「久しぶりだね、美智」



前に一度ばっさり切ってしまった彼女の艶やかな黒髪は、長く伸びている。
あの頃はまだあどけなさが残っていた顔立ちも今は完璧に整い、息を飲むほど美しい。



その変化は、二人の時間が共には進まなかったという現実を槙島に突きつけているようだった。






















彼女が彼の元を離れてから数年が経ったある日、二人は再開した。




彼女の居場所を突き止めることなど彼の優秀な仲間の手にかかれば造作もない。
だがあえてそうしなかったのは、きっとまたどこかで彼女と出会える時が来るという確信に近い願いがあったからだ。
運命、などという陳腐な言葉で片付ける気はなかったが、それは予感という頼りない直感ではない。
そして現に今、彼女は彼の目の前に立っている。


自分の元を去った後、彼女が何を考え、どのように生活をしていたのか彼は知らない。
だが自分の手を離れて彼女にどのような変化が訪れたのか、考えるだけで胸の内が歓喜に震えた。
きっと彼女は彼の予想を良い意味で裏切ってくれる。
彼の孤独を癒せる唯一無二な存在である彼女は、側にいなくともいつでも彼の心を支えていた。



ゆっくりと開かれた形の良い唇からどんな言葉が紡がれるのだろうか。
槙島は自分の鼓動が大きくなるのを感じた。らしくない。



「……どなたでしょうか。私のことをご存知なのですか」



急に、周囲の音が聴こえなくなるような感覚に襲われた。
彼女は今何と言った?


予想もしなかった反応に槙島は息を呑み、彼女の様子を伺う。
容姿はあの頃よりも大人びているが、確かに彼女だ。見間違えるはずがない。
澄んだ声も、知的な話し方も変わらない。儚い雰囲気もそのまま。


凛とした、意志の強い眼差し。それだけがどうしても見当たらない。
アーモンド形の瞳には不安そうな色が溢れていて、怯えさえ感じる。


槙島が言葉を発さずにただじっと瞳を見つめてくることに何を思ったのか、美智は困ったように眉を顰めた。



「あの、どこかで会ったことがありますか?……私、事故が原因で1年以上前の記憶が全く無いんです」


「…それじゃあ僕のことも、分からないんだね?」


「ごめんなさい、私……」


「いや、構わないんだ。………今君はどうやって暮らしているんだい」



この世界に彼女の家族はいない。頼れるような人間などいないはずだった。
以前の彼女ならば一人で生きていくこともできただろう。何しろ彼女は槙島が本当の意味で認めたただ一人の人間だ。
だが今の彼女はとても一人で生きれるとは思えない。
元々シビュラの加護も受けられない。身寄りもない。記憶もない。そんな人間がこの世界でどうやって生きていけるというのだろう。



「恋人が、支えてくれています。私には身寄りが無かったので、ずっと付き合っていた彼が変わらず側にいてくれました」


「ずっと付き合っていた、恋人?」



ははは。
思わず乾いた笑いがこぼれた。


美智、君は騙されているよ。
その男は君が頻繁にメッセージのやり取りをしていた奴だね。
確か、公安局のエリートだったか。
そんな男の寵愛を受けたのは幸か不幸か。
この世界に存在しないはずの君を守るには最適な人間だったかもしれない。
君の身に何があったか知らないが、その男は君の弱みに付け込んだ。
真っ白になった君はそれをそのまま信じ込んでしまった。そんなところかい?




なんて愚かな。



「はい。あなたは私とどういった知り合いだったのでしょうか…?彼ー…伸元さんのこともご存知でしょうか」


「美智、僕はね。この世界で君の唯一の支えだった。同時に、君は僕の全てと言っても過言ではない存在だった」


「…?それは、どういう」


「ねえ、美智。君はこの世界をどう思う?今の君の瞳はこの世界をどう映している?」



美しいだけの人形には価値はない。
甘美な過去は壊さずに、どうかそのままであって欲しい。
そう思うのは、我儘だろうか。


槙島はそっとポケットに手を伸ばし、冷たい金属に指を這わせた。



「無機質で、空っぽ。みんな幸せに暮らしているはずなのに、どこか作り物みたいな、そんな違和感があって、」


「……続けて」



不安を滲ませていた彼女の瞳に一筋の光が確かに見えた。
あの頃と変わらない強い意志がちらついて、それが眩しくて槙島は思わず目を細めた。
緩む口角を自覚しながら言葉の続きを促す。



「……でも誰も気付いていない。自分だけ、この世界の中でぽつんと取り残されているような、そんな気がするんです。こんなこと誰にも言えないけど、なんだかあなたになら話しても大丈夫な気がします。どうしてでしょうね」



槙島は優しく微笑むと、鋭い金属を撫でていた指をポケットから抜き、ゆっくりと美智の頬に這わせた。


交わる視線はどこか懐かしい。


美智はこの名も知らぬ男に、複雑な感情を抱いた。
懐かしい。心地よい。安心。緊張。そして、一片の恐怖。
相反する感情がいきなりなだれ込んできて、一瞬何も考えられなくなり、まるで金縛りにあったかのように指一本動かすことができない。
だから彼がそのまま顎をすくい上げ、慣れた動作でその唇を塞いできたことにも反応できなかった。



「やはり、君はー……………このまま公安局の犬にくれてやるわけにはいかないな」



恐ろしいくらい美しく微笑む名も知らぬ男から自分は逃れられない、そう本能が悟ったのを感じた。
前にもこんなことがあったような気がする。


靄のかかった記憶の糸を辿ろうとする前に、再び唇を塞がれた。

(懐かしい香りがした)

2014.1.12
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