―――どうしたものか。
ぼんやりと頭の中で今日のこれからを考えていると、あっという間に駅前付近にたどり着いていた。
人ごみの中、高らかに右手をあげて俺の名前を呼んだのは、待ち合わせをしているなまえ。
「はじめちゃん!!こっちー!」
無邪気な笑顔で笑う彼女を愛しいと思うようになってから、どれくらいたっただろう。
「やっぱ、すごい人だね」
時刻は大晦日の23時。間もなく今年が終わる。
自身の誕生日を彼女に伝えたわけでもないが、こうして共に出かけようと誘ってくれたことが嬉しかった。
「皆同じだな」
「・・・はじめちゃんは私で良かった?」
こちらを向こうともしないまま、「ちょっと待ってて」と券売機でICカードをチャージしながらそう言った。
「友達。毎年一緒に行ってるって沖田くんが言ってた」
また余計なことを、と出そうになったため息は、マフラーの中に落としておいた。
「・・・・・・問題があったなら断っている」
「そう、よかった」
大学の2年先輩である彼女に初めて会ったのは、サークルの勧誘。
苦手な人ごみから伸びてくる手を一生懸命避けながら歩いていれば、突然彼女が倒れ込んできた。
「・・・っ、あ、あれ・・・、わ、ごめんなさい!!」
誰かにぶつかってよろめいたらしい、バランスを崩して倒れてきた彼女を、ちょうど受け止めた。
「あんた、大丈夫か」
「ちょっと一君、先輩に向ってその口のきき方、ないんじゃない?」
「・・・先輩、だと」
「一枚、もらってもいいですか?」
「え、あ・・・どうぞどうぞ!はい!」
てっきり同じく新入生だと思っていた彼女が上級生だと、確かによく見れば勧誘のチラシを抱えている。
「写真、興味ある?よかったら覗くだけでも!時々みんなで展示もやってるから」
手を伸ばした総司に一枚、チラシを手渡した彼女は、隣にいた俺の手にも強引に握らせた。
「さっきはありがとうね!これ、配り終えないと帰れなくて。ごめんね?」
彼女の背中を、立ち止まって眺めることしかできなかった。
「あれ、あなた・・・・・・斎藤・・・えっと、はじめくん?」
気づけば、彼女を訪ねに部室に顔を出していた。
名簿に記入した名前を読み上げた彼女は、俺を覚えていてくれたらしく「来てくれてありがとう」とまた表情をほころばせた。
写真に興味があったわけではないし、やる気があったわけでもない。
だが、知りたいと思ったのは間違いない。―――彼女が興味を持っていること、だからだ。
「意図していないのに、ファインダーを覗いて、シャッターを切る瞬間に起こる奇跡があるの」
「それは、あんたが持つ力ではないのか」
「・・・・・・あはは!はじめくんって面白いね?」
「連絡、取れないから心配したじゃない・・・風邪ひいた時くらい、頼ってよ」
総司が大げさに彼女に伝えたらしい。
それに、無断で休んだとは言え、たったの2回だ。
「一人暮らしの風邪が辛いのは身にしみてわかってるんだから」
必要そうなものを買ってきたよ、と、律儀に「冷蔵庫開けるね?」と一言断ってから食材をしまう彼女の横顔に、熱に浮かされているせいか、錯覚した。
ずっと、そばに居てはくれないだろうか。
それから、どんな時でも明るく笑う彼女の涙を、一度だけ見た。
「あはは・・・・・・心って、こんなに痛くなることあるんだね」
愛しい相手を想って、苦しそうに笑う彼女を見ているのが辛かった。
「こういうときくらい、泣いても誰も怒らん」
「・・・ありがと」
守りたいと、思った。
「何故あんたは俺をその様に呼ぶのだ」
「え?だって、・・・・・・うーん。可愛いから?」
そう言ったあと、ほんの少し考えて「無意識だった」と笑った。
初詣客が少なそうな神社を選んだと彼女が言っていたが、やはりこの時間、どこに行ったとて同じだろう。
「はじめちゃんはさ、毎年何をお願いしてるの?」
「一年の平穏無事を」
「あはは、らしいね」
「そういうあんたは、何を」
「えー?言ったら叶わなくなっちゃう」
行列に並びながら、そんなことを口にした彼女の首からは、いつも通りカメラがぶら下がっている。
「・・・・・・ね、ね、はじめちゃん」
「なんだ」
口元に手を添えて、何か言いたげにしていた彼女に耳を寄せた。
「・・・・・・お誕生日、おめでと」
周りから聞こえる雑音が、一瞬だけ消えた気がした。
こそりと、耳元で囁いた彼女の声が、体の奥まで、響く。
「知って、いたのだな」
「沖田くんが教えてくれたの」
「・・・気を、遣わせてしまったか」
「ちょっとだけ。本当に私でよかったのか、未だに不安だもん。だって、友達にお祝いしてもらった方が・・・」
「俺は―――」
口を尖らせて、ほんの少し俯いた彼女の、寒さで赤くなった耳へ口を寄せた。
「あんたと居られて、嬉しい」
「っ・・・・・・」
うるんだ瞳と、真っ赤に染まった顔が、俺を見上げた。
「はじ・・・・・・」
「誘って貰えたとき、俺のほうが不安だった。あんたにはもっと他に共に過ごしたい奴が居るだろうと」
「い、居ないよ!はじめちゃんと、一番・・・・・・一番、一緒に居たい・・・って・・・あ、あの・・・!」
「見失うと、困るからな」
繋いだ彼女の小さな手が、ほんの少しだけ震えた。
「・・・・・・うん」
夜明け前、繋いだ手、零したのは、
初詣を終え、人ごみから解放され、本数の少ない電車を駅で待っていると、彼女が繋いでいた手を引っ張った。
どうしたのかと彼女の方を向けば、その瞬間に重なった、唇。
「えへへ、先輩からお年玉!」
いたずらに成功した子供のような顔で満足気に笑った彼女が、たまらなく愛しく感じる。
「あんたの後輩は、昨日で終えたつもりだが」
「・・・・・・はじ・・・」
「なまえ」
「うん?」
「・・・好きだ」
彼女の顔を覗き込むように、唇にキスを落とした。
「私も、はじめが好きだよ」
END
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