シビュラシテスムに支配されたこの街には自由など無い。問題は、その状況を誰も(少なくとも色相がクリアカラーの人間は)疑問視しないということ。シビュラの眼によって監視され、管理され、時にその判断によってこの世から消されようとも、人々はこの秩序が正しいと思っているのだろうか。いや、思い込もうとしているのだろうか。
この街の人間は"考える"という最も美しく最も価値のある行為を止めてしまった。
まるで、人形のように。

尤もそのような思考に至ってしまった者の色相は濁り、システムによって社会から排除される。




世界は、変えられないのか。




『変えられるよ。僕らが、変えるんだ』



誰かが私に囁いた。




***



このシステムを疑問視している私が今もサイマティックスキャンに引っかからずにごく普通にこの街を歩くことができるのは、"免罪体質"だからだそうだ。
そう聖護くんが教えてくれた。



「ねえ、チェ・グソン。あなたはこの街を美しいと思う?」


「おや、珍しいですね。お嬢さんが俺にそんなことを聞くだなんて」


「…聖護くんがお出かけしてしまって暇なの。たまにはあなたの考えを聞いてみたいわ。そうやって他人の思考に触れて、自分の思考をより深く豊かなものにしていくことも必要よ」


「…そうですねぇ…確かにこの街のシステムは整然としていて、表面上は統制の取れた美しさを持っているかもしれない。人間もシステムに管理され何不自由無く暮らしている。だからこそ、つまらない。お嬢さんの言う美しさの定義が何なのか俺には分かりませんが、美しくともつまらない芸術品には価値がないでしょう」


「この街の人間はシステムによって管理されることで本質的なものを抑制されていてつまらない。だから聖護くんは本来人間が持っているはずの"命の輝き"というものを求めているのかしらね?」


聖護くんがこのチェ・グソンを好んで傍に置いているのは、この彼にもその"命の輝き"の片鱗が見えるからだろう。それは彼が外国人であるが故のものなのか、それとも彼固有のものなのか。私には分からないが、彼にこの街に生きる人形たちには無い生気を感じることは確かだ。



「あなたは本当のところこの街をどうしたいんです?」


「…知恵の実を食べたアダムとイヴはエデンの園を追放された。私はそれが答えのような気がするの。知恵の実を食べて自分たちが裸であることの異常性を自覚し、羞恥心を覚えた彼らとは違って、知恵の実を与えられずとも本能でこのシステムの異常性に違和感を覚え、決してシステムに受け入れられることのない免罪体質者の私はこの街を出るしかないのよ。アダムもイブも、自分達を受け入れなかったエデンの園を…神を破壊しようだなんて思わなかったでしょ?」


「槙島さんとあなたがアダムとイブ…なるほど、しっくりきますね」


「どこか違う場所で自分たちの楽園を創造するのも悪くはないかなって思うのだけど。でも聖護くんはそんなことを望んでいないから、私はただあなたたちが作る流れに身を任せるだけよ」



あなたが理想とする楽園に俺は存在しますか?そう呟きそうになり、グソンは唇を噛んだ。
槙島同様に何か底知れないものを持つ彼女に酷く惹かれ始めたのはいつからだったか。
彼女の柔らかそうな唇から紡がれる言葉は心地良い響きでグソンの深層部に染み込んでいく。



「…そうですねえ。ではお嬢さんは俺の言葉にも耳を傾けてくれるんです?」


「…もちろん。チェ・グソン、あなたは聖護くんに遠慮する必要はないと思うわ。彼はあなたを他のオモチャとは違う、対等な人間として見ている」


「それはそれは…身に余る光栄ですが…お嬢さんも俺のことをそう見てくれているのですか?」



グソンがそう問うと、彼女は一瞬動きを止めた。



「…どういう意図で聞いているのかしら?」


「そりゃあもちろん、あなたにも俺を一人の人間…一人の男として見て頂きたいな、と」



一歩彼女に近付き、そのか細く白い手を掴む。



「悪い冗談ね、チェ・グソン。やめて…聖護くんが機嫌を損ねるわ」


「あなたはまるで槙島さんの操り人形のようだ」


「違う…私は自分の意思で、彼に賛同しているの…あなたにそれを非難する権利はないわ」


「では俺は自分の意思でこうしている。あなたにそれを非難する権利はないですね」



そう言ってグソンは香苗の手の甲に口付けを落とした。



「…狡い人ね」


「そんな。俺はお嬢さんとなら何処までも堕ちていく覚悟ですよ」



打算も何もなく、ただ本能のままに。
それを狡いと言うのならあなたは何も見えていない。

(あなたの世界に、俺はいない)

2013/3/3
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -