終演後携帯を確認すると、いつもは彼女からメールが入っているのだが、それがないことに若干違和感を覚えた。

彼女がライブに来てくれていたのは間違いないのだが、一体どうしたというのだろうか。

ステージから、案外客席はよく見えるもので、いつも無意識に彼女を探してしまう。

決まって彼女は、俺の正面の直線上のどこかに立っている。

奥の方ではあったが、確かに彼女は今日も、俺の正面に居た。



episode22 "nani o naiteruno"




本来であれば朝まで打ち上げに参加するのだが、(左之はいつものことだが)気づけば土方さんも、主催の女性も居なくなっていた。

それならばと、俺も隙を見て帰ってきたが、既に日付は変わってしまっている。

「・・・ただいま」

玄関を開けても、いつも迎えてくれる彼女は来なかった。いよいよ、何かあったのではと思い少しだけ胸がざわつく。

そっとリビングの扉を開くと、ソファに彼女のコートとカバンが投げ出されたままになっていた。

帰宅していることに安堵し、彼女の部屋へ向かった。

「なまえ?」

ノックをして声を掛けるも返事がない。

「今帰った。その、・・・・・・・・・」

何故メールをくれなかったのかと、聞こうかと思ったが止めた。



“おつかれさま!”

“駅で待ってるねー”

“今日の対バンなかなかかっこよかったね。あ、でも、はじめのバンドが一番だよ”

“MC、ちゃんと喋れてたね(笑)”

“新曲!やばい!”



「なまえ・・・・・・」

別に、必ず毎回メールを送ると約束をされたわけでもないのに、ただ、彼女から一番に感想が聞けるのが楽しみで、必ずステージから降りると一度携帯を開くようになっていた。

それに対してメールで返事をしたことはないが、家に帰って、その話をすることはよくあった。

だから今日、当たり前のように携帯を開いても、彼女からのメールがないことにこんなに不安になると思わず、自分自身も驚いている。

「・・・・・・はじめ?」

扉越しに彼女のか細い声が聞こえた。

「なまえ、起きているのか」

「・・・ん、ちょっと寝てた」

「起こしてしまったか、すまない。・・・その、」




「ごめん、ちょっと一人になりたいの」




自信のなさそうな、本当に弱々しい彼女の声を初めて聞いた気がする。

扉越しだからなどではないと思う。

なんとなく、声が震えているような気がしたのは、気のせいだろうか。

「なまえ?何か・・・」

「お願い。一人にして」

「・・・・・・すまない、・・・ゆっくり、休め」

何か、気に障ることをしてしまったのだろうか。

俺が何か―――

しかし、今朝見送ってくれた時も、ライブの前も、普通だったように思うのだが。

だとすればライブ中に何かあっただろうか。

わからないから、余計に苛々する。



少し頭を冷やさなくてはと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとした時だった。

見慣れないものが冷蔵庫のちょうど真ん中に入っているのに気付いた。

「・・・・・・ケーキ?」

パウンド型から取り出されたらしい四角いそれは、間違いなく手作りのものだろう。

・・・これを共に食べようと待っていたのに俺が遅かったから拗ねているのか?

否、それくらいだったら、部屋になど閉じこもるはずない。

「何だと言うのだ・・・・・・」

彼女がメールをくれなかったことと、部屋に閉じこもっていること、その理由が全く見当がつかないことに、何年の付き合いなのだと不甲斐なさを感じてしまった。



―――何年の。



「・・・・・・」

冷蔵庫を背に座り込み、ぼんやりと思い返してみる。

正直初めて会った時のことなど覚えていない。

『だって赤ちゃんだったんだもの』

幼い頃になまえと一緒に、母親が見ていたアルバムを覗き込んでいたのを覚えている。

『いつも一緒に遊んでるわね、あなたたち』

『はじめママ!だって、大好きなんだもん、ねー?』

ぎゅ、と繋いでいた手を嬉しそうにぶらぶらとさせながら俺に同意を求めてきた彼女に、幼いながらもほんの少し気恥ずかしさを覚えた俺は、頷くことしかできなかった。

『えへへ』

嬉しそうに微笑んだ、幼い彼女の表情を思い出すことは、おそらく写真を見ながらではないともう出来ない。

あまりに古い記憶過ぎる。

それに、あの頃は隣同士に住んでいたが、今は一緒に住んでいる。あの頃よりも、過ごす時間は増えた。

いつの間にか大人になった俺たちの、あの頃と少し違う距離感は、多分彼女も感じているもので。



「・・・・・・」

冷蔵庫を再び開き、彼女の手作りのケーキを取り出した。



『はじっこは私のだからね!!』



「わかって、いる」

いつもそうだ。

俺が作った時も、自分で作った時も。

真っ先にそれをつまんでは幸せそうに頬張る。



『ん、んまーー』




「・・・・・・っ」




丁寧に切り分けて、“はじっこ”と残りをもう一度冷蔵庫にしまった。




朝になれば、いつも通りに笑ってくれるだろうか。

何もなかったように、おはようと言ってくれるだろうか。




もしそうではなかった場合―――。




“今日のライブ動画を、明日、見せてください”


拭えない不安を少しでも解消したい。

それが何かの解決になるかもわからないが、じっとしているわけにもいかないし、彼女に聞けないならなおさら。

自分で気づくしかないだろう。

土方さんに一言メールを送り、彼女の作ったケーキを一口頬張る。



「・・・・・・うまい」


『でしょ!?』


同じ家にいるのに、このどうにもならない距離がたまらなくもどかしい。

幻想の彼女を浮かべては、余計に虚しくなるだけだ。

ケーキを食べ終えて、もう一度携帯を開いた。





“今日は遅くなってしまいすまなかった。

ケーキ、勝手に食べてしまったが、うまかった。

来年は、共に食べよう。

それから、年明けのコンサートも、楽しみにしている”








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