「なにしてやがんでェ」

聞き慣れた声に慌てて目をこすって鼻をすすった。振り返るとやっぱり思った通りの蜂蜜色の髪の毛が現れて、自分の眉間にシワがよるのが分かった。よりによって、なんでサド王子。

「総悟には関係ないでしょ」
「アンタがどかねェと自転車出せねえんでさァ」

後ろを見れば、なるほどいつも総悟が乗り回している自転車が置いてある。

「それはどーもスイマセンデシタ」

全然そうは思ってないけれど、とりあえずの謝罪の言葉を投げ捨ててこの場を後にしようと総悟に背をむける。と、背後で自転車のベルが鳴った。

「・・・・・・なに」
「今日は暑いなァ」
「は?」
「こんな日にはアイス食いたくなりやすねェ」
「・・・・別に」
「あ、オレ今日金持ってねーや」

でもアイス食いてぇなァ〜なんてこぼすこいつはわたしにケンカを売っているんだろうか。

「おい、財布」
「誰が財布じゃ」

「とりあえず後ろ乗れ」

総悟の口から出て来た言葉はいつもと同じ横柄なものだったけれど、不思議といつもの厭味ったらしさはなかった。






「絶対お金返してよー」
「おごりじゃねぇのかィ。ケチな女だねィ」
「バカか。なんであたしがあんたにおごらなきゃいけないの」
「乗車賃」

自分から乗れと言っておきながら、横暴極まりないセリフをはいた背中を思いっきり抓ってやりたくなった(あとが怖いからしないけど)。

長い長い坂に差しかかってカラカラカラ、と車輪の音が少しだけ早くなった。
頬に当たる風が冷たい。つん、と鼻が痛くなった。

「・・・泣いてんのか」
「違う。花粉症」

こんな時期に花粉症なんてあるわけない。けど、総悟は何も言わなかった。何も言わないで自転車を漕いでいた。

「あたしさぁ」
「おお」
「失恋しちゃった」
「  ふーん」
「彼には別に大切な人がいるんだって」
「へーえ」
「総悟の言ってた通りだったよ」
「だからヤツは止めとけって言ったんでィ」
「…うん」
「結局辛い思いすんのはお前なんだよ」
「…うん」
「バカ女」
「……うん」

でも、好きだったんだもん。好き好き好き。大好き。彼のこと以外考えられないぐらい大好きだった。
望みなんかないって分かってたし、彼に大切な人がいることも知ってたよ。でもそれで諦められるほどわたしって利口な女じゃないんだもん。本当、総悟の言う通り。わたし、バカな女だなあ。



「バカ女」

坂道が終わって車輪の音がゆっくりになったとき、再び言われた言葉はいつもの総悟からは想像つかないぐらいの優しい響きを孕んでた。
だから今日くらいはわたしのおごりでもいいかなあ、なんて。

090602