※少々グロテスクな表現を含みます 人は誰しも秘密を持っている。 必ずしもすべての人間がそうであるとは限らないが、大半はそうだろう。他人に触れられたくないコンプレックス、自分と親友とだけが共有する恋の話、家族内だけの少し卑しい決めごと。他にも例えを上げればきりがない。 人は誰しも秘密を持っている。もちろんこの僕も。そして目の前にいる彼女も、きっと。 「こんにちは」 声をかけると、彼女は少し驚いた表情で顔をあげた。 ここは紙の本をまだ保存している国立図書館だ。紙の本が全盛期の頃と比べるとかなりマイナーになってしまった今、この巨大な国立図書館も寂れつつある。郊外にあるため人も疎らで、いつ来ても異様な静けさに包まれている場所だ。 来ているのはいつも同じような人で、何度もここに通う内に顔を覚えてしまった人間もいる。 「ああ、こんにちは槙島さん。お久しぶり」 そして、この図書館で司書をやっている"苗字 名前"もまた顔馴染みの一人だ。 貸し出しカウンターに座り、ショールを肩にかけながら分厚い表紙の単行本をいつも静かに読んでいる。変わり者だが、不思議な空気を纏った女性だ。 名前は読んでいた本に懐から出した薄い光沢を放つ金属製の上品な栞を挟む。いつもはハードカバーの本を読んでいるのに、今日は珍しく文庫本を読んでいた。ブックカバーをしているためタイトルはわからない。朗らかに笑う彼女につられて僕も微笑む。 「今日は何をお探しかしら」 「ディックの小説を借りたいんだ。文庫でもいいんだけど、あるかな?」 「ディック…ああ、絶版文庫か。何がいいかな、今あるのは"偶然世界"か"トータル・リコール"、"高い城の男"は貸し出し中なの。あとは…」 「割と揃ってるんだね。"電気羊"はあるかい?」 「ああ、それなら。この前も借りてなかったっけ…また読むの?」 「知人が読みたいと言っててね。ここに来たらあるかと思って」 彼女は目を瞬かせると、また少し微笑んで先程まで自分が読んでいた文庫本のブックカバーを外すと、僕に差し出した。 「どうぞ」 「いいのかい?きみが読んでいたんだろう」 「ええ、私は何度も読んでるから。本も読みたいと言ってくれる人に読んでもらえる方が幸せでしょう」 彼女はショールを抱き締めるように掴むと、そばに置いてあった貸し出し認証のためのパソコンを起動した。 「名義は、私の名前でいいよね」 「ああ。いつもすまないね」 「槙島さんのためなら」 彼女は慣れた手付きでタブレットを操作すると、本につけられたバーコードを読み取らせる。そしてまたタブレットをカタカタやると、本を僕に差し出した。 「はい、OK」 「ありがとう。ねぇ、交代は何時?良かったら一緒に昼食でもどうかな」 「いいよ。今日は午前中だけだから。12時までなんだけど…まだ時間あるわね」 「じゃあ、それまでここの本でも読むことにしようかな」 「社会は今、洗練された低級な群、二つの強力な種族から成る。退届な群と、退屈させられている連中から」 「バイロン」 「ご名答」 「何が言いたいの?」 彼女と近くの喫茶店に入った。サンドイッチを頬張りながら、彼女は片眉を下げて可笑しそうに肩を竦める。 「きみはどっちかなと思ってね」 「貴方と同じ後者」 「心外だな。そんな風に思っていたのか」 「事実でしょう」 ホットティーにレモンを浮かべて、それをスプーンでつつきながら名前は僕の目を見た。挑戦的な目だ。 背中から何か這い上がってくる感覚に目が眩みそうになる。ぞくぞくするよ。 「なら私はこう返しましょう。道徳を云々する者にとっては、退屈こそひとつの重要問題である。というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を恐れるあまり犯されるものであるから」 「ラッセル」 「正解」 「退屈してるんだね」 「貴方もね」 「それで、名前の罪悪って?」 かまをかけると、紅茶を啜っていた名前の手がほんの一瞬だけ止まった。 ティーカップをそっとテーブルに置くと、彼女は黙りこむ。図星だったらしい。 「人を殺したのか?」 僕が声をひそめて問いかけると、名前は静かに頷いた。 「ホームレスよ」 「知り合いかい」 「まさか、ホームレスの知り合いなんていない。たまたまそういう機会があって、たまたま凶器を持っていたから、たまたま殺したの」 「それもすべて退屈のせいか」 「そう。道徳を云々言う気はない。でもこの退屈は、私には酷すぎる。持て余してしまう」 「持て余した果ての行動」 「うん、まあそんなところね」 彼女は何食わぬ顔でまた玉子のサンドイッチを頬張る。 「本当にそれだけかな」 「え?」 「果たしてきみは退屈しのぎのためだけに人を殺すだろうか」 そこでまた彼女が顔つきを強張らせた。 「僕は違うと思う。きみはもっと、内面に狂気的な感情を秘めているんじゃないかな」 ピラフを口に運んでそう言うと、彼女は首を横に振る。 「あり得ないわ。私のサイコパスはクリアカラーだもの」 「だからそれが異常だと言っているんだ。人を殺してサイコパスが濁らないなんてことあると思うかい」 「あるんじゃない?私がそうなんだから」 半ば自棄になりながら彼女はサンドイッチを咀嚼した。 「…きみは、もう少し自分に正直になるべきだ」 「私はいつも正直よ」 「違うな」 僕が否定すると、彼女は目を細めて僕を見据えた。 「僕は名前という人間に興味がある。だから、きみのその狂気を見せてほしい。本能のままに、思うままにきみが退屈をしのげるように手配しよう。きみの内に秘められているその思考を解放してあげる」 「…そんなこと」 「出来るよ。だから見せてくれないかな。僕はね、」 きみの秘密を暴きたいんだよ。 『本日未明、新世田谷区西交差点の歩道でバラバラに切断された遺体が発見されました』 『遺体は袋詰めにされて路地に放置されており、現在身元の確認を急いでいます』 『凶器は見つかっておらず、同様の遺体が新葛飾区や第二東京市でも発見されており、一連の事件は同一人物による犯行とみられています』 『西交差点はエリアストレスの上昇に伴い、本日の正午まで一時的に封鎖される予定です』 |