かつん、かつん。


華奢なピンヒールが階段を鳴らす。
ここを上るのは何年振りだろうか。
まだ初夏とも言えぬ季節なのに、その白い額にはうっすらと汗をかいている。大きなスーツケースを運ぶには頼りない身体。
彼を驚かせようと思ってあえて連絡をしなかったが、やはり迎えに来てもらうべきだっただろうか。
それにしても日差しが強い。日傘を持ってくればよかった…と青空を見上げると「…綾ちゃんかい?」と、よく知った声に名前を呼ばれた。



「…おばちゃんっ!お久しぶりです!」


「やっぱり綾ちゃんだったわぁ…しばらく見ないうちに綺麗になって……ほら、これ持って行きな」


「わっ、スルメ?懐かしい〜!ここの道通る度におばちゃんいつもくれたよね〜!ありがとう!ハルと一緒に食べるね」



新聞紙に包まれたそれは、学生時代におやつとして重宝したスルメ。
この家の前を通る度におばちゃんがくれた懐かしい味。
この土地を離れていた時間の長さを実感して、なんとなく胸にくるものがあった。



「…今からこんな気持ちになってたらハルと会ったらどうなっちゃうんだろ…しっかりしなきゃ」



階段を上りきり、七瀬家の玄関先へ向かう。
ふぅ、と一度大きく深呼吸してインターフォンへと指を運ぶ。


ピンポーン


反応がない。



「ですよね〜…」



まだ朝の7時を少し回ったところで、彼がこの家にまだいることは明白だが、何の反応も無い。

ハルは相変わらずだな。なんて思いながらも慣れたのもので、彼女は鍵のかかっていない裏口へと周り、家の中へ入った。
目指す場所は彼の部屋でもリビングでもなく、浴室。



「ハル」



扉を開け名前を呼ぶと、浴槽に浸かっていた彼は大きく目を見開き、こちらを向いた。
ちゃぷん、と水が跳ねる音がすると同時に彼は浴槽から上がり、綾を抱きしめる。

ぽた、ぽた、と遙から水が滴り、綾の白いブラウスを濡らしていく。
頭を彼の身体に押し付けられ、髪が逞しい胸板に張り付く。



「…ハル、また水着でお風呂入ってたの?」


「…っ……連絡もなく久々に帰ってきたと思ったら…第一声がそれ?」


「ごめんごめん!でもあっちで頑張ってきたおかげでしばらくはゆっくりできそうだからさ…ね、許して?」


「…しばらくって、どれくらい」


「ハルが望むなら、ずっといるよ」


「……じゃあずっと側にいてよ……………姉さん」



そう。彼、七瀬遙と私、七瀬綾は血の繋がった姉弟である。
客観的に見ると唯ならぬ関係のように思えるが、そんなことはない。ただこの弟は少々シスコン気味である。
昔からクールであまり感情を表に出さない、そして家を留守がちにしていた親の手も煩わせないとても良い子だったが、何故か姉である私にはべったりだった。
高校卒業を機に海外留学をし、そのまま翻訳家としてあちらに滞在し続け、その間一度もこの家に帰らなかったのはもちろん自分のキャリアのためというのもあったけれど、この可愛い弟の行く末に不安を感じていたからである。
その頃ちょうど中学生という思春期に入ろうとしていた彼はそれでも私にべったりで、少々手を焼いていた。
数年離れて暮らせば変わるかと思ったが、幸か不幸か状況は変わっていないようだ。



「ん。ハルの側にいる。今まで一人で頑張ったね」



でもなんだかんだ慕ってくれる弟というのはとても可愛いもので。
つい絆されてしまうのも、昔のまま。

(ただいまかえりました)

2013/7/21


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