「ん・・・・・・」

なんだか熱いと、もぞもぞと布団の中で動き回り、シーツのひやりとした部分に足を伸ばした。

ああ、気持ちいい。

って・・・・・・あれ?

ゆっくりとまぶたを開いて、捉えた視界の中には君がいなかった。

いつもは手を伸ばすまでもなく、そこで君がすやすやと眠っているはずなのに。


もう仕事に行ってしまったのか。

ちらりと、壁の時計に目をやると、短針は“1”を指していた。



episode18 "マンホールシンドローム"




「今日カフェ寄ったんだけど、総司お休みだったんだね?」

重そうな買い物袋を抱えて帰ってきた彼女が、冷蔵庫に食材をしまいながらそう言った。

「えっ・・・・・・あ、うん」

バイトを辞めたことを彼女にまだ、話せていない。

その様子だと気付いていないのか、スタッフの子がうまくフォローでもしてくれたのか。

今日は、スタジオの予定も打ち合わせも何もないから、とりあえず家でギターを弾いていたら同時に浮かんできたメロディーと言葉。

書き留めておかなくてはと、慌てていつも使っているノートを取り出した。

そして、気がついたら君が帰ってきた。

好きなことに集中していると時間の感覚がなくなる。

なんとなく泳がせた視線は、書きかけの歌詞に落としておいた。

「曲、作ってたんだね」

隣に腰掛けた君が、ギターを抱えている僕を嬉しそうに眺めながらそう言った。

「ねえ、見てもいい?」

「・・・・・・うん」

にこ、と笑顔を僕に向けた君が、どれどれ、とテーブルに広げていたノートを覗き込んだ。


鼻をくすぐる甘い香り。

付き合いたての頃に、香水は好きじゃないと言っていた彼女が、何もつけていないことに驚いた。



落ちてくる髪を、耳にかけるその仕草で、あらわになったその横顔は、とても綺麗で。

ノートに落とした視線。長いまつげが揺れる。



「・・・すごいなー」

「え・・・」

見とれていた彼女が、歌詞を読み終えたらしい、体を起こして急に僕に笑顔を向けた。



この、ドキドキとしている鼓動は、ほんの少しだけ罪悪感も締めている。

だって、仕事もしないでこんなことしてる僕を、そんな笑顔で褒めるなんて―――



「この曲、聞けるの楽しみにしてるね」

「・・・・・・完成したらね」

「うん。・・・・・・さて、ご飯作ろうかな!」

キッチンへと向かった君を追いかけようと、膝の上のギターをスタンドに戻した。

「手伝うよ」

「ありがと。じゃあ、総司はサラダ担当ね」

「はーい」









「お、沖田くん・・・・・・逆に目立ってる」

「え、そう・・・?うまく変装したつもりなんだけど・・・」

翌日、久しぶりにカフェにやってきた。

また騒がれるのは面倒だったから、作業のときにかけている黒縁メガネを着用。

歌詞を書いたりするようになってから、明らかに目が悪くなった。

デスクライトだけをつけた暗い部屋で徹夜で作業することが増えたからだと思う。

服装も少しだけ以前より大人びた落ち着いた色を選ぶようになったのは、なまえを好きになってから。

彼女との年齢差が少しでも縮まって見えるように。なまえと手をつないでも、彼女が嫌がらないように。


そんな格好をしているクセに、なのか、きょろきょろと周りを見渡す僕に、くすくすと笑いながら目の前の彼女が言った。

「・・・・・・もう、多分平気だよ?」

「え・・・?」

「沖田くんが辞めたって知ったら、ファンの子達全然来なくなって。・・・・・・って、それどころか!常連のお客さんたちも減ったんだよ!?」

信じらんない、とバッシングに向かう途中だった彼女は丸いトレーをぎゅっと抱きしめながら、右手には久しぶりに見るダスターを握り締めていた。

“沖田くんが来たら言わなきゃと思ってたの!”なんて、少し・・・いや、かなり本気で苛立っている。

「・・・そんなの、僕知らないよ」

そう、知らない。知ったこっちゃない。

愛想笑いを振りまいていた僕目当てに来ていた客がいたとすれば、その人達にとってこのカフェはそこまでのものなのかと、少しだけがっかりしてため息がこぼれた。

僕は結構、この店好きなんだけどな。

「本当、モテる人はいうことが違いますねー」

僕よりも大きなため息を付いた彼女は、カウンターに座った僕のちょうど後ろの席の食器を片付け始めた。

「・・・・・・この間さ。彼女に・・・誤魔化してくれたの、君でしょ?」

ぴたり、と一瞬腕が止まったかと思えば、こちらを見ずに、またグラスをトレーに乗せた。

「余計なこと、したかなって思った」

「・・・・・・君は結構、タイミングいいと思うよ。いろんな事の」

「え、それって褒めてる?」

「さあ」

「・・・本当、沖田くんわかんない」




別に、わかってもらわなくたって良い。

とりあえず家にずっといるのがいたたまれなくて出てきたついでに寄っただけだし。

・・・・・・なんて思ってみても、やっぱり居心地の良いこの場所を離れなくてはいけなくなったことが悔しくてたまらない。



でも、戻りたいなんて口が裂けても言えるはずない。



あの子を恨むつもりも別に無いけど―――



・・・・・・ああ、なんだ、本当に思い出しちゃうや。



カフェを後にして、とにかく仕事を探さなくてはと、僕は久しぶりに外の音に耳をすませた。




「・・・・・・あ。」

はじめくんを冷やかしにでも行こうかな。ついでにスタッフ募集してればいいのに。







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