるよ。誰かさんのお陰でね」
「ごめんね」
よしよしと髪を撫でるその仕草が、余計にカルトを憮然の極みへと追い詰めていく。
「……もういい」
カルトはむっすりとしてフェイタンを押し除けた。ベッドから下りて乱れた衣服を整える。
「何処行くか?」
「もういい」
同じ言葉を吐き捨てるカルト。フェイタンは何が何だかわからないといった顔でカルトの背中を見つめる。
「約束できるまでお預け」
これ以上言葉を交わすのがいやになり部屋を飛び出す。鍵を閉めて自室へと歩みを進める。扉が閉まる間際、フェイタンが名を呼ぶ声が聞こえたが一切取り合わなかった。

(腹立つ)
フェイタンの態度に。フェイタンの全てを操れないことに。未だに幻影旅団への忠誠を捨てず、あっちもこっちも大切だなどと宣うフェイタンに。
いろんな感情が湧き上がっては泡沫と消えていき、激情は行き場を失い、腸をぐらぐらと煮立てる。
まさかあんなことを言い出すとは。蜘蛛よりも自分を選んでくれるとばかり思っていたのに。
どれだけフェイタンが傷ついてもお構い無しの冷血な情夫と仲間。フェイタンを温かく家族へ迎え入れようとするカルト。どちらを取るかなど、決まりきっているだろうに。
今すぐ出ていけと言ったらフェイタンはどうするだろう。命令を呑んでくれるだろうか。それとも泣いて許しを乞うだろうか。絶望にうちひしがれるだろうか。言い訳を並べ立てるか、ヒステリックに喚き散らすか。
その反応を見たいのは山々だが、今はその時ではない。もし話を真に受けて出ていくのだとしても、お腹の子は無事に産んでもらわねばならない。カルトの精で芽吹いた命。ゾルディックの血脈を繋ぐ子。それだけはこの家に残してもらわなければ。
フェイタンへの憎しみが募る一方で、フェイタンに縋りたい気持ちも残っている。愛おしげに頭を撫でる手の感触を、寝物語に流星街の思い出を語り聞かせてくれた眠たげな声を、まだ平らな腹を擦りながら幸せそうに瞳を細めるさまを想起する。
あの甘ったるい時間が恋しくなって唇を噛む。あの手が、あの声が、あの目が、恋しくてたまらない。

(こんな筈じゃなかったんだけど)
強者を屈服させ汚す。蹂躙し辱め、踏みにじって這いつくばらせ支配する。それで満足できるはずだった。
それがどうだろう。いつの間にかフェイタンに縋りつき、その温もりを求めている。
(これじゃあ、どっちが操られてるのか分かったもんじゃない……)
その滑稽さに気付き、カルトは一人失笑した。


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