久しぶりのライブ。

しかも、こんなに大きな会場でなんて、初めてだ。

あんなに小さな、十数人しかお客さんのいない会場でライブをしていたのが、本当につい最近のような気がする。

家を出るときに、少し緊張していたはじめは大丈夫だろうか。

私はというと、ここ最近あまり具合が良くなくて、ベッドに横になったままごめんねと「行ってらっしゃい」を言えば、少し硬い笑顔で「行ってくる」とキスをくれた。






お客さんの入口とは別の、関係者受付へと顔を出せば、女性が二人長机に並んで座っていた。

「こんばんは、お名前を・・・」

私の顔を見ながら、関係者リストをぺらぺらと捲っていくその子に名前を告げようとすれば、隣にいた女性が慌てて言った。

「あ、いいんだってば・・・!し、失礼しました、どうぞっ」

「え、でも、ドリンク代・・・」

「大丈夫ですっ、さ、どうぞっ」

戸惑う私に彼女は立ち上がり、楽屋はあちらです、と教えてくれた。

驚いていた女の子に、小声で彼女が言った言葉は、完全に背中の方から丸聞こえ。

(あの人、斎藤くんの奥さんなの!)

(え・・・うっそ、斎藤さん結婚してるんですか!?)

(半年前くらい、かな?もちろんファンには公言してないけど)

(えー、ショック〜・・・でも、めっちゃ可愛い人でした・・・)



