※この物語には流血・暴力・過度の残酷な描写、障害という言葉が含まれています



初等部に通っていた頃、心理研究家である私の父、『苗字迅夫』に連れられ雑賀譲二という男に出会った。
父と雑賀さんは仕事関係で知り合い、会話を交わすとすぐに意気投合してしまったという。
二人は会う度にお互いの知識を比べ合っていた。まるでコメディアンのようなテンポのいい会話のキャッチボールと暗号のような難しい専門用語を並べるばかりで当時の私は全く理解はできなかった。
でも、そんな私を雑賀さんが気にかけてくれ子供でも分かりやすいように解釈してくれた。おかげで二人の会話の楽しさを知ることができた。
それがきっかけとなり、私は父の後をよく付いていっては二人の雑談を聞き口論に参加できるまでになった。
この時間は私が高等部を卒業するまで続いた。

そうだ…。
いま目の前にいるこの『槙島聖護』との会話は父と雑賀さんとの光景を思い出させた。


* * *


初出勤から三ヶ月が経ち、漸く仕事に慣れてきた頃、今夜は一息いれようと帰宅途中にカフェへ立ち寄る。
そこでうっかり大事な物を置いてきてしまう。
帰宅してからその事に気付き慌てて戻るが普段なら5分で着く経路が突然何かの事件が起こり、さっきまで歩いていた道が封鎖されしまう。不幸にも回り道をしなくてはいけなくなり、事件のおかげ人は混雑状態、結局着いたのはその倍60分もかかってしまった。
カフェに到着すると先程まで自分が寛いでいた席に一人の男性が座っていた。
テーブルまで近付くと彼は私に気付いたのか椅子から立ち上がり顔を向ける。

「君の文章はとても興味深いね」

そう言いながら大量の紙束が挟まれたバインダーファイルを私に手渡した。
背の高いほっそりとした体格、襟足の長い一際目立つシルバーホワイトの髪、まるで本の中から出てきたような白い肌と整った顔立ち。
そして、髪色に近い白い服装をしていて初めは神秘的な雰囲気を感じさせた。
落とし物を拾ってくれたのは助かったけれど、まさか中身の物を読まれてしまうなんて…。私は顔を曇らせ不機嫌な口調で話す。

「人の物を勝手に見るなんて失礼ね」
「勝手に見たことは詫びよう。しかし持ち主に届けるためには中身を確認せざるを得なかった。最初は数ページ捲るだけのはずだったが君の文章があまり興味深くてね、つい読み耽ってしまったよ。人間についての理、なぜ現在の日本はシュビラシステムを不安がらないのか。シュビラが管理するこの国でそんな文章を平気で書くなんて君はジャーナリストか、それとも心理学者かな?」

初対面でいきなり何を言い出すのかと驚いて声がでなかった。それと同時にかなりの不信感を膨張させた。
わざわざ中身を確認せずともファイルの裏表紙には警察のみが個人特定できるID番号が書かれてあり、落とし物はそこら辺にいるドローンに押し付ければ確実に落とし主へ届くという便利なシステムだ。なのにこの男はわけのわからない事を言う。
そもそも此処のカフェの接客ロボは落とし物に気付かなかったのか?
私は今とても面倒臭い人に捕まったのでないか?と様々な想像を頭に膨らませてしまい、ますます寡黙になる。

「もう少し話そうか。他者に見せたくないのなら手軽に持ち歩ける電子機器を利用してセキュリティロックをかければよかったはずだ。なのにそれは誰でも覗けるような旧式のファイルに保管されている。しかもタイプライターで打たれたイギリス英語は鎖国になった今の人ではなかなか読めない文体だ。そこまでして何か理由でもあるのかな?」

そんな事、今まで誰も気付かれず指摘されずにいたからセキュリティに関する事は甘く見ていた。
もしかして、この人は公安局の人間なのか?
でも今朝に計った私の色相はクリアカラー。これを書いていても色相は長年濁ってはいない。不思議なことに私は色相が濁りにくい体質なのだ。
とりあえず、此処は生きていく内に何度も説明させられた自分用の定型文を話すことにしよう。少々、面倒臭い気持ちも有り、ため息を吐いてから重たい口を開いた。

「大した観察力に洞察力だわ。でもね、イギリス英語なのは母がその言葉しか使わなかったから使えただけ。それに私はジャーナリストでも心理学者でも無く全く関係ない仕事をしているし、タイプライターもこの内容もただの趣味。因みに紙なのは…」

私はファイルから乱暴に紙を抜き取ってその場でビリビリと破り捨てた。

「ストレス発散用よ…」

男は私の態度に目を大きくして驚いたように見ていた。が、その顔はすぐに緩み急に笑いだした。

「ふふ…はは…。ストレス発散かそれは予想しなかったな…面白いね…クク…」

なんかバカなことをしたみたいな感じになり、いや普通に考えたらおかしい行動だと起こしてから気付いて、後ろめたくなり恥ずかしくなった。
もうこれ以上こんな不審者には付き合いたくないと「さようなら」と男に背中を向けて歩きだすが、それでも尚この男はまだ私に会話を投げつけるのだ。
その一言に歩く私の足は止まる。

