ステージから見下ろす景色。
それとは反対に、目線より少し上に位置する照明ブースから覗く真剣な瞳に、何度目を奪われたか。
一曲を終える毎、余韻と拍手の間に高鳴る鼓動の理由は、ただ、すぐに顔を上げてしまいたいから。
彼女が、どんな瞳で、俺を見ているのかを―――
「お疲れ様です」
「あ、斎藤君。お疲れ様」
彼女とよく話すようになったのは、曲の資料を渡したのがきっかけだった。
小さなライブハウスに似合わず、真面目なことをするんだねと、笑った顔に惹かれたのだと思う。
どういうことなのかと問えば、ほとんどのバンドは資料など持ってこないらしい。
リハーサルの雰囲気を見て、ぶっつけ本番でステージを照らすのだと。
例えそれが、30分のステージだったとしても。
例えそれが、ワンマンライブだったとしても。
一曲一曲の完成度を下げる事などしたくはない、それがこだわる理由だった。
『斎藤君は、青のイメージ。なんか、静寂っていうか、落ち着いてるっていうか・・・』
『え、じゃあ俺は!?』
『平助君はー・・・オレンジ、かな』
『へえ〜面白ぇ』
いつだったか、打ち上げでそんな話をしていたのを覚えている。
俺は、じゃあ俺は、と、出演していたバンドが彼女へ次々と質問を投げかければ、そんなに一度に答えられないと笑った。
その笑顔が、また。
「あ、斎藤君。今度の資料?」
スタジオの帰りにライブハウスへ立ち寄り、まだ音源化していない、サンプルの音資料を彼女へ手渡した。
曲順を決めて、それを順番に落とす。
この資料を作っている時が幸せだと、言えるはずもなく。
ライブ以外で彼女に会える、唯一の機会。
「いつもありがとう。実は資料もらえると気合入るんだよね」
「・・・?」
「だってさ、ほら、ここでブレイクがあるとか、サビが来るとかわかってると、すっごいやりやすいし。いつもだって適当にやってるわけじゃないんだけど、曲知ってるだけでわくわくする。ばっちり決めてやろうって。プラン、組むのも楽しいんだ。だから、ありがとう」
「・・・っ」
本当にこの仕事が好きなのだと伝わってくるその明るい表情に、思わず目を逸らしてしまった。
「どうかした?」
資料の入ったファイルを抱きしめながら、俺の顔を覗き込むようにした彼女には、何でもないと、言うしかなかった。
「変なの」
リハーサルを終えた、オープンからスタートの間の時間。
ちょうど、静かなフロアを横切ろうとすれば、ステージを真剣に見つめている彼女が目に入った。
声を掛けようと口を開いた瞬間、今度はステージへと上り、自分の背よりも高い脚立に軽々と足を掛けた。
「・・・あれ、斎藤君」
灯体の角度を変えようとしたのだろう、上に手を伸ばした彼女が、フロアに立っている俺に気が付いて名前を呼んだ。
「ねえ、少しそこに立っててって言ったら怒る?」
「・・・否、」
ちょうどステージの真ん中、彼女の視線がその場所を指していた。
スタンドマイクの真ん前は、ボーカルの立ち位置。
「ありがとう」
彼女に背を向け、フロアを見下ろす。
いつもは下手に立っている所為か、この場所は緊張する。
光の筋が、少しだけ、傾いた。
脚立を降りる音が後ろから聞こえたと思えば、柔らかな香りを漂わせながら俺の隣を横切り、またフロアに立ち、照明の角度を確認する。
「・・・うん、」
真剣な眼差し。
その瞳が見つめるのは、俺自身ではないことくらい分かってはいる。
今度は照明ブースに戻り、調光卓を操作し、色とりどりの光でステージを照らす。
「・・・・・・あんたは、いつもこのシュート作業を一人でこなしているのか」
「え?・・・ああ、たまたまだよ。今日来るはずだった子、インフルだって。他に調整つかなくてさー・・・もうちょっと上か、」