・・・あの、それはどうも・・・。

けれどどうにも恥ずかしくて、私は聞こえないふりをして楽屋の扉をノックした。


「はじめ・・・?あ、いた」

「なまえ!どうした、寝てろと言ったはずだが」

私が中に入ると、ソファに腰掛けていたはじめが驚いて立ち上がった。

私の背中に手を添えて、ソファに座らせてくれたその横には、沖田くんがギターを抱えている。

「なまえちゃん、久しぶりだね?」

音楽番組にこそまだ出ていないけれど、CM、雑誌で取り上げられる機会が増え、ここ数年で彼らが売れてきていることを実感していた。

「私はCMとかで沖田くん見かけるから、久しぶりな気がしないけど」

でも、2ヶ月くらいかな、久しぶりに会ったら顔つきが少し大人っぽくなった気がする。

そう話していれば、読んでいた雑誌をパタリと閉じた原田さんが、テーブルに頬杖をついて笑った。

「相変わらず可愛いな」

「・・・・・・左之さん、人妻だってば」

じろ、と一瞬原田さんを見やった藤堂君は、一生懸命携帯をいじっている。ゲームをしているのか、彼女にメールをしているのか、どちらかだろう。

その二人の様子に微笑んで居れば、私の前にしゃがみこんだはじめが心配そうに顔を覗き込んできた。

「・・・具合は、大丈夫なのか?」

「あはは、ちゃんと病院行ってから来たの。寝てなんていられないよ」

「あれ、なまえちゃん具合良くないの?」

「・・・・・・ん、んーとね」

みんなの前で言うのはもしかしたらはじめに嫌がられるかも知れないけど、でも私は、いち早く伝えたかったし、それに直接言いたかった。




あの、告白をしてくれた日からちょうど一年後、彼が私に“結婚しよう”そう告げてくれた。

さすがに学生だし、音楽で生計を立てるだなんてそんな難しいことがうまくいく保証なんてどこにもない。

卒業までにもしそれができなければ、普通に就職して私を幸せにする、そう、ちゃんと考えていてくれたことに私は嬉しくてもちろん泣いた。

在学中はとにかく忙しそうで、地方のライブも、レコーディングも、取材だってたくさん受けていた。

その中でどうやって単位をとったのか知りたいけれど、まあはじめだし、うまいことやってたんだろうって思う。

同じく大学生だった藤堂君は、音楽に集中したいからと現在休学中。まあ、普通はそうなるよね。


無事お互い大学を卒業して、籍を入れた。

それから半年経った今。


そうなったら、どうする?そんな話はずっとしていた。

それはとても、幸せなことだと、はじめが笑って言ってくれたから、だから―――






「・・・赤ちゃん、できた」









「っ・・・・・・!?」










私の両手を包み込んでいた彼の、大きな手に、力がこもる。

小さく震えているその手に、私は自分の指を絡ませて、目を丸くして驚く彼に微笑んだ。


「・・・ほ、本当、なのかっ」

「もう、嘘なんてつかないよ?」

言葉にならないらしい、ぱくぱくと口を開きながら、はじめが私のお腹に視線を落とした。

「え、なになに!?ごめん、聞いてなかったもう一回言って!?」

楽屋の空気が変わったことに気がついたらしい藤堂君が、慌てて携帯を置いてこちらに寄ってきた。

「うそ、・・・・・・ご懐妊?」

沖田くんもものすごく驚いた顔をしている。

まあ、それはそうだろう。仲のいい同級生が結婚して、さらに子供が出来たんだ。

そのみんなのリアクションがなんだか面白くて、私は思わず笑ってしまった。

すると、原田さんがニヤニヤとしながらはじめの頭をクシャりと撫でた。

「斎藤・・・お前、やることやってんな?」

はじめは、乱された髪を整えることもせず、握っていた手に額を寄せて、何かに祈るように深呼吸を一つ。

ゆっくりと顔を上げた彼は、私の瞳を見つめた。



顔を真っ赤にして。



今にも泣きそうな顔で、微笑んだ。







「俺は、幸せ者だな」







その言葉に、涙が止まらなかった。



私の、ポロポロと頬を伝う涙にみんなが気がついて、はじめと二人にしてくれた。



隣に座ったはじめが、少しぎこちなく私の頬に触れる。



「なまえ・・・」

「なに・・・?」

「俺は、あんたから色んな物をもらってばかりいる」

「私だって、そうだよ」

ふっと微笑んだ彼が、優しくキスをくれた。

こんな幸せなこと、ない。

大好きな人と一緒にいられるだけで幸せなのに。

通じた想いと、重ねた肌と、知った愛の深さと。




「なまえ、触っても・・・良いだろうか」

「どうぞ?」

ゴクリ、と喉を鳴らしたはじめが、緊張した顔でそっと私のお腹に触れた。

「・・・本当に、ここに、居るのか」

「そうだよ?すごいね」

「親に、なるのだな」

「パパだよ〜」

お腹に向かってそう声をかければ、思った通りのリアクションが返ってきた。

「なまえっ・・・!」

「えへへ、照れなくても―――」



完全に、言い返す言葉が見当たらなかったらしいはじめは、私の口を塞ぐようにキスをした。



「残りの、あんたとの二人だけの時間を、全部俺にくれるか」

「・・・もらってくれなきゃ困る」




遠慮がちにノックされた楽屋の扉。

私のお腹を優しく撫でていたはじめの手は、慌てて離れていった。

もう時間だ、そう言ってマネージャーの土方さんが迎えに来た。

私もペコリと頭を下げると、私とはじめを交互に見た彼が言った。

「良かったな」

そうして祝福してもらえるのは、とても幸せだと思う。

私は、ステージに向かうはじめを見送って、土方さんに連れられて関係者席へと向かった。





ずっと、ライブ中お腹を押さえていた。

ちゃんと、この音を感じて欲しい。

私はこの子と繋がっていられるけれど、産まれてこなければはじめはこの子に触れないのだ。

だから、たくさん、感じて欲しい。


『今日はね、珍しく一君が皆に伝えたいことがあるって』



大きなスピーカーから聞こえる沖田くんの声。

アンコールでまたステージに上がってきた彼は、汗を拭いながらそう言った。



『ほら、一君、どうぞ?』

『・・・・・・あ、その』

客席からは、はじめの名前を呼ぶ黄色い声援。

MCが苦手な彼は、ひとつ咳払いをして、マイクにもう一度向き直った。

『本来ならば、このような場所で、言うことではないかもしれぬ』



まさか・・・まさかね?


不安と、期待と。半々。

私は終始、ドキドキしていた。





『俺には、大切な人がいる』




『彼女とはもう、ずっと以前から一緒にいて』




『今日、大切な報告を受けた』




『もちろん音楽を辞めるつもりなどないし、これからも、こうして、この場所に立っていたいと思う』




『これからも、俺達について来てくれるか』



それは、客席のファンへの言葉。

応援の声の中に混ざる、鼻水をすする音。



『よかったね、一君、みんなついてきてくれるって。もちろん僕らも、一君についていくよ?』




沖田くんの言葉に、湧き上がる会場。

それを聞いて、私は少し、ホッとした。

こうして、ファンの前で伝えてくれたこと、それがすごく嬉し―――




『なまえ、あんたを幸せにする。授かった命も、共に愛そう』





客電の落とされた会場、目潰しの照明が眩しくて、私は思わず目を細めた。

そうして始まったアンコール、聞いたことのないその曲は。


last episode "ワルツ"



END

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