「まるで苗字迅夫の会話を思い出させる」

その名前を耳にした瞬間、身体に衝撃が走ったかのように男の方へ振り向いた。
この世にはもう存在しない親愛なる唯一の存在。家族。父親。その名を口にしたから。

「苗字迅夫って…その名どこで…あなたは一体…」
「君は苗字名前だね」

あのファイルを置いてきてしまった時にはもう私は槙島聖護という男から逃げられなかったに違いない。
彼と初めて会話を交じ合わせた瞬間に私の手首にはもう手錠をかけられていたのだと思う。


* * *


カタカタカタカタ―――……
細い指先が一定のリズムを保ちながら奏でるボタンの金属音。
そこはまるでノスタルジーなフランス映画を思い出させるようなアンティーク調にデザインされた部屋。
植物園のように多くの緑が覗かせるホログラムテクスチャの窓際。備え付けられた暖炉の向かいには大理石のテーブルと大きなソファー。
ソファーには男女が二人。タイプライターを打ち続ける苗字名前。人間一人くらいの距離が空いた隣には本を読み続ける槙島聖護が座っていた。
二人は会話をするわけでも無くただ目の前のものに集中していた。この状態を続けて1時間が経過した頃、漸く槙島の方から口が開いた。

「もう一度聞くけどタイプライターが趣味なのは嘘じゃないのかい?」

私はタイプライターを打っていた手を止めて目線を上げると槙島と目が合った。彼の琥珀のような美しい瞳が私を映すと何だか居たたまれなくなり目線を少し下げてから答える。

「これは父の…いいえ両親の遺品なの。まだ防犯設備が旧式の生体認証に頼っていた頃、母の曾祖父が世界で数少ないタイプライターの修理師だった。母が嫁ぐ時にもらって。だけど、私が小さい時に病気で亡くなって父に。そして、半年前に私に…。そういう事は父から聞いていないの?」
「生憎、本人はそういう事を話したがらなかったね。僕も興味が無かった」
「私には聞くのね」
「君の論文をおかげでね。どういう人生を送り、どういう思考をし、どういう人間性をしているのか。ああ…そういえば、あの時僕の目の前で破り捨てた行動の意味も知りたい」
「…ストレス発散法」
「嘘をつくならもっと思考を巡らせなよ…」

トーンの低い言葉と冷めた目を向けられる。槙島は読んでいた本を閉じて立ち上がり窓際の方に足を向けた。
どうやら機嫌を損ねたようだ。
前回と同じ答えでは槙島という男は満足しない。
こうなるとしばらくは口を聞いてもらえない。それは困るので私は正直な答えを口にした。

「もう書くことを止めよう思ったの。昔は書いた物を父が喜んで読んで感想をくれた。それが嬉しくて楽しくて仕方がなかったけど父が殺されてから楽しかった日々は悲しい思い出。シビュラに目がつけられる内容にしたのもわざと。色相が濁って人生を終わりにしたかった」
「そして、君はシビュラ判定の誤りに気付いた」
「そうよ。事件の内容さえ詳しく教えてくれないし、久しぶりの再会はもう墓の姿。しかも棺桶には父の亡骸なんて存在しなかった」

サイコパスに引っ掛からないことを良いことに私は墓を掘り起こした。
目にしたのは空っぽな棺桶、衝撃だった、何がどうなってしまってるのと頭が混乱した。


父はシビュラ判定により仕事を失い突然行方を眩ました。
公安局に捜索願いをしてしばらく、見つかった父はもうあの頃の面影もない姿で死んでいた。父は誰かに殺されたのだ。
犯人は捕まり処罰を与えられ死んだと聞いたが緊張感とストレスを与えないように曖昧な答えをする公安局に私は違和感と不信感を抱き納得ができなかった。どうして父は仕事を失い、殺され、死体さえも無くなったのだろう…。
父の友人である雑賀さんに相談をしようにも彼はある事件を起こしてから音信不通になってしまい連絡が取れない状態だった。
何もできない私は自分の感情を文章にしてぶつけた。しかし、時が経つにつれ、この行為に何の意味があるのだろうという不安が生まれた。書いても書いても色相は濁らないし、日本のシステムは変わろうとしない。だから、この槙島に感付かれたことをきっかけに、終わりにしようと思った。
でも諦めた私は未だにこうして文章を書いている。
この槙島聖護という男は父の事を知っていたから。
私は父の真相を知りたくて彼に着いていった。
槙島さんの計らいなのか、誰も私の捜索願いは出ていない。
元々大した友人関係もなかったから誰も気付かないのだろう。この国の人間は他人に対して興味を持たない。それに私は周りに疎外感を感じていた。
職能適正の最終考査で学年トップの好成績を叩きだし、周りから疎まれ嫉妬された。だから他人との会話はいつも何か違和感を感じる。
私は一体何者なのだろう…………。