彼女はとても不思議な人だった。
圧倒的な存在感と、今にも消え入りそうな儚さがその華奢な身体に混在している。
その矛盾が彼女の独特な雰囲気を作り出しているのかもしれない。
しかし、ただの"不思議"では済まされないことがあった。
「今朝の宜野座伸元さんのサイコパス色相はライトグリーンです」
立体ホログラム表示サポート人工知能は、彼女のことを認識しない。
まるで、彼女がここに存在していないかのように。
そんな非科学的なことが起きるはずはないのに、そのことについて問いただすことがどうしてもできなかった。
聞いてしまったら彼女が目の前から消えてしまう、そんな気がした。
「宜野座さん、おはようございます」
「おはようございます」
食事も、掃除も、全ての家事という家事は自動でできるというのに、彼女は自分で行うことを好んだ。
それが彼女にとっての"普通"であり、彼女を保護していた人物の方針だったそうだ。
彼女が今まで送ってきた生活を断片的に聞いたが、それは理解できないものだった。
そして、そんな不自由な生活を強いていた彼女の"同居人"を酷く憎らしく思った。
だが彼女の作った手料理を食べた瞬間、その"同居人"の気持ちの一片を理解できた気がする。
それは、とても美味しかった。
今まで食べたものが味気なく感じるくらいの衝撃だった。
全てが自動化されている中で、自分のためを思って何かをしてもらうというのはとても心地良い。
彼女の心を独占しているような気がして、子供染みた嫉妬心を和らげることができた。
この時にはもう、どうしようもなく彼女のことを好きになっていた。
「美智さん、公安局のシステムを使えば貴女の身元を探す手掛かりが何か見つかるかもしれない。………今日こそ一緒に来てくれませんか?」
俺は、彼女の全てを知りたいと思っていた。
どこで生まれて、どう育って、何を感じて、今まで生きてきたのか。
「でも…私………」
しかし彼女はあまりに消極的だった。
本当の自分を知られるのが怖い。まるでそう言っているような怯えた表情を見ると、それ以上言葉を続けることができなくなる。
「いや、無理をすることはない。ゆっくり…ゆっくり思い出せば良いんですよ」
「………ありがとう、宜野座さん」
はにかんだ彼女はまるで真っ白な百合の花のように可憐で、甘い香りがした。
ずっと側で彼女を見守っていられたらどんなに素晴らしい毎日になるのだろう。
そんなことを考え、彼女の笑顔を名残惜しく思いながら仕事へ向かった。
***
「美智さんッ…!!!!!」
病院から連絡が入ったのはその日の22時過ぎのことだった。
彼女は道端に倒れていたそうだ。
原因は分からない。
ただ、頭を強く打っていることは確かだった。
街中に何機もいるドローンに認識されず発見が遅れたことで処置も遅れた。
身元を証明するIDも持っていなかったため、彼女が持つ端末に唯一登録されている俺の番号に連絡がきたのだ。
"彼女はシビュラに認識されていない"
そんな仮説が頭を過った。
そんなはずはない。でも、それなら何故。
メディカルシステムも彼女のモニタリングができないため精密検査もできず、ただ頭部の止血をし、安静にさせておくことしかできない。
医師や看護師たちは身元もわからない、システムから見放された彼女を不気味がり病室に近付こうとはしなかった。
意識を手放している彼女の手を握り、目を覚ますのをひたすら待った。
「美智さん……」
もう何度目か分からないほどその名を呼び声も掠れてきた頃、握った手がピクリと反応を示した。
「美智さん…っ!?」
「ん……」
穢れを知らない澄んだ瞳がゆっくりと開かれる。
「良かった…っ…美智さん……良かった…!」
その華奢な身体に縋り付くかのように抱きつくと、彼女は細い指で俺の零れた涙をゆっくりと拭った。
「どうして、泣いているの…?」
「それは、美智さんがっ……」
「美智……」
彼女は自分の名前をまるで初めて聞く言葉のようにたどたどしく繰り返した。
「それは、私のことですか?」
その瞳に不安気な色が宿る。
ああ、なんということだ。
まさか。そんな。
「……あなたは、どなたですか?」
ダメだ、やめろ。
いや。でも。彼女を救うために。
そうだ、彼女のために、
「俺は、宜野座伸元。…………貴女の恋人です」
(自分の心に穏やかな波が立つのを感じた)
20141014