特別だなんて言わないで?


「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人……」



昔祖母から聞いた言葉が未だに頭から離れない。

遙のように泳ぎが特別上手だったとか、特に何の取り柄もなく神童とはかけ離れた普通の子どもだったけれど、何もしないまま成人して只の人になってしまうのがとてつもなく怖かった。
だから高校卒業と同時に日本を飛び出し、只の人になるまでの二年間を足掻き、なにか、特別なことを成し遂げたいと思っていた。
ただ留学しただけで只の人以外の何者かになれるだなんて本気で思っていたわけではないけれど、とにかくもっと広い世界を見てみたかった。
そして私は結局何者にもなれず、二十歳を超え、それでも数年しがみ付いたけれど己の限界を知り、こうして生まれ故郷に戻ってきた。



「姉さんは、只の人じゃない」



真琴と渚が帰ったあと、遙が作った夕食を食べ、入浴も済ませ、久々の畳の感触を確かめるように寝そべっていた。
つい昔を思い出してぽつりと呟いた独り言だったのだが、風呂から上がったばかりの遙が聞いていたらしい。



「………ハル、濡れたままでいたらせっかくのさらさらの髪が傷むよ……ここ、座って」



ぽん、と畳を叩くと遙は大人しく従い腰をおろした。
綾は遙の首にかかったままのタオルで優しく髪の水分を吸い取っていく。
ドライヤーを取ってこようと立ち上がると、遙が綾の細い手首を掴んだ。



「姉さんは、只の人じゃない」



再び同じ言葉を繰り返す遙の瞳は真剣で、綾はその青い瞳をついじっと見つめてしまう。



「残念ながら私はもう只の人だけど、ハルにはまだ三年も猶予がある。……お願いだから私みたいにならないで」



優しく囁くように諭すと綾は遙の手をするりと抜け、ドライヤーを取りに行った。
ついでに自分が使っているヘアトリートメントも手に取り、遙の元へ戻る。
大人しく座ったままの遙が無言のまま、上目遣いで綾を見つめている。



「…ハル、あなたが私のことを特別だって思ってくれるのは嬉しい。でも私はここを離れている間に色々学んだ。私は、只の人以上の何者にもなれなかった。だから、逃げ帰ってきたの。どう?失望した?」


「…しない。姉さんは俺にとって、今も、昔も、」


「ハル、いいの。それでも私は只の人になることを受け入れたから…もう何も言わないで」



そう強く言えば遙はそれ以上何も言うことはできない。
綾は畳に膝を付くと、トリートメントを少しだけ手のひらに出し、遙の艶やかな黒髪に撫でつけた。



「……姉さんと、同じ匂いだ」


「そう、同じ」


「同じ……」



俯いた遙の唇が微かに弧を描き、頬は淡く色付いているのを綾は知らない。

ドライヤーを当てられ、髪を手櫛で整えられ、遙は気持ち良さそうに目を閉じた。

この心地良い時がずっと続けば良い。

そう思っていたが、いつの間にかドライヤーの音は止み、優しい手の感触も消えていた。



「ねぇ、ハル。今日は一緒に寝よっか?」


「……!っ…寝る」



目を見開き、勢いよく振り向いた遙の姿に綾は思わず笑ってしまった。
久しぶりに訪れた自分の部屋は家を出る前と同じように整えられていてそのままベッドで寝ることもできるが、今日はこの可愛い弟の傍にいたいと思った。



「ハルのベッドで二人で寝るのは狭いかな?」


「…大丈夫」


「そ?じゃあ、ハルの部屋ね」






高校生男子の部屋にしてはとても清潔に、整理整頓された部屋。
シングルのベッドに二人で潜り込めば隙間はほとんどない。
遙の胸に寄り添うように密着した綾は、驚くほど速い彼の心拍数に思わず苦笑をこぼした。



「…ハル、大きくなったね。最後に会った時は私と同じくらいだったのに」


「…当たり前だろ。何年経ったと思ってるんだ」


「そうだよ、ね。ごめんね…ハル」


「…いい。こうしてちゃんと帰ってきてくれたから」


「ん………」


「………姉さん……………姉さん…?」



すぅ、すぅ、と小さな寝息が遙の胸元をくすぐる。
何度か呼び掛けたが反応がない。
長旅で疲れた綾が眠りに落ちるまでそう時間は掛からなかった。

遙は自分の胸の中にいる綾の髪を優しく撫で、寝顔を見つめる。
久々に会った姉は洗練され、大人びた印象だったが、こうして化粧を落として無防備に晒された寝顔は昔と変わらないように見えた。



「……綾……………」



名前を呟いた唇が、そのまま綾の額に押し付けられた。

(今も、昔も、特別な人)

2013.8.27

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