「・・・は・・・っ!?ちょっ・・・、土方先生っ!?」
熱っぽい視線だった。
いつもは鋭い瞳で、眉間にシワを寄せて、ガン飛ばされてるんじゃないかってビクビクしているのだけれど。
だから彼の隣は緊張する。それはもちろん、下手なことして、変なこと言って、怒られやしないかって。
今だって、本当は、ビクビクしてた。
それなのに。
少しだけとろんとしたその瞳は、すごく、熱っぽくて。
そうしてそのまま、どさ、と私に覆いかぶさってきた土方さんを支えきれなくて、背中から畳に倒れ込んだ。
夜が明けるまで
食事の後、生徒たちが部屋に戻ったあとの大広間の隅っこで、お酒を飲んでいた先生たちに付き合っていた。
修学旅行なんて、終日親の代わりみたいなものだし、さすがにこの大人数を見るのは大変だ、と、愚痴るように誰かが「一杯だけでも」と言って始まった。
結局一杯では終わらないのが大人の付き合いというものだ。
もちろん、先に休んでいて良いとも言われたけれど、出て行きづらい雰囲気過ぎて、何となく私もそのまま座っていた。
私は、ここにいる先生たちと違って、クラスを受け持っているわけではなく、養護教諭として参加しているのだ。
頭が痛い、生理痛がひどい、そんなレベルの生徒は何人か居たけれど、付きっきりで見ていなくてはいけないなんてことはなかったから、今のところは自由の身。
土方先生がお酒を飲めないのは他の先生たちも知っていたけれど、どれほど飲めないのかは知らなかった。
いつも頑なに飲めないのだと断っていた彼に、ふざけて飲ませたのは誰だったんだろう。
一口飲んだ後、うん?と、眉間にシワを寄せて、食道のあたりをさする仕草をして。
烏龍茶に焼酎が入っているのなんて見た目ではわからないもの。
「・・・誰だ」
なんて、私に聞いてきた彼の顔は赤く染まっているし、誰かなんて私も知らない。
知ってたら、ちゃんと止めますよ。後が怖いから。
答えに詰まっている私の肩をがしりと掴むと、覗き込むように見つめられた。
その瞳があんまり熱っぽくて、正直、いつもと違う緊張感。
「えっと・・・あの、」
土方先生の、薄く開いた唇と。
肩から伝わる掌の熱と。
はあ・・・、と、ほんの少し辛そうな、呼吸と。
「ふざけんじゃ、ねぇ・・・っ」
「・・・は・・・っ!?ちょっ・・・、土方先生っ!?」
からの、どさ、だ。
それを見た、先生たちの笑い声。
いや、本人からしたら、笑い事なんかじゃないんですけどねえこれ、どうしろって言うんですか。
重くてびくともしない・・・ていうか、あの・・・寝てる!?
「土方先生っ!?あの!!」
耳元から聞こえる、規則正しい寝息が心臓に悪すぎて、身を捩るけれどびくともしない。
「いやー、本当に酒弱いんだなー!みょうじー、お前介抱してやれ!仕事だ!はははっ」
「ちょっ・・・、何なんですかっ!?」
遠くから、仕掛けたらしい先生の声が聞こえる。いや待て、起き上がれないんですけど。
「・・・大丈夫か?」
ふわっと身体が軽くなったのは、声を掛けてくれた原田先生のお陰だ。
土方先生の身体を抱き起こしてくれて、重そうにその身体を支えながらも立ち上がる。
「俺、運んでやるよ」
「原田先生、すみません・・・」
「いや、泊まりだから良いんじゃねえかって、俺も悪乗りしちまった」
「・・・・・・恨みますからね」
「なんだぁ?明日の朝には、感謝してるかもしれねぇだろ?」
そう言って、片目を瞑った。
一体誰が誰に感謝をするって言うんですか、と返すのも面倒でため息をこぼした。
私は、原田先生にとりあえずのありがとうを言って、布団に横になっている土方先生を見下ろした。
「・・・気をつけろよ?」
「はい?」
「酒入ってると、何するか分かんねぇだろ?」
「・・・・・・なんですかその楽しそうな顔」
「おやすみ」
「・・・おやすみなさい」
にやり、と笑って部屋から出ていった原田先生。
何するかわかんないって・・・何もあるわけないじゃない、私なんかと。
「・・・ねぇ?」
もう一度、部屋の真ん中で眠っている土方先生を見て、そういえば、と思う。
この人が休んでいるところを初めて見るかも知れない。
いつも働き詰めで、忙しそうにしていて、私よりも来るのが早い上に帰るのも遅い。
