05


零さんが仕事に行ってから、2日が経った。
焼いたトーストを齧り、淹れたてのコーヒーの香りを楽しむ。
テレビからはニュース番組が流れているが、どのニュースもしっくりこない。
知らない地名、知らないタレント。
私は、本当に今までこの世界で生きていたのだろうかと不安になる。
ここには、記憶を無くす前の私に繋がるものは何も無い。
スマートフォンさえあれば自分に繋がる様々な情報が見れるはずだが、零さんにどこにあるのか聞くのを忘れてしまっていた。
もしかしたら、この家にあるのだろうか。

「・・・今日やることが決まった」

そろそろ読書にも飽きてきた頃だった。
掃除・・・といっても、零さんの家は綺麗なのでそこまで大掛かりなことをする必要はないけれど、掃除ついでに私の私物が無いか探してみようと思う。

食器を洗いながら、まだ知らぬ自分の過去に思いを馳せた。


***


「・・・見つけたか」


記憶を無くした彼女が、記憶の手がかりを探して自分のスマートフォンを探すのはごく自然なことだった。
聞かれたら渡そうと思っていたし、見つからない場所に隠していたわけではないので何の問題も無い。
彼女のスマートフォンに仕込んだアプリのおかげで、彼女がどのような操作をしているのかすぐに分かる。

今は、トークアプリの履歴を辿っているようだった。

音信不通となった彼女を心配する連絡が多数入っている。
しかし彼女は返信はしていないようだった。
家族の連絡先も確認してはいたが、連絡はしていない。

俺が言ったことを忠実に守っている。

やはり、俺が見込んだ女性なだけある。

彼女は安室透――バーボンの親しい女性として、組織の中のバーボンを良く思わない勢力にマークされていた。
そして、その結果抗争に巻き込んでしまった。
彼女を危険な目に合わせるつもりはなかったし、いずれ安室透の身分を捨てる際には彼女との接触は完全に絶つべきであり、巻き込んでしまったからには、すぐにでも一切の接触を絶つのが正しい選択だった。
間違っても、本当の自分――降谷零として接触するべきではなかった。

なかったはずなのに、

一度巻き込んでしまったからには、完全に自分側に引き入れるか、完全に関係を絶つかの2択だ。

普通の会社員である彼女を協力者として引き入れることはできないし、それならばプライベートな関係になるしかない。
彼女は安室透にそれなりの好意を持っていてくれたようには感じるが、突然危険な現場に巻き込んでしまい、そんな甘い関係になれるわけがない。

俺は、彼女に対してはっきりとした恋愛感情を持っていた。

それでも、自分の立場は弁えているし、もしも恋人関係になれるのであれば、ゆっくりと自分のことを明かそうとまで具体的に考えていた。
それが、こんなに早急に決断を迫られることになるとは思ってはいなかった。

彼女が記憶を無くしていると知った瞬間、咄嗟に口から出たのは、”あなたの恋人”だという甘い嘘。

「離れたくない、だなんて」

人間の感情というのはやっかいだ。
重要な場面でも、情を捨てきれない。

だが、彼女を手元に引き入れてから、目に見えて自分の能力が上がっていることを感じた。
守るべき愛しい人が自分の帰りを待っているというだけで、こんなにもメンタル面に影響を与えるのか。

だからこそ、この嘘に気付き、彼女が離れていくのが恐ろしい。
こんな嘘をついたのだから、真実が明らかになった際には、彼女に拒絶されるだろう。

「・・・なんだ、風見」

「先ほどから険しい表情をされていたので。お疲れですか?」

「いや、少し気になることがあってな」

「何か私にお手伝い出来ることは?」

「大丈夫だ。自分で処理する」

「・・・無理はなさらずに」

そう言い、風見はデスクに缶コーヒーを置いた。
この優秀な部下は、俺のことを絶対的に信頼してくれている。
俺が正しいと信じ、無茶な要求もこなしてみせる。
妄信する相手が女性を騙し、軟禁していると知ったらどんな顔をするんだろうな。

そんなことを考えながら、缶コーヒーに口を付けた。


***


「ただいま」

「零さん、お帰りなさい」


お風呂から出て、リビングでくつろぎながらトークアプリの履歴を遡っていたところに、零さんが帰宅した。


「それは・・・」

「お掃除してたら見つけて。何か思い出すかと思って見てたんです。あ、もちろん誰にも連絡はしてません」

「何か、思い出した?」

「・・・何も。トークアプリの履歴を辿っても誰のことも思い出せないし、写真を見てもピンとこなくて」

「僕が見ても?」

「はい、大丈夫です」

零さんにスマートフォンを手渡す。

自分のスマートフォンを見ていて、少し違和感があった。
零さんと私は付き合っていたはずなのに、トークアプリや通話履歴、写真データなど、零さんと過ごした時間の痕跡がまったくなかったのだ。
それどころか、零さんの連絡先すら登録されてなかった。
その疑問を零さんにぶつけても良いものか、一瞬迷う。

「・・・仕方がないことだが、こうやってさやかの過去を辿っても、僕の痕跡がないのは寂しいものだな」

心を見透かされているようでドキッとした。

「・・・仕方がないことって?」

「僕は立場上、記録に残るわけにはいかないから写真には写れない。連絡自体は取っていたけれど、最近は周囲の動きを警戒していたこともあって、念のため僕との連絡履歴は全部消してもらっていたんだ」

「そうだったんですね」

ちゃんと理由があったことに、ほっとした。
今のところ、私と零さんの関係を証明するものは何も無い。
零さんを疑っているわけではないが、どうしても不安になってしまう。

実は、トークアプリを遡っていたら、私は零さんではない別の男性に定期的に食事に誘われていた。
親しげな様子で、どういった関係かは分からないが、私もそれなりに相手に好意を抱いているように見えた。

零さんも知っている相手なのだろうか?
もし、零さんに隠れてやり取りをしていたのだとしたら?

さすがにこのことは聞けなかった。

「ありがとう」

零さんはさらっと確認をすると、すぐに私にスマートフォンを返した。

「これからは、何かあったら連絡する。僕への連絡はOK。その他の連絡については、しばらく様子を見て。今週中にはセキュリティ対策をした新しい端末を手に入れるから、そうしたら近しい人に連絡をしよう」

「はい、ありがとうございます」

零さんはネクタイを緩めると、ふーっと息を吐いてソファーに沈んだ。

「お疲れみたいですね。お風呂、沸いてますよ」

「いや・・・しばらく、こうさせて」

そう言うと、私の膝の上に頭を預け、腰に腕を絡ませた。
これは、いわゆる膝枕というやつでは・・・

「れ、零さん・・・?」

突然の行動に驚いたが、閉じた目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。
おそらく、この2日間ろくに睡眠もとらずに仕事をしていたのだろう。
やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。

零さんの腕は、しっかりと私の腰に回されている。
私は観念して身体から力を抜くと、零さんの頭をゆっくりと撫でた。

201/07/10


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