「今帰った」

寒そうに袖を伸ばしながら、部屋着のままの彼女が玄関へ顔を出した。

「・・・・・・おかえり」

一瞬、合ったはずの瞳はすぐに逸らされ、そのままリビングへと戻っていった。

その背中を抱きしめてやりたいと思いながらも、冷静でいなくてはと、ひとつ息を吐きながら脱いだ靴を揃えた。



episode24 "LOVE YOU"



「こんなに早く帰ってくるって、バイトじゃなかったんだ?」

「ああ・・・。事務所に用があってな」

「ふーん」

なんとなく、ふたりの間に流れる空気が固い。

ソファに腰掛けた彼女が、年末の特番ばかりのテレビに、つまらなそうな顔をしてチャンネルを変えていた。

バサリとコートを脱いで、カバンの中から先程土方さんに借りたDVDを取り出した。

それをリビングのテーブルに置くと、不思議そうに覗き込む彼女。

何も言われなかったが、“これ何?”という目で俺を見上げていた故、

「昨日の、ライブ映像を借りてきた」

そう告げれば、急に目を伏せて、握り締めていた携帯をいじり始めた。



・・・やはり、ライブの時に何かあったか。



何度も見たはずだが、俺にはまったくわからなかった。

その答えを知っている彼女に、塞いだ理由を聞きたいと思いつつも、切り出すタイミングがわからず、コートとカバンを置きに自室へと向かった。



単刀直入に聞くべきか、それとも、遠まわしに話をつないでいくべきか。

「・・・・・・はぁ」

ため息ではない、鼓動が早すぎて、苦しくなった呼吸を整えるように、息を吐き出した。

彼女がくれたメールの答えをしてやらなくてはいけないし、だとするとそれは、彼女に思いを伝えたことになるのではないだろうか。

「何から・・・・・・」

事務所から家まで移動していたその間に、決めるつもりだったのだが、気がついたら家の前についていた。

時間が足りなすぎる。

―――否、何年一緒にいると。

考える時間など、いくらでもあっただろう。

自分の気持ちは、ずっと以前から決まっていた。



彼女のことが好きだと、ほかの誰より愛しいと、ずっと、以前から。その気持ちだけは変わらない。




リビングに戻り、ソファに腰掛けると、隣の彼女の肩が一瞬震えた気がした。

「・・・・・・コーヒー、飲む?」

そう言って、立ち上がろうとした彼女の腕を無意識に掴んでいた。

俺を見下ろした彼女の驚いた視線に気づいて、何をやっているのだと慌てて手を離した。

「あ、いや、その・・・・・・」

キッチンに向かうと思っていた彼女は、またすとんと俺の隣に座り直して、ぽつりと口を開く。

「・・・・・・聞きたいことと、言いたいこと、たくさんあるって言ってた」

「ああ。そう・・・だな」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

ふたりの間に流れる沈黙を、くだらないバラエティ番組が緩和してくれていた。

息が、詰まる。

彼女がくれたメールに、頬を緩ませたあの瞬間、電話で告げるべきだったか。

いざ当人を目の前にして、これほど緊張するとは。

「・・・・・・その、観るか?」

「え・・・」

テーブルの上に置き去りにしたDVD。

それに手を伸ばして、彼女の顔をちらりと見れば、少しだけ浮かんだ不安の色。

間違いない。

「なまえ?」

「あ、えっと・・・・・・うん、そうだね」





ガヤガヤと、始まる前の会場内の映像が映し出された。

ステージを真っ直ぐに捉えたその画面。

すぐに暗転した会場に、湧き上がる歓声。

はっきりと覚えているあの時の空気感と緊張感。

お馴染みのSE。

ステージに立ち、それぞれの楽器を手にして、総司の右手が上がり、左之のドラムカウントが始まる―――

「なまえ?」

「・・・・・・ごめん、やっぱ、無理かも」

停止されたその映像と音に、何事かと彼女を見やれば、リモコンを握り締めて、うつむいたままそう呟いた。

「どうした」

そっと、彼女の顔を覗き込めば、今にも泣き出しそうな表情をしていて。

それは触れたら壊れてしまうのではないかと思うほどに繊細だった。

「は、はじ・・・・・・っ、私」

その泣きそうなくしゃりとした顔をこちらに向けて、目に涙を浮かべた彼女の言葉を待つことなんて出来なかった。



「なまえ」

「・・・・・・ふっ、・・・・・・」

「我慢などする必要はない。泣きたいなら、好きなだけ泣けばいい。・・・俺があんたの、そばに居る」

彼女を抱きしめれば、すぐ横から聞こえる嗚咽。

そうして、背中に回されたその手が、痛いくらいに俺を捉えて離さない。

「そばに居る・・・・・・ずっと」

「はじ・・・めぇっ・・・・・・」

「大丈夫だ」

子供をあやすように、背中をトントンと軽く叩いて頭を撫でてやれば、安心したのだろうか、少しだけ泣き声が治まっていった。

腕の力が弱まったのに気づき、彼女の顔を覗き込むと、真っ赤になった鼻と目元。

すん、と鼻を鳴らしながら気まずそうに視線を逸らした。

「あんたを、ここまで不安にさせたのは俺か?」

ふるふると首を振って、否定をしながら涙を拭っていた。

「・・・私が、勝手に不安になっただけ」

「どういうことだ」

きゅ、と俺の服の裾を握り、乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。





「はじめが、遠くに行っちゃうと、思ったの」

ソファに座り直して、指を絡めて繋いだ手は彼女の膝の上。

俺の肩に頭をあずけた彼女が、か細い声でそう言った。

「俺が?」

「・・・・・・初めて見た学園祭のステージを思い出してね?ほら、1曲目だったじゃない、あの時も」

「覚えていたのか」

「・・・あの頃とさ、演奏のレベルだって違うし、環境だって違う。何もかも変わっちゃって、私だけが変わらなくて、取り残されてるみたいで。

どんどん先に行っちゃうから、もう戻ってなんて来てくれないんじゃないだろうかとか、私のことなんて、どうでもよくなっちゃうんじゃないかなとか・・・・・・」

「あんたは・・・」

そんなことを思っていたのかと、彼女の塞いでいた理由がわかったことに安堵したら、ため息がこぼれた。

「あー・・・呆れてるでしょ。ひっどーい、私、真剣に悩んでっ・・・!」

それは無用の心配だと、安心させてやるためには、言葉にするよりも、おそらく―――







「・・・ん・・・」



彼女の、唇を塞いでしまう方が、簡単だと思った。







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