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大阪の空は東京よりもいくらか星が見える気がする。そんなことを思ったのは一世一代の告白をしてみごと玉砕してしまい、傷ついた心を癒すためにベランダから空を眺めている時だった。大阪の中でもここが比較的都会と離れているからかもしれないけれど、やっぱり東京にいた頃よりはたくさんの星が見えている気がする。

「あ〜…本当に好きだったのになあ…」

大学に入って、なんとなく入ったテニスサークルで出会った先輩を好きになって、合宿やらなんやらで親交を深めつつ、なんやかんやでわりと可愛がってもらえるようになって、こりゃいける!とふんで、1年間温めてきた思いの丈をぶつけたわけなんだけれども、それはまあ見事に玉砕してしまった。なんと向こうには2年前から付き合っている彼女がいたらしい。わたしが先輩と出会う前から付き合ってんじゃん。バカみたい。
はあ、とため息をついたのと同時に生ぬるい風がわたしの頬を撫ぜた。わたしが住むこの部屋は7階だてマンションの6階に相当する。部屋も狭くないし、キッチンの使い勝手もいい。トイレとお風呂は分かれているし、駅からは少し離れているけれど、スーパーだって近い。こんななかなかの好条件にもかかわらず、わたしが住めているのもおそらく大阪の中でも都会から少し離れている場所に立っているからなんだろう。近くに大きな大学があるから住んでいるのは大方大学生なのだと思う。
その証拠に、隣人は人を招いてパーティーでもしているのか、騒がしいことがたまにある。ただ非常識な時間に騒がしくされたことはないので、それを鬱陶しいと感じたことはないのだけれど。
しかし、今日ばっかりはそうはいかない。わたしは悲劇のヒロインを気取って、風に吹かれながら空を見て、傷ついた心を癒しているのだ。隣の部屋から聞こえてくる喧騒はふさわしくない。
そこでふと考えたのだが、この家に住んで1年と3ヶ月になるが、わたしは隣人の顔を知らない。隣人が引っ越してきたのは確か今年の春頃だった気がする。その頃、わたしは丁度サークルの合宿に参加していて長期間家を留守にしていた。そのため、合宿から帰ってきたときに、空き部屋だったはずの隣の部屋の表札に名前が書いてあるのを見て人が来たのを知った。

(どんな人が住んでるんだろう)

初めて抱いた疑問を胸にふと隣のベランダを見る。ここのマンションのベランダは敷居で仕切られているタイプではなくて、一部屋ずつくっついているタイプだ。だから隣のベランダは丸見えで、その気になれば飛びうつれる構造になっている。もちろん落ちたら死んじゃうだろうし、そもそも隣の部屋に忍び込もうだなんて考えたこともなかったので、試したことはないのだけれど。

そんな折にガラリと隣のベランダの扉が開いた。騒がしい声が部屋から溢れてくるのとともに人が1人出てきた。

「白石ー!勝ち逃げするんか!」
「ちゃうちゃう!ちょっと休憩するだけや」

ぴしゃりと扉を閉めたその人はふうとため息をついて、ベランダの柵に頬杖をついた。
白石という名前を聞いて、表札に書いてあった名前も「白石」だったことを思い出した。
ということは、白石と呼ばれたこの男性がわたしの隣人の白石さんなのだろうか。
思考を巡らしながら、ぼーっとその人の顔を見ているとぱちっと目が合った。

「うわっ!びっくりした!」
「あ、ごめんなさい」
「まさか人がおる思わんかったわ」
「すみません」
「自分、名字さん?」
「あ、そうです」
「ああ、挨拶遅れてすみません。俺、白石蔵之介言います。3ヶ月ぐらい前からここ住んどるんやけど、顔を見るん初めてやなあ」
「あ、えっと…。名字名前です」
「引越してすぐに挨拶にうかがったんやけど、名字さん、ずっとおらへんかったやろ?やから、挨拶するタイミング失ってしもてなあ」

そう言ってふわりと笑った白石さんはわたしが今まで会った人間の中で1番綺麗だと思った。

「えっと…いえ、お気になさらずに」
「堪忍やで。あとうるさくしてすまんなあ。気になれへん?」
「あ、いえ。夜まで騒がしいわけじゃないので、そこまで気にならないですよ」
「そんなら安心やわ。気になったら遠慮せんと言うてください」
「はあ」

なんだろう、この人。すごく良く出来た人じゃないか。物腰は柔らか、背も高い、おまけにすごくイケメンである。もはや失恋のことなどどうでも良くなってきた。

「自分、大学生?」
「はい。わたし◯◯大学の2回生です」
「そうなん?俺も◯◯大学やわ!3回生やけど」
「だったらどこかですれ違ってたかもしれないですね」
「せやな」

白石さんは3回生。わたしは現役入学のため、少なくとも1歳以上は年上ということになる。何学部なのだろうか。どこのサークルにいるのだろうか。

ガラリと扉が開く音がして、白石ィー!次やるでー!と声がした。その声の主はベランダまでは出てこなかったので、わたしには姿は見えなかったのだけれど、なんとなく明るい元気な人なのだろうと思った。

「ほんなら、また今度。名字さん」
「あ、はい。さようなら」

軽く会釈をして白石さんは部屋の中に入ってしまった。ぴしゃりと再び扉を閉める音がして、聞こえていた賑やかな声が少し小さくなった。

悲劇のヒロインを気取っていたことなど忘れて、隣から聞こえる賑やかな声をBGMにわたしは再び空を見た。きらりと星が1つ、尾を引きながら流れていった。
失恋したことなどもはやどうでも良くなっているわたしは本当に現金なやつである。


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