相変わらず、天井に近い灯体と、光の筋を見つめる彼女がそう返事をした。
また脚立に上り、忙しそうにフロアと行き来している。
普通ならば、スタッフを配置し、指示を出しながら行う作業だ。
真剣なその姿に、目を奪われてしまう。
ちょうどフロアに降り、俺の正面に立った彼女の名を呼んだのは、おそらく無意識だった。
「・・・なまえ」
「・・・・・・え?」
驚いた彼女の視線が、俺を捉えた。
満員の会場よりも、新曲を披露するときよりも、何故か急に、鼓動が早まる。
「いや、すまない・・・」
「なに、ちょっと。・・・びっくりしたー。あはは」
そうして今度は照明ブースへと戻った。
「・・・・・・っ」
何か言わなくては。
彼女の意識がこちらに向いた今。
だが、気ばかり急いて、言葉が浮かばない。
じわりと手のひらに浮かんだ汗を、ごまかすようにぎゅっと握った。
「・・・・・・」
結局は何も言えずに、忙しなく動き回る彼女を目で追うことしかできなかった。
「お疲れ様ー!」
ライブのあと、軽い打ち上げに参加した。
近所の、居酒屋の座敷の席には、出演していたバンドのメンバー達が、既にほろ酔い状態で座っている。
片付けを終えたらしい彼女が、数名のスタッフを引き連れてやってきた。
その明るい声に、全員が顔を上げた。
「みょうじさーん!こっち、こっち座りましょうよ」
「えー?嫌だ、あんた酔っ払ってるでしょ、面倒くさい!あはは!」
そう言いながら彼女がすとんと腰を下ろしたのは。
「お疲れ、斎藤君」
「・・・お疲れ様です」
俺の、隣。
「あれ、飲んでないの?みんな結構酔ってるけど・・・ああ、ザルなんだ。すみませーん、ビールくださーい!」
何故彼女がここに座ったのか。
その理由を問うてしまいたいが、答えが怖い。
「今日、どうだった?」
躊躇っていた俺に彼女からの質問。
いつもライブ後に話しているが、今日は深夜のイベントが入っていたせいですぐに会場を出るように言われていたのだ。
膝を抱えて小さくなった彼女の右手はビールジョッキを離さなかった。
その姿がなんだかとても可愛らしく思えて、慌てて目の前の、自分のグラスに視線を移した。
「ねえ、聞いてる?」
「・・・はい」
どうだった、というのは、自分の照明がどうだったのかと彼女はいつも評価を聞きたがる。
「・・・新曲の、」
「うんうん、あれね」
「サビのタイミングも、色も、合っていたと・・・」
「やった!聞き込んできたの!あの曲、好きだなー。あ、ねえ、あれも作詞沖田くんなの?なんか雰囲気違う気がしたんだけど」
・・・どうしてこう、彼女はいつも俺を揺さぶるのだろうか。
「・・・あれは、俺が・・・その」
「・・・わ、嘘。もしかしてって、思ってた。なんだー、そっか、斎藤君なんだ。えへへ」
破顔した彼女を、抱きしめてしまいたいと、伸ばしたその手を誤魔化すように、少しだけ残っていた酒を煽った。
「はやく音源化して欲しいな、楽しみ」
「みょうじ、さん」
「・・・・・・あれ、」
「・・・?」
「戻っちゃった?」
「何―――」
「今日、名前で呼んでくれたの、空耳じゃないよね」
「・・・・・・っ」
「あはは!ちょっと!真っ赤だよ!?」
バシバシ、と俺の肩を叩きながら楽しそうに笑う彼女。
目尻に溜まった涙を人差し指で拭っていた。
「・・・・・・また・・・そう、呼んでも・・・」
「え、うん、だってなんか、仲良くなれたみたいで嬉しい。あ・・・ねえねえ、」
「は・・・?」
俺の肩に手を置き、耳元に唇を寄せた彼女が「はじめ」と、俺の名を呼んだ。
そして、一瞬のひかり
END
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