05
『急に打ち合わせが入った。19時には終わる予定。今日は外でご飯食べようか』
このそっけないメールの文面、なんだか男っぽいんだよなあ。
そのせいもあって、最初に男性だと勘違いしたのだけれど。
真琴は初めて美優に出会った時のことを思い出して、苦笑した。
「分かりました。車出しますね…っと」
いつもは講義が終わったらすぐに家に帰り、美優の様子を見ながら夕食の支度をしたり、朝出来なかった家事の残りを済ませている。
しっかり大学へ行って講義は受けているが、その時間以外は常に美優に合わせた生活をしている。
今の真琴の生活の中心は美優だった。
彼女のために栄養バランスの取れた献立を考え、料理も練習した。掃除や洗濯も手馴れて、同世代の一人暮らしをしている女の子よりも手際よく丁寧にこなす自信がある。
それは、単に仕事だからではない。確かに真琴は彼女の世話をすることによって生活を維持しているわけだが、ただそれだけの理由で毎日こんなことができるわけがない。
一緒に暮らしているうちに、真琴は彼女に惹かれていった。
美人だとか、有名な作家だとか、金持ちだとか、そんな肩書は関係なく、彼女自身に惹かれていった。
恋はするものではなく、落ちるもの。
そんな使い古された言葉がしっくりくるような不思議な感覚。
やりたいことを見つけるために、家族や幼馴染たちと離れ、上京し、東京の大学に通っている。
東京の大学に通うために、彼女との生活を始めたはずだった。
それなのに今は目的と手段が逆転している。
彼女の傍にいる理由を作るために大学へ通う。そんな毎日。
このままで良いだなんて思っていない。
家族や幼馴染に顔向けできない。
何より、このままの状態で美優との進展があるわけがない。
彼女から毎月渡される多すぎる給料も、口座に預けてほとんど手を付けていない。
利害の一致でこの関係が作られているという事実を直視したくないからだ。
「橘くん!」
キャンパスの並木道を歩きながらぼんやりと考えていたら、女の子たちが小走りで近付いてきた。
たしか同じ英語の授業を履修している子たちだ。
「…?えーと、」
「突然ごめんなさい。私たち橘くんと同じ学科で、英語のクラスが一緒なんだけど…」
「あ、うん。何度か隣の席になったことあるよね」
真琴がそう言うと、女の子たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
「知ってたんだ…!うれしー!あのねっ、これから同じ学科の子たちでご飯行くんだけど、橘くんも良かったら来ない?」
「橘くんって講義終わるといつもすぐに帰っちゃうから…みんな話したがってるんだよねえ」
「ねっ、いいでしょ?」
雑誌からそのまま抜け出したようなお洒落で可愛らしい女の子たちが、身長の高い真琴を上目遣いで見つめる。
その視線から逃れるように一瞬目を反らすと、人好きのするような笑顔を向け、真琴は眉を下げて申し訳なさそうに断った。
「ごめん、誘いは嬉しいんだけど…ちょっと用事があって」
「え〜!残念。…もしかして、彼女さん…とか?」
「え、いや、違うけど…」
「学科の子がこの前橘くんが派手な車運転してるとこ見たって騒いでて。年上の彼女がいるんじゃないかって話題になってるよ」
「え!?そ、そんなんじゃないよ!俺、親戚の家に居候してるんだけど、その人の送迎とか手伝ってて…車もその人のだからさ。うーん…目立ってるのかな…」
「目立つよぉ!橘くんただでさえ身長高くてかっこよくて目立ってるのに…そっかー、でも彼女さんじゃなかったんだね。じゃあさ…また誘ってもいい?」
こてん、と小首をかしげて上目遣いをしながら綺麗に巻いた茶髪を撫で付ける女の子は確かに可愛い。
だが真琴はどうしても美優と比べてしまっていた。
美優さんはこんな媚びた仕草をしないのに、魅力的に見える。
彼女の姿を思い浮かべて口元が緩みそうになり、慌ててきゅっと力を入れて表情を取り繕った。
「また機会があったら……せっかく誘ってくれたのにごめん。それじゃあ、俺、急ぐから」
「うんっ、ばいばい」
甘ったるい香水の残り香を纏わせて歩くことが何となく嫌で、彼女たちの姿が見えなくなると、香りを振り切るように駆け出した。
早く、美優さんに会いたい。
2013.12.14