こんな形でも、休んでもらったほうがいいのかも知れない。
そんな風に思いながら、彼のそばに膝を崩して座ると、吸い込まれるようにその顔を覗き込んでしまった。
(・・・綺麗・・・)
眉間にシワを寄せている彼ばかり見ていたから、かもしれないけれど。
普段は怖くて、まじまじと顔を眺めることなんてないから、その整った顔立ちにどきりとした。
(・・・えっと・・・、)
「ん・・・」
「・・・!?」
まぶたを開いた彼に驚いて、思わず背筋を伸ばした。
顔を見つめていましただなんて、そんな恥ずかしいことバレたらまた睨まれるんだろう。
「ひ・・・土方先生、大丈・・・あ、お水、いりますか・・・?」
電気が眩しかったのだろう、まぶたを開ききる前に、目を細めて右手で顔を覆った。
「・・・・・・悪い」
「いえ・・・どうぞ?」
身体をゆっくりと起こした彼に、ペットボトルを差し出した。
「ったく、悪ふざけしやがって・・・」
「・・・本当にお酒、ダメなんですね?」
「ああ?」
「い、いえっ、その・・・す、すみませんっ!!」
思わず、崩していた足を整えて、姿勢を正してしまった。
なんだか緊張感があるんだ、良い意味で、だけど。
おそらくこれは、上の立場に居る人に必要なそれだ。
「何びびってやがんだ?」
「べ、別に、その・・・」
「いや、違う。俺が言いたいのは・・・・・・、ところでここ、誰の部屋だ?」
「は・・・!?あ、えっと、ここは病人が出たとき用に取ってた個室で、一応私の部屋、です・・・」
「すまん、俺は戻った方が良いよな」
「・・・顔色、あんまり良くないみたいですけど、無理してませんか?」
立ち上がろうとした土方先生に、すかさずそう言った。
私のことを考えてくれての行動だってわかるけど、この状態で部屋に戻られて気持ち悪くなりましたって言われても遅い。
それに、そうならないように介抱しろって言われたんだ、一応、生徒以外の体調管理も私の仕事だ。
「・・・してねぇ」
「・・・・・・」
「・・・なんだよ」
「・・・・・・ダメです」
「このままじゃてめぇが休めねぇだろうが」
「私は良いんです、どこでも寝られますから」
「良くねぇ・・・」
「あっ、土方先生、ダメですって!」
なんだかここまで来たら意地の張り合いみたいになってしまって。
立ち上がった土方先生が頭を押さえたのは、間違いなく頭痛だろう。
それを見て私も「やっぱり休んでいてください」って口で言えばよかったのに、なんだか慌ててしまって、腕を引いたのがいけなかった。
「・・・・・・っ」
「・・・ひ、土方、先生・・・?」
結局、原田先生に助けてもらう前の状況に戻ってしまった。
私の上に倒れ込んできた土方先生を、受け止めた。
さっきより背中が痛くなかったのは、ふわふわの布団のお陰だ。
「てめぇ・・・」
「ご、ごめんなさ―――」
「ふざけんじゃねぇ・・・・・・だぁっ・・・くそっ!」
身体を起こそうとしたんだと思う。
けれど、頭が痛くて動けなかったんだろうか、私の耳元で苛立つ声が聞こえた。
それはきっと、私に対してじゃなくて、自分への。
「悪い、もうしばらく、このまま・・・」
「えっと・・・・・・いや、あの・・・」
「みょうじ・・・」
「・・・は、はい!?」
「頼む」
「・・・・・・・・・はい、」
どうしてだろう。
あなたの声は、言葉は、なんだかすごく力があって。
でも決して縛られてるとかそういうのではなく、強制されているわけでもなく。
「土方先生・・・」
さっき感じた緊張感は、もしかして。
「これって、あれです、たぶん、」
「何だよ・・・」
「・・・吊り橋・・・、効果?」
恋のドキドキと、錯覚する。
「馬鹿野郎が・・・」
いけないことしてる気分になる。
今もしかしたら、誰かがその扉を開けるかも知れない。
この状況をなんて説明したら良いか、言い訳を考えてる。
「・・・それならさっさと、落ちやがれ」
きっと、本当は、もっと前から、ずっと―――
「どういう、意味ですか・・・」
「てめぇでよく考えてから質問するんだな」
そう言いながら重ねた唇が、答えをくれた。
―――夜が明けるまで、私は、あなたの腕の中で。
END
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