「紙のノートが欲しいです」



最低限の衣服しか欲しがらず見兼ねて槙島やグソンが色々と買い与えていたほど、物欲を示さなかった美智が初めて物をねだったことに対して槙島は喜びを感じていた。



「この時代では紙が貴重なものだと分かっているのですが…やっぱり電子端末じゃしっくりこなくて」


「遠慮する必要はない。僕はキミの為に何だってしてあげたいと思っているのだけど、キミにはあまり物欲がないようだからね…こうして強請ってくれること自体が嬉しいよ」



そう言って微笑み美智の髪を一房すくい上げるとそこに優しく口付けを落とした。
槙島に保護されたばかりの頃は戸惑っていた美智だが、こうした槙島のストレートな愛情表現にも慣れてきた一方で、彼のこういった行為が自分を縛り付けているようにも感じていた。
自分に向けられているその感情が狂気を孕んでいるのではないか。時折そう感じてしまうのだが、そういった違和感は彼の優しい愛情に包まれて絆されていく。



「紙のノートにキミは何を綴るんだい?」


「日記を書きたいなと思って……私がこの世界にきてしばらく経ちますが、心のどこかですぐに元の場所に帰れると信じていました。お世話になっている槙島さんにこんなことを言うのは失礼だと思うのですが、この世界は私にとって仮宿だと思ってたんです」


「過去形で語るんだね」


「はい…今は、この世界が現実のものなんだという実感があります。だからこの世界で自分で感じたことをそのまま記録として残しておきたいと思いまして…それで日記を書きたいな、と」


「そうやって自分がこの世界の一員であることを確認したいのかな?」


「…そう、なのかもしれません。何故この世界に私がいるのか、いていいのか、不安なんです。きっと」



自分のことを他人事のように語るのは、彼女自身まだ気持ちの整理がついていないのだろう。だが彼女は自らの力でこの大地に立とうとしている。この弱々しい小鳥に生命力が宿り、美しくさえずる姿を想像するのは楽しみではあるが、いつかこの仮宿を飛び立ってしまうのではないだろうか。そんな予感がした。



「少なくとも美智がこの世界にいてくれることは、僕の救いになっている。それだけじゃキミの不安を取り除くことはできないのかな?」


「槙島さんのために私はこの世界に存在する…と?」


「そう考えてくれてもいい。もしかしたら僕がこの世界にキミを呼んだのかもしれないね」



彼女のような存在に焦がれていた。
彼女のような人間を見つけるために何度も人を試しては失望し、処分を繰り返した。
だがある日突然目の前に現れた彼女は自分が求めて止まないモノをごく自然に持っていた。
手放したくはないし、この先彼女がどう変化していくのかとても興味深い。ずっと側に置いて愛でていたい。そんな可憐さも持ち合わせている彼女は槙島の全ての欲を満たす稀有な存在だった。
だからこそ槙島は彼女に甘い言葉を送り、丁重に扱っている。



「でもね、美智。僕にとってキミは唯一無二の存在だ。だがキミにとっての僕はそうじゃない」


「それは…どういう意味でしょう」


「キミを欲しがる人間がこの世界には沢山いるということだよ。キミは、特別だ」


「…買い被りすぎです。私は、自分が凡庸だと自覚しています」



事実、この世界にやってくるまで美智はごくありふれた家庭でごく普通の人生を歩んできた。
人より本を読んでいるだとか、興味の幅が広いだとか、ちょっとした違いはあれど、自分を特別な存在だと認識したことはなかった。
槙島に自分の思考が尊く賛美されるべきものだと諭され、眩暈がした。この世界の異常性を実感した瞬間だった。
槙島もこの世界に疑問を抱き、何かを企んでいる。美智は槙島が何をしているのか気付いてはいなかったが、おそらくこの世界における彼の立ち位置が危ういものであるということはなんとなく感じていた。彼女にとっての普通の感覚が、この世界では排除されるべきものとして処理されてしまうのだから。



「そう…キミはそれでいい。ただ、これだけは言っておこう。キミはきっとそれほど遠くない未来、大きな選択を迫られるだろう。その時キミには僕に構わず自分が信じるモノに従って選び取って欲しいと心から願っている」


「槙島…さん?」


「もちろん、キミが僕の側にいることを選んでくれたら嬉しいのだけれど。でも僕はキミが何にも縛られずに選ぶモノに興味があるんだ」



甘い言葉を呟く度に、優しくその手で触れる度に、見えない細い糸でじわじわと美智を拘束しているというのに。
彼はそれをわかっていてそう言ったのか。その糸を断ち切る姿を見せてくれと。
それとも見えない糸に絡み取られているのは彼の方なのだろうか。それが無意識的な束縛だとしたら、逃れるのは困難かもしれない。



「…もしそんな時が訪れるとしても、私が今こうして槙島さんの隣にいさせて頂いている事実は変わりませんよ」


「…そうだね。まったくその通りだ。では、今はこの幸せを噛み締めるとしよう」



槙島は優しく微笑むと美智の頬に手を添えて唇を重ね、アンティークのソファーに身体を優しく押し倒した。

(本当はキミを手放したくなんてないんだよ)

2013/3/